徒野-7-

お菓子作りは体力勝負である。
以前何度かゴトーに作り方をならった尚樹はボウルと泡立て器を両手に、卵白と格闘していた。
目にもとまらぬ早さで泡立ててあっという間にメレンゲを作るスキルは、残念ながら尚樹にはない。
しかしながら、NARUTOの世界にハンドミキサーなどという文明の利器があるはずもなく。
ならばどうするか。
いっこうに泡立たない白身を眺め、尚樹は黙考した。
泡立て器を置いて、右手にオーラを集中する。
これであっているのか分からない螺旋丸もどきを発動してその手を下に向けた所で、カカシはあわててその暴挙をとめに入った。
「おかえりなさい、カカシ先生」
「……ただいま、ってかなに不穏な事してるの」
「クリスマスだから、ケーキです」
「……あそ」
尚樹の手からボウルを取り上げて、カカシは盛大なため息をついた。
一体どこの世界に螺旋丸を泡立て器にする人間がいるというのか。
まともな思考ではない。
「泡立てれば良いの?」
「はい」
お前は他のことしてなさい、と帰ってきたばかりだというのにカカシは卵を泡立て始めた。
「というか、いつのまにお前は螺旋丸を使えるようになったの」
「ああ……見よう見まねですよ」
なんだか、とっても便利そうだったので、と小麦粉をふるいながらこともなげに言って退けた子供には、いつも度肝を抜かされる。
何気に優秀だよな、と思う事もあれば、もう本当にどうしようもない、と思う事もある。
たぶんきっと、思考回路が常人のそれとは違うのだろう。あと、チャクラの使い方も。
「……夕飯はまさかこのケーキってことはないよね?」
「まさか。クリスマスと言ったら七面鳥」
「買ったの!?」
「……と言いたいところですが、どこに売ってるのか分からなかったので、ちらし寿司です」
そう、と安堵に胸を撫で下ろして、ようやく泡立ってきた卵白をさらにかき混ぜる。なんとなく楽しくなってきた。
思えば、この手の行事はほとんどした事がない。
何度か四代目に付き合わされたか。こういう行事ごとが好きな人だった。
そういえば、クリスマスプレゼントを用意すべきだったろうか。昔は何を貰ったっけ、と遠い記憶を探った。
ああ、でも子のこの場合は、鉢植えとか、植物の種とか、そういう物で良さそうだが。
とはいってもすでに時既に遅し。尚樹が言い出すまで、クリスマスについて何かをする気がなかったので、もちろん何の用意も、心構えもない。
「カカシ先生、もう良いんじゃないですか?」
「ん、そう?」
作った事ないから分からないや、とボウルを尚樹に渡した。
尚樹は絶対同年代の女の子より料理がうまいんだろうな、とレシピも見ずに迷いなく作っていく手元を見つめる。
少なくともサクラは、こういうのは苦手そうだ。彼女の作った兵糧丸の味を思い出そうと思っても、何故か思い出せない。
カカシが回想に耽っている間に、尚樹が生地を型に流し入れてオーブンへと突っ込む。
「お疲れさまです。お風呂、わいてますよ」
「んー、じゃあ入ってこようかな」
「ゆっくりどうぞ」
まるで夫婦のような会話だ。


台所を出て行くカカシの背中を見送って、尚樹はあまった薄力粉をはかり、再びふるう作業に戻った。材料が余ったので、ケーキとは別におやつ作りである。
「ジンジャークッキーにしようそうしよう」
ざくざくと生地を混ぜ、冷蔵庫から瓶詰めにしてあった怪しげな液体を手に取る。
バニラエッセンスの様に一滴だけたらして、再び生地を混ぜ味見をする。
「……もうちょっとくらい入れても……」
「……入れすぎ厳禁だぞ」
入り口から飼い主の不審な行動をそっと見守っていた夜一は、カカシの代わりに口を挟んだ。
どうもあいつは詰めが甘い、とため息をつく。
「いやでも、ほんの一滴だし。あと一滴……はっ! そうか、別の種類をブレンドすれば……」
「……」
夜一は名案とばかりに瞳を輝かせた飼い主に生温い視線を向け、保護者を呼びにそっときびすを返した。
風呂場のドアをかしかしとたたきながら、低くうなる。ほどなく顔を出したカカシは、嫌そうに顔を歪めていた。
「……何なのいったい」
「にゃー」
ついてこいとばかりにしっぽを揺らした夜一に、カカシは仕方なく風呂から上がってタオルに手を伸ばす。その間も黒猫がさっさとしろとやけにせかすので、濡れたまま服を着るハメになって大変気持ち悪い思いをした。
迷いもなく台所に入っていった黒猫に嫌な予感を抱えつつ中をのぞく。
見覚えのある瓶を並べて何やら吟味しているらしい尚樹。先ほどからになったはずのボウルには、また別の何かが入っていた。
雰囲気からして、別のお菓子を作っているのだろう。
「……尚樹、何やってるの?」
「いえ、香り付けを……こっちの甘めのやつを入れてみたんですけど、ジンジャークッキーだし、ちょっとぴりっとするのを入れてみても良いのかな、と」
「……気のせいかな、オレには毒、ってかいてあるような気がするんだけど」
「あ、はい。任務の行き帰りに地道に集めたやつなんですよ。我ながらなかなかの出来だと思うんです」
つまり、中身は毒、と。
なんでそんなに嬉しそうなの、と毛先から落ちる水滴に辟易しながら、ジンジャークッキーにこれからなるらしい生地を取り上げた。
「カカシ先生?」
「何物騒なもの作ってるの、お前は」
「クッキーですよ? 別に物騒じゃないし、個人的なおやつです」
「おやつって……」
せめて任務のときに使う道具だとか言ってくれた方がまだマシだった。ボウルの中の生地はほのかにショウガの香りがして、見た目におかしな所はない。
「何を好き好んで毒なんか食べてるの、お前は」
「……いや、ほら……忍者たるもの毒の一つや二つ盛られても平気な体作りを日頃から心がけてしかるべきかと」
「今考えたでしょ、それ」
「いえそんなまさか……体に悪いものは美味しいなんて、そんな世迷い事はいいません」
「……つまり、お前は毒の味が好きなんだな?」
「いえ、全部というわけでは……個人的な経験では毒性が強い方が甘みがあって美味しいと思います。弱いのは、抽出の仕方にもよるとは思うんですけど苦みが強いんですよね」
無駄に詳しいな、こいつ、とカカシは静かにため息をついた。毛先を伝った水滴が首筋を流れていく。
「……ちなみに聞くけど、この毒はどれくらい強いの?」
「あ、これはおやつなので比較的弱めなんです。一滴しか入れてませんし……さすがに一滴ではクジラ倒せないと思います。たぶん10滴くらいあればいけると思いますが」
なぜクジラ基準。
「いや、それ強いと思うけど」
「一滴だけなんですよ?」
そんな首かしげてもごまかされないから、とカカシはその頭をいささか乱暴に撫でた。
思い出されるのは、以前ゲンマが持ってきた睡眠薬。スプーン一杯で致死量というその薬を、尚樹は何度も口にし、けろりとしていた。
本人の様子から察するに、本当にこの程度の毒なら平気なのだろう。
ため息とともに、取り上げていたボウルを返す。
「……作っても良いけど、食べ過ぎない事」
「はい、1日五枚までって決めてるので、大丈夫です」
「……そう」
俺、風呂入り直してくるから、ときびすを返した所でふと気づく。
「尚樹、それ以上毒を入れるのは禁止だから」
「……ちょ、ちょっとだけ」
「だーめ」
本来の目的を忘れる所だった。また毒を入れようとすれば彼の飼い猫が呼びにくるだろう、と高をくくってカカシはすっかり冷えた体を再び温めるために、台所を後にしたのだった。

居間にまでジンジャークッキーの香りが漂っている。どうやら宣言通り尚樹はクッキーを焼いたようだ。
今度はしっかりとタオルで水気を拭き取り、カカシは台所に顔を出した。
黒猫が呼びにこなかった所を見ると、その後は何もなかったのだろう……多分。
「あ、カカシ先生。もう夕飯にしても大丈夫ですか?」
「ああ」
焼き上がったばかりのクッキーが並べたまま置いてある。きっとまだ冷ましている際中なのだろう。
オーブンがいまだに動いている所を見ると、まだ何回か焼く気なのかもしれない。
おかずを温めている尚樹の横で、カカシはそのクッキーをじっと見つめ、味見と言うか、毒味をするべきなのか真剣に悩んでいた。
カカシも、忍びの端くれ。暗部に属していた事もあるくらいだから、多少は毒に対して耐性がある。
「……尚樹、これ俺が食べても大丈夫?」
「あ、カカシ先生も食べたいですか?」
嬉しそうに振り返った尚樹に、反射的に首を横に振った。それはひどい勘違いだ、と。
残念ながら、カカシは毒をうまいと言って食べるような味覚を持ち合わせていない。
しょぼんと肩を落とした尚樹に、罪悪感を刺激されながらも、ここは引けない所だ。
「カカシ先生は、毒の耐性はあるんですか?」
「まあ、多少は……と言っても、飲めばそれなりに不調にはなるかな」
「なら、最初はもっと軽いものから始めた方が良いと思いますよ? あ、大丈夫です、比較的軽い毒で美味しいやつ、持ってます!」
「ああ、そう、持ってるの……」
でもいらないから、とその申し出は断って、きれいに盛りつけられたちらし寿司を受け取った。
何故クリスマスにちらし寿司、と思わないでもないが、どうせくだらない理由なのだろう。
毒入りクッキーの件は忘却の彼方に追いやってカカシは目の前のちらし寿司に思考をずらした。
後ろからお吸い物を持った尚樹がついてくる。はてしなくクリスマスとは遠い何かだ、これは。
「尚樹、クリスマスってどういう日だと思ってるの?」
「書き入れ時です!」
「そう……」
恋人同士のイベントとか、もっと別の事は言えないんだろうか、とその小さな体を見下ろす。
「……尚樹は、誰か好きな子とかいないの?」
「好きな子、ですか?」
「そう」
うーん、といつもの無表情で思案しながら対面に座った尚樹は、両手を合わせて「いただきます」と頭を下げた。
つられてカカシもいただきますと手を合わせる。
「あ、シノ君大好きです」
「ぐ、っげほ」
お茶が気管に入った、と反射的に咳をして、カカシは激しい違和感をやり過ごす。
「あー、いや、恋愛的な意味でね?」
「……ああ」
「なにその、全く思いつきませんでしたって反応」
「あ、いえ、そう言う事きかれたの初めてなので」
普通、アカデミーくらいの年のときには、こういう話題の一つや二つ出そうなものだが、と今度はカカシが首を傾げた。
「多分俺、かなり淡白な方だと思うんですよ。カカシ先生に言われるまで、そういうの考えた事なかったです。なんて言うのかな、たぶん一人でも楽しくやっていけるタイプなんですよね」
「いや、それは……」
淡白ってレベルを超えてないか、という言葉はさすがに飲み込んだ。
「それにほら、どうせ結婚とかする気もないですし、子供を作る気もないです」
「はっきり言い切るね」
あの面倒くさがり屋のシカマルでさえ、当たり前の様に将来は結婚して子供を作ると思っているのに。
カカシ自体も、まだ結婚を意識した事はないので人のことを言えた義理ではないのだが、尚樹のそれは自分のものとは少し違う気がした。
尚樹のそれは明確な意志をもって発せられたものだ。
カカシの、将来を具体的に考えていないだけの曖昧さとは異なる。
「なんで?」
「……だって、吐き気がするでしょう?」
自分の子供なんて。
確かにそう言った尚樹の言葉に、カカシはなんと返せば良いのか分からなかった。
いったい何が、尚樹にそう思わせるのだろう。
まだ熱いお吸い物に手を付ける。
いつも通りの無表情からは快も不快も読み取れない。
「カカシ先生は、恋人いますよね?」
「……なんで断定?」
「いやだって、それなりにいい年だし、その顔で恋人の一人もいないとか、資源の無駄遣いだと思います」
「資源って……いないよ、恋人なんて」
というか、恋人がいたらクリスマスの夜に自宅でご飯なんて食べていないと思う……とそこまで考えて、一瞬思考が停止した。
仮に恋人がいたとして、この部屋に尚樹を一人置いて行けるのだろうか。どうしても、初めて会った頃の小さな姿が脳裏をよぎる。
尚樹には家族がいない。
カカシだって、若くして亡くなったとは言え父親がいた。木の葉の白い牙なんて言われて他の里に恐れられてはいたが、家では少し度を超すぐらいの子煩悩で、忙しくても出来るだけカカシのそばにいてくれた。
「……なんか今、親父の事思い出したよ」
「……どんな人でした?」
「かっこ良くて、自慢の父親だったけど、家では情けなくてね。木の葉の白い牙なんて他人から言われても全然ピンと来なくて……俺が結構大きくなってからも手を繋ごうとするんだよ」
それで、はずかしいからとぞんざいな態度をとると、部屋の隅でいじけるのだ。カカシが暗部入りしてからもその態度は変わらず、まるで彼の中で自分の年齢は幼い頃のまま止まっているようだった。
「あんなに早くいなくなるなら、もっと手を繋いであげても良かったのかな、って」
尚樹はアカデミーを卒業しても、暗部になっても、カカシが手を差し出せばためらう事なく手を繋いだ。
温かく柔らかな感触がすこし堅い感触になってもそれは変わらない。自分もそうあるべきだったのではないかと、今なら思う。
「……良いんじゃないですか? それもきっと子供の成長の一つですよ」
「反抗期が?」
「そう、反抗期が」
寂しいけど、それもきっと嬉しい成長の一つなんじゃないですかね、とまぶたを伏せる。
つられてカカシの視線も机の上に移動した。湯のみに入ったお茶の水面に自分の顔がぼんやりと映り込んでいた。
ああ、いつのまにこんなにそっくりになったんだろう。
自分という子供は、きっと可愛くはなかっただろう。それでも父には可愛く見えていたのかもしれない。
「あー……なんか俺、結婚出来ない気がしてきた」
「いきなり何故!? 世の女性がきいたら嘆き悲しみますよ」
「いや、それは大げさすぎだから」
結婚出来ないと言うか、そう言う過程を全部すっ飛ばして子持ちになった気分なのだ。
尚樹が手を繋いでくれなくなったり、素っ気ない態度を取る様になったら凄く切ないかも、とただの想像なのに何やら物悲しい気分になる。
そしたら、尚樹に子供が出来たら孫みたいなものか、と思考が飛躍した。
「俺は、お前の子供、見てみたい気もするけどね」


話を考えた時はクリスマスな時期だったんですYO