徒野-10-

シカマルは、同期の中では出世の早い方だ。中忍になったのも一番早い。
だから、いずれは暗部に所属する事になるかもしれないとも思っていた。シカマルの父、シカクも早いうちから暗部に所属している。
思ったより早かったな、と火影室のドアを押して中に足を踏み入れた。隣には、やはり同期の油女シノ。
二人同時に暗部への誘いがかかり、先日返事をしたばかりだ。その二人が呼ばれたという事は、初任務か、訓練か。
中には既に人がいた。シカマル達とほとんど同じ格好で、振り返った顔には烏の面をつけている。
「烏」だ。
その姿に、シカマルは一瞬体を固くした。
「よく来たな、二人とも。これから、暗部としての初任務をいいわたす」
五代目の言葉に、烏から五代目へと視線を移す。
「最初だからな、簡単な諜報活動をやってもらう。指導役にはここにいるリュークをつけるから、心配はしなくても良い」
リューク。それが彼の名前だろうか。もちろん本名ではないだろうが、烏にそれ以外の呼び名があるとは思わなかった。
噂だけはシカマルも聞いている。烏の面をかぶった暗部。年齢は不詳。子供の姿であったり、青年の姿であったりといろいろだ。
何故彼の事を知っているかと言えば、その仕事の内容のせいだ。請け負う任務の9割が暗殺で、失敗はないという噂。
そして誰もその素顔を見た事がない。基本セルを組まずに任務をこなす彼と仕事をした事があるものは数えるほどで、そのせいか特に情報らしい情報もないと言われている。
そんな彼が、まさか新人の教育係とは驚きものである。
とうの烏は、物言いたげな視線を五代目に向け、何やら無言で会話を交わしてため息とともに肩を落とした。
短いやり取りだったが、二人の付き合いの長さを感じさせるには充分だった。
そして、シカマルは一人彼らの力関係を考察する。
意外に感じていたのは、烏が火影に意見出来る立場だと言う事だ。意に添わない任務なら首を横に振る事を許されているような、そんな空気があった。
烏は二代目の忍びだとシカクが言っていた。それが本当なら、それなりの年齢のはずだがとてもそうは見えない。
烏の右腕が上がる。それが面へ伸びるのをまるでスローモーションのように見届けながら、シカマルは体がこわばっていくのを感じた。
まさか、と思う間もなくその面がはずされる。誰も顔を知らない烏。その素顔をこんなにあっさりと目撃する事になるとは、さすがのシカマルも思わなかった。
面の下から現れたのは、シカマルの知るものよりも年上で、しかしごまかしようもないほどその面影を残していた。
「……尚樹?」
ひらひらと手を振ってシカマルを制止した尚樹は、いつも通り緩く背中を丸めて抗議の声を上げた。
「……聞いてないんですけど?」
「言ったらお前、姿をくらますだろう」
「ああ、そういう男だと思ってますね?」
事実だ、と短く言葉を返した五代目に、尚樹は再び肩を落とした。
「もー、執念深いんだから……」
「何か言ったか?」
「イイエ何も?」
それじゃー二人ともついてきて、と軽く声をかけて、尚樹は気だるげに火影室を出て行った。そのあまりのあっけなさにシカマルの視線は尚樹と五代目の間を行き来した。
シカマルの隣に立つシノは、シカマルとは対照的に静かに佇んでいる。
「……二人とも、あいつはあれでも暗部歴は長い。安心してついていけ」
「……分かりました」
いや、別にその辺の事を心配しているわけではないのだが。大人しく頷いて二人は尚樹の後を追った。廊下の先には既に烏の面をかぶり直した尚樹の姿。
シカマル達に合わせてか、その背丈はいつものものに戻っていた。
「尚樹」
ぼそりと声を発したシノに、尚樹が振り返る。じっと面越しにシノを見つめて、コードネームは? と尚樹が尋ねた。
「……ああ、そういえばシノもオレも、まだ決まってないな」
顔を隠しているくせに、本名で呼び合っていては意味がない。五代目からは何も言われなかったが、こういう場合はどうするのだろう、とシカマルは思考を巡らせた。
「とりあえず、名前決めようか」
「自分たちで決めていいのか?」
「良いんじゃない? どうせ、五代目が忘れてたんでしょ。気に入らなければ、向こうで適当に決めるだろうし」
ふたりとも何が良い? と首を傾げる尚樹。
「オレは何でも構わない」
尚樹が決めてくれ、と言わんばかりにシノは猫の面をかぶった。
「ネコか。ヤマト……はかぶるから、ジジがいいかな」
「ジジ?」
かぶるから、という発言から推測するに、暗部には既にヤマトの名を持つ人間がいるようだ。
ヤマトとジジが猫にどう関係があるのかは、さすがのシカマルも分からなかった。
「シカマルは?」
「オレも適当で良い。決めてくれ」
事前に受け取っていたネズミの面をかぶる。
「ネズミ……ミッ●ーは見えない圧力的な何かを感じるから、いっそキキで良いんじゃないかな」
「ミッ●ーとキキのつながりが分かんねーぞ」
「ほら、シノ君がジジだから、シカマルはキキで」
いや、全く何言ってるか分からねーから、とシカマルは手を顔の前で振った。
そんなシカマルの訴えを軽くスルーして尚樹はシノの顔をじっと見つめ、俺も猫が良かったなぁ、と何とも的はずれな事をつぶやく。
「そうか」
「うん」
「……お前らの会話は……」
シノもそこは納得する所じゃないだろう、とシカマルはその短いやり取りを眺めた。
尚樹の顔には烏の面。
「お前はカラスか」
「ん? 俺の面はトリだよ?」
「カラスもトリだろうが」
「それはそうだけど……これはニワトリの類いだと思います」
「ちげーよ!」
おそらく、全面に黒くないからカラスではないと言い張っているのだろうが、まぎれもなく尚樹が顔にかぶっているのはカラスの面だ。だいたい、暗部の面は動物をデフォルメされたもので、似ている似ていないの問題ではなく、いわばシンボル的なもの。
尚樹のそれは、確かに白黒のまだらだが、カラスだ。間違ってもニワトリではない。
「俺ずっとニワトリだと思ってたよ。このチキン野郎! って遠回しに言われてるのかと」
「いきなりなんだその被害妄想!? まったく……それでか」
「何が?」
「こっちの話だ」
以前アスマが尚樹に「烏」の事を尋ねたとき、尚樹は当然の様に知らないと言った。
基本的には素直なやつなので、尚樹が知らないというのなら、きっと知らないのだろうと思ってはいたが……まさか本人とは。
おそらく鈍い尚樹の事だ。周りからなんと呼ばれているのか知りもしなかったのだろう。そして極めつけに、自分の面をニワトリだと思い込んでいたわけである。
暗部になっても変わんねーな、こいつは。
それは、妙な安堵感だった。
「で、これからどうするよ」
「うーん……俺一人なら、明日の朝に任務に出る所なんだけど……」
「何か不都合でもあるのか?」
「いや、一般的には、夜から朝にかけて行動するみたいだからさ。あと、移動時間とか考えてると、あんまりゆっくりもしてられないかな」
ペラリと書類をめくってその手元を覗き込む。シカマルとシノは、まだ詳しい任務内容を聞いていなかった。
「砂の里での偵察?」
「うん。まあ、同盟なんて結んでるけど、内情はこんなもんだよ」
「いや、俺が気にしてるのはそこじゃなくて……」
シカマルの表情を見て勘違いをしたらしい尚樹を制止して、問題の箇所に指先を落とす。そこに書かれているのは、任務遂行の期限。それは僅かに5日後を示していた。
砂の里までは片道で早くても3日。往復で6日。何かの間違いだろうかとそれを指摘したシカマルに、尚樹は首を傾げる。
「そういえば、期限が長いな」
短すぎる、と感じたシカマルとは対照的なその言葉に、シノと二人顔を見合わせた。
「尚樹、砂までの往復には最低6日はかかる」
いつも通りの平坦な声で告げたシノに、尚樹が視線をあげる。三人の中では一番背の高いシノに視線を合わせようとすると、一番背の低い尚樹は見上げるような形になるのだ。
「ああ、そうか……というかそれって日程的に無理じゃない?」
だから先ほどからその話をしているというのに。
ようやく事の重大さに気づいたらしい尚樹に、シカマルは不安をあおられるばかりだ。もちろん、尚樹が自分より年上である事も、暗部歴が長い事も頭では分かっている。
だが、アカデミーからずっと接してきて、意外と子供らしい所があるのも知っている。
彼の行動一つ一つを、演技だとは思わない。昔から一貫して変わらない尚樹の性格は、きっと素のものなのだろう。
だからこそ、いくら尚樹が優秀だと言われようと心配せずにはいられないのである。
「……尚樹、いつもはもっと短い日程でこなしているのだろう? なら今回も大丈夫なのではないか?」
口を閉ざしていたシノが、ゆっくりと疑問の声を上げた。シカマルは尚樹の発言を頭で反芻する。
初めの認識では、5日の日程は長いと尚樹は断じた。何故そう思ったのか。いつもはもっと短い日程で任務をこなしているからだ。
「……尚樹、お前いつもどうやって移動してるんだ」
任務内容自体の短縮は出来たとしてもそれほど大きいものではないはずだ。ならば、どこを削るか。尚樹の反応からして、移動時間である事は容易に推察出来た。
「……俺、めちゃくちゃ足が速いから」
「そうか」
「うそつけ、こら。シノもそこは納得するな」
いくら何でもそれはない。
どんなに早かろうと人の足。それほど差はでないはずだ。
「いや、マジで。俺一人なら、この日程でも問題ないんだけど、今回はさすがに無理かな。ちょっとのばしてもらってくるよ」
書類をひらひらと振って、シカマルとシノの間を抜けようとした尚樹の腕に手を伸ばす。しかしそれはむなしく空を切って、その一瞬で尚樹の姿が視界から消える。
反射的に後ろを振り返って、ノックもせずに火影室へ入っていく姿がみえた。
ほんの一瞬シカマルに向けられた顔には、いたずらに成功した子供のような笑み。
それだけ。
「……あー、くそっ」
一瞬よりも短いやり取りで、証明された事実にこれ以上反論の余地はない。
「シカマル、落ち込む事はない。なぜなら、尚樹の方が長く暗部にいるからだ」
「お前は本当驚かねーな」
経験の差で片付けられるようなことなのだろうか、これは。
シノの慰めなのか本気なのか分からない言葉に、シカマルは重いため息をついたのだった。


「カカシ先生、やっぱり暗部の事ってカカシ先生にも話すとまずいんですか? 守秘義務的な意味で」
「内容にもよるけど……任務のランクは?」
「あ、いえ任務ではなく、人間関係的な何かです」
「人間関係ねぇ……」
正直、暗部はカカシの古巣だ。今でも正式に所属していないとは言え、内情は把握していた。
「ま、人間関係なら特に問題ないと思うけど?」
「最近新しく暗部に入った2名なんですけど……」
「ああ、シカマルとシノ?」
「あ、やっぱり知ってるんですね」
「まあ一応ね……二人の父親経由で」
シカクやシビとは個人的な友好関係がある。彼らの息子がようやく暗部入りしたという話も最近きいたばかりだ。
「その二人がどうかしたの?」
「いえ、今日初めて任務で一緒になったので。俺暗部に知り合い少ないからうれしいなーって」
ああ、まあお前はねぇ、と基本一人っ子セルの尚樹をカカシは複雑な心境で見下ろした。言い換えればただのボッチだ。
「珍しいね、複数で任務に就くの」
「はい。俺が二人の指導をしろって、五代目が」
それは、何やらいろんな意味で心配だなぁ、とカカシはその人選に首を傾げる。
別に尚樹に問題があるというわけではないが、とても指導者向きとは言えない。
何か意図があるんだろうか。
「あの二人なら、まあ暗部としても問題ないんじゃない?」
「まあ……二人とも冷静沈着なタイプですからね。気になるとすれば」
気になるとすれば?
尚樹の言葉を反芻して、カカシは先を促した。
「気になるとすれば、どれだけ躊躇なく人を殺せるかですね」
ちなみに俺は外道なので、その辺はたぶんあんまり心配ないです。
そんなことない、と本来なら否定してやる所だが、任務内容の大半が暗殺というところを鑑みればあながち間違いでもない。だがそれでも、カカシにはそれは尚樹を形容する言葉ではないと感じられた。
「……外道って言うのは、言い過ぎじゃない?」
「屑みたいなもんですよ、俺はね」
「……お前は、ときどきすっごく後ろ向きだよね。必要以上に自分を卑下するのはどうかと思うけど」
「卑下と言うか……冷静に、第三者的な視点で見てそう思うんですよ。自分で自分の事、屑なんて思ったりしません」
「ちょっと何言ってるか分からない」
マジで。
カカシはげんなりして尚樹を見下ろした。これは、プラス思考なのかマイナス思考なのか。
ようやくぬるくなってきたお茶に口を付けて、尚樹が大きなあくびを漏らす。
先日の子供の事といい、今といい、どうにもひっかかる。決してネガティブな性格ではないと思うのだが。
第三者的な視点で見てそう思う、という事は、他人からそう見られていると尚樹は思っているのだろうか。もしそうだとすれば。
「お前も、まだまだだねぇ」