徒野-9-

それはいつも通り洗濯物を干している時のことだった。
「あれ?」
洗った服のポケットからよれよれになった紙が出てくる。四角く折り畳まれたそれを開こうとして、その妙な畳み方に記憶がよみがえった。
「ああ、これ感応紙か」
先日使った感応紙をどうやらそのまま入れっぱなしにしていたらしい。
僅かな違和感を感じて凝をすると、感応紙にオーラがとどまっていた。
そういえば、洗ったにしては状態が良すぎる。
とりあえず開いてそれを机の上に放置し、洗濯物を干しにベランダに出る。
先ほどの感応紙で気づいたのだが、もしかしてこの世界の物質にはオーラをとどめやすい性質があるのではないだろうか。
チャクラ刀でも思っていたが、ハンターの世界ですらああも切れ味は良くならない。
そういえば、道具ではないが、綱手の額の印もそうだった。あんなにも簡単に他人のオーラを受け付けるものなのだろうか。他人に自分のオーラを分け与えるなんて、ハンターの世界ではきいた事もない。
「ん? もしかして起爆札とかってこの原理?」
自分で作った事ないから、ちょっと分からないな、とそれはいったん保留した。
部屋に戻って感応紙を手に取る。ふと思い至ってシザーバッグから巻物を取り出した。
凝をすると、今まで気づかなかったがうっすらとオーラが見える。
「特別な紙には見えないけど……」
なんせ普通に巻物をノート代わりにしている世界だ。そう特別な紙を使っているとも思えない。
文字の周りにオーラが多い所を見ると、これにチャクラをこめているのだろう。
「……何かに使えるかな」
「何が?」
「あ、おはようございます」
「おはよ」
で、何が使えるの? と眠そうな顔で尋ねたカカシに尚樹はなんと答えるべきか逡巡した。
ああ、でもカカシ先生なら写輪眼でチャクラが見えるんだっけ。
「いえ、起爆札とか、こういう口寄せの巻物ってどういう原理なのかと思って。もしかしてそれに近いものを自分で作れるのかなーって思ってたんです」
「近いものっていうか……まあ、作れるけど。あんまり自作はしないかなぁ」
「なんでですか?」
「結構チャクラがいるからオレみたいにチャクラの量が多くない人間には不向き。それに向き不向きがあるからね。起爆札なんかでも火の性質を持つ人間じゃないと無理だし」
「……そうなんですね。ちなみに、こういう巻物とかって、なにか特殊な紙を使ってるんですか?」
「いや、別にそんな事ないけど」
「……なるほど」
まだ濡れたままの感応紙を洗濯物と一緒に洗濯バサミにはさんで、朝食の準備のために台所へと引っ込んだ。
「今日は下忍の任務なの?」
「はい」
今日から正式にゲンマが任務の方に復帰するので、あまりゆっくりもしていられない。
「チャクラ刀は?」
「まだ修理中です」
みそ汁をついだ椀をおぼんの上にのせて、カカシに手渡す。
そう言えば、ナイフの類いを持たないで任務に出るのは、久方ぶりかもしれない、とカカシの言葉に今はないベンズナイフを思い出す。ホルスターには一つだけ不格好なクナイ。もはや役割を終えたそれを、尚樹はまだなくしてはいなかった。
テーブルに向かい合って腰を下ろし、いつものように手を合わせる。
「いただきます」
いただきます、とカカシも手を合わせて、食事に手を付けた。


「ゲンマさん、符について教えて欲しいんですけど」
「……麩?」
「符」
木の枝を使って地面に不格好な字を書く。それを見て、ゲンマはようやく尚樹の言いたい事を理解したようだった。
「符ねぇ。俺もあんまり詳しくはないんだが……どうした急に」
「いえ、ろくに忍術が使えないので代用出来ないかと」
「ああ、まあ、お前はねぇ……」
そうも簡単に納得されると少し物悲しいものがある。尚樹は地面に書いた字を足で消して、ゲンマを見上げた。
尚樹の手から持っていた枝を取り上げて、ゲンマはかがみ込んだ。
「俺もそこまで詳しいわけじゃないから、基本的な事だけだぞ。これ以上の事を知りたいなら、よそを当たれ」
「分かりました」
ゲンマのにぎった枝の先が地面に円を描く。
「基本は円状に制御文を書いて、その中に術の本体となるのを書く」
「制御文?」
「簡単に言うと、封印とか、蓋のような役割だ。術を紙にとどめる。もちろん、発動条件もここに入れる。複雑なものになってくるとこの円が増えたり、封印同士を繋ぐのにさらに中心から放射状に制御文を入れたりもするな」
「なるほど……ゲンマさん、既に挫折しそうなんですが」
「早い。尚樹、起爆札を出してみろ」
シザーバックにしまっていた起爆札を一枚取り出してゲンマに渡す。それを見てゲンマは眉根を寄せた。
「……普通の起爆札じゃないな」
「はい。爆発のタイミングをいじれる様に作ってもらってます」
「たかだか起爆札にここまで面倒な制御文は普通書かないんだがな」
「そうなんですか?」
普通の起爆札をほとんど使った事のない尚樹には比較は出来ない。
それでも、ゲンマが言った通りの体裁を保ったものがそこにはあった。
意外と構造は単純だな、とあらためて起爆札をまじまじと見つめた。いろいろためしてみる価値はあるだろう。
尚樹の念には制約がある。その制約のせいで生じる不都合も多々あり、その欠点を補うためにこれを使って道具を具現化出来ないかと思っていた。
そしてもし、念を使えないときに何か切り札となるものが尚樹には必要だった。
「まあ、話はこれくらいにして、そろそろいくぞ」
「あ、はい。ありがとうございました。今日は何の任務でしょうね」
「さあな。それより先に五代目の所にいくぞ」
「何故に!?」
思わず一歩引いて尋ねた尚樹に、ゲンマは短く呼び出し、と答えた。

ゲンマに手を引かれながら薄暗い廊下を歩いて、他よりも大きな扉の前で立ち止まった。既に何度も入った事のある火影室だ。
ようやく復帰したゲンマといつものDランク任務かと思っていたら、その前に五代目に呼び出された。
これといって心当たりがないのだが、戦々恐々としつつゲンマの後に続く。綱手は手が早いので、油断はならない。
火影室には、五代目と若い女性がいた。豚を抱いたその女性に、見覚えがある。
残念ながら名前は思い出せない。
「きたか」
とりあえず顔を合わせたとたんに殴り掛かられなくて良かったと胸を撫で下ろし、続く言葉をまった。
「尚樹、お前そろそろ中忍になるか? 個人的には上忍でも問題ないと思うんだがな」
「……は?」
予想外すぎる話題に、尚樹は間抜けな声を上げる。
というか、中忍試験無しに中忍になれるのだろうか。それ以上に。
「いや、俺別に下忍で良いんですけど」
「馬鹿を言え。お前レベルの忍びをいつまでも下忍で遊ばせておくわけにいくか」
「ええー……そこそこ里に貢献してるんだし、いいじゃん。それにほら、別に俺は忍びとして優秀ってわけじゃないし」
「ふん、お前いったい何年暗部をやってるんだ。楽をしようったってそうはいかんぞ」
「まるで人をサボリみたいに……どんだけ影に日向に働かせれば気が済むわけ」
俺はこれでもはたけ家の主婦なので忙しいんです! と主張してみるも、綱手に軽く流された。
とんとん、と軽く横から肩を叩かれる。顔を上げると、ゲンマが険しい顔をして尚樹を見下ろしていた。
「尚樹、言葉遣い」
何の事だとぼんやりゲンマを見返した尚樹とは対照的に、綱手はすぐに意味を解したのか「かまわん」と短く言い放った。
それにゲンマがますます困惑の色を強くする。
「……ああ」
そうか、ゲンマさんは綱手と自分の関係を知らないんだった。
その事にようやく思い至った尚樹は、途中から敬語を忘れていた自分を心の中で責めた。
綱手との関係は、言及されるとそれなりに痛い。芋づる式に余計な事まで答えなくてはいけなくなってしまうからだ。
これからは気をつけよう、とうっかり昔の態度で接してしまう自分に喝を入れておいた。
「話を戻すが……尚樹、お前がいつまでも下忍だとゲンマまでDランク任務にかり出されるだろうが。ただでさえ今は戦力が不足しているというのに」
「そんな横暴な。木の葉崩しのせいで戦力が減っているのは分かりますが……あ、なんならDランク任務一人でやっても良いですよ?」
「おつかいも一人で出来ないのに?」
「ちょ……出来ますよ、失礼な」
尚樹の言葉を綱手が軽く鼻で笑う。信用していないのが見え見えである。これではいけないと、拳を握りしめ、尚樹は力説した。
「ちゃんと夜一さんが道案内してくれるから大丈夫です!」
とん、右肩に重みがかかる、それに再び顔を上げると、ゲンマがそれ以上言ってくれるな、と沈痛な面持ちでつげた。
「二人してひどい……だいたい、中忍にしなくてもSランク任務なら暗部の方で受けるから、問題ないじゃないですか。いざとなったら下忍の任務が俺にまわって来ない事くらい分かってますって」
「いいから大人しく上忍にでもなってろ」
「ちょっと、中忍から上忍にランクアップしてるんですけど?」
「何なら医療忍者になるか?」
「それはマジで勘弁してください」
普通の忍術ですら数えるほどしか使えないのに、医療忍術とはこれいかに。治療系の念は意外と少ないのだ。逃走を重視する尚樹には、いつも使えるわけではない。
「とにかく、嫌ですよ、俺」
「お前がそんなんじゃ、セルを組んで任務をさせられないだろうが」
「いったい俺に何を求めて……適材適所ですよ、五代目。誰だっていざとなったら自分の命しか顧みないような人間と、セルを組みたくないでしょう」
三十六計逃げるにしかず。尚樹の座右の銘と言っても過言ではない。いざとなれば戦線を離脱出来る手段が残っているから、尚樹はSランク任務でも厭わないのだ。
もし危ない状況になれば、仲間だろうが何だろうが、切り捨てる覚悟がなければ生き残る事なんて出来ない。
「あんまりしつこいと、里抜けますよ」
それは、何気なく言った言葉だった。伝家の宝刀ですらない。
だが綱手にとっては違ったようで、思いのほか重い空気が流れた。
「え、なにこれこの空気」
「……尚樹、堂々と抜け忍宣言するな。あと言葉遣い」
先ほどよりも肩を強くつかんで、ゲンマがうなる。その顔を見上げて、そのまま綱手に視線を移す。
元を正せば、この里にどこの馬の骨とも知れない尚樹を忍びとしておいてくれたのは、二代目である千手扉間。その時の事があって、後の時代でも尚樹は里においてもらったとも言える。
その二代目がいない今、いつまでも尚樹がここにいる理由はない。
木の葉には恩がある。だがもう充分に返しただろう。
忍術も使えない自分がここまで生きて来れたのは、ひとえに念を使えたからに過ぎない。
「……今更だけど、俺忍者向いてないと思うし」
念願の花屋とかに就職してみてもいいかも、なんて、綱手は首を縦には振らないだろうけど。
ああ、でも花屋。ゼタさんは元気にしているだろうか。
「………綱、五代目。二代目は、Dランクの任務でも俺に付き合ってくれていましたよ。だから、やっぱり俺は下忍のままで良いです」
物好きだと思う。火影ともあろうものが、わざわざ変化してまで下忍と一緒にDランク任務に出ていたのだ。
懐かしく感じて、壁に飾られた二代目の写真をあおぐ。
まあ、もう少しここにいても良いかな、と思わせるだけの何かかが、そこにあるような気がした。
「というわけで、はやくDランク任務ください」
「……まあ、私は別にDランク任務でも構いませんよ、五代目。慣れましたし」
「ちょっとゲンマさん、なんでそんなに投げやりな感じなんですか」
下から恨みがましくゲンマを見上げたが、さらりと流された。綱手が大きくため息をつく。
いささか乱暴に投げつけられた書類には、Dランクの文字。
「……今度奢るよ、綱手」
「ふん、当然だ」
頬杖をついて不機嫌そうに視線をそらすのは、幼馴染みの尚樹だから分かる綱手の仕草だった。
まあ、照れ隠し、というやつである。


符に関してのうんちゃらかんちゃらは適当ですよ