徒野-5-

「そういえば、綱手っていったい何を怒ってたのかな?」
「なんじゃ、いきなり」
カカシが任務で不在なところを狙って、自来也は尚樹を夕飯に誘い出した。日頃は過保護な保護者のせいで、居酒屋に連れてこられないためだ。
魚をほぐして猫に与えながら、つぶやいた尚樹の言葉に顔を上げる。いつも思うが食い刺しでエサをやるのはどうかと思うのだが。
「いや、再会するたびに拳が飛んできてたんだけど、何か恨みを買ったかなぁって」
「ああ……」
「なに、心当たりあるの、自来也」
「まぁ、無くもないのぉ」
「歯切れが悪いなぁ……何?」
「……直接聞いたわけじゃないから、憶測だが、お前が二代目と任務に言った後あたりから、怒っておったかの」
「……あ〜やっぱ約束のせいか?」
「なんか約束しておったのか」
「うん。出かける前にさ、綱手に鉢植えを預けていったんだよね。水やりお願いって。帰ってきたら御礼するからって」
で、その御礼をつい最近まで忘れてた、とちびちび酒を口にする。
そんな尚樹の姿に、自来也は苦笑を浮かべた。
あまり酒は好きではないらしく、自来也が無理矢理つがなければ口にしないが、弱いわけではないようだ。
今までにも何度かこうして酒を飲んだが、つぶれた所を見た事がない。
「それは怒るかもしれんのぉ」
「それってでも心狭くない? 狭いよ」
「そう言ってやるなよ。おまえが、帰ってくるといった言葉を信じたかったんだろう。勝手に約束して、勝手にいなくなったお前を怒っていたんじゃよ」
「……あのとき、やっぱり俺は死んだって思った?」
「ああ……そうじゃの。二代目も、三代目も、そう思っておった」
「じゃあ、やっぱり慰霊碑に俺の名前入れたの、そのときか」
「ん? なんじゃ、見たのか。お前は一生気づかんと思ったんだがの」
「たまたまね」
正確には、綱手は怒っていたのではない。ただ、やり場の思いを怒りにすり替えただけだ。ひねくれ者の彼女らしい。
尚樹が未来人だと知っていた自来也は、きっとまたいつか会えるだろうという希望があったが、綱手にはなかった。それだけの違いだ。
「あともう一つ、自来也に聞きたい事あるんだけど」
「なんじゃ」
「大蛇丸の事」
口に運ぼうとしたお猪口をとめる。僅かな水面にひろがる波紋。4人で過ごした時間は、今でも覚えている。
いまは、大蛇丸だけがいない。どこで道を違えてしまったのか、はじめから別の道を歩んでいたのか、自来也には、もう分からなかった。
「一体全体どうして、大蛇丸はあんなに変態になっちゃったの? だれ、教育者は」
「……さ、三代目じゃないかの」
予想していた質問とはあまりにかけ離れていたため、気まずさに眼をそらした。あとついでに彼が道を踏み外した全責任を自分の師になすり付ける。
というか、聞きたい事はそれで良いのか。いったいいつどうやってこの里を去ったのか、その辺の仔細はいいのかと、尚樹の表情を盗み見る。
頬杖をつきながら、器から落ちた水滴でテーブルに落書きをしている尚樹の表情は、いつもどおり。
そこに、悲しみも怒りも感じられない。
いったい何を考えているのだろう。
「俺、一応これでも口を酸っぱくして、変態はいけない事だって、大蛇丸に教えてたつもりだったんだけどなぁ」
「何をしとるんじゃ、お前は」
「幼少期の大蛇丸は大変素直で可愛かったです、まる」
はあ、と大きくため息をついて尚樹が肩をすくめた。あの頃、尚樹と大蛇丸がそんなやり取りをしているとは知らなかった。
よくよく考えれば、尚樹は先の事を知っていたのだから、いずれこうなる事は分かっていたのだろう。
それを阻止するために、そんな事を吹き込んでいたのは疑いようもない。……やり方はずいぶんかわいらしいものだったが。
「あれを止められんかったのは、わしにも責任がある」
「……」
たしかに、自来也と大蛇丸は仲が良かったとはいいがたい。それでも良き仲間であり、ライバルだった。
尚樹の黒い瞳がじっと自来也を見つめる。この瞳を向けられると、自来也はなぜか懺悔をしたくなる。
許しを請いたくなるとでもいうのか。
何もかも溶かし込むその色に、いつもひどく安心するのだ。
「べつに、自来也のせいじゃないでしょ。こうなった責任は、大蛇丸にしかないし、大蛇丸がそれで満足なら、いいんじゃない」
「……そうかもしれんの」
「何が大切かなんて、人それぞれでしょ」
そう言ってまぶたを伏せた姿は、今までにも何度か見た事がある。
微笑んでいるのだろうか。それとも、悲しんでいるのだろうか。
表情に乏しい尚樹の感情は、その言葉と、空気で察するしかない。
「死ぬ前に、もう一度会いたい気もするね。変態だけど」
手厳しいのぉ、と自来也は尚樹の言葉に笑みを浮かべた。彼の中では、今も昔も変わりないようだ。

気になっている事がひとつ。
木の葉崩しは確かにあった。尚樹が戻ってきたときにはすでに終わっていたが。気になるのは、変わらずに存在するこの男だ、と尚樹は冷ややかな視線を三代目に向けた。
火影は、すでに五代目となる綱手に引き継がれた。
尚樹の記憶が正しければ、木の葉崩しの際に三代目は死去し、綱手が里に戻ってきたはずだった。
そもそも、三代目が死んで、火影が不在となったから綱手が戻ったわけであって、ついでにイタチも里に姿を現したのだ。
なのに、なぜこの男は生きているのか。
「ほれ、頼まれておったチャクラ刀じゃ」
差し出されたチャクラ刀を受け取る。以前よりもしっかりとした重さが手に伝わった。
刀身を太くしたから、その影響だろう。鞘から抜くと、尚樹がカカシにお願いした通りの形状。
「……これ、カカシ先生にお願いしたはずなんですけど、何故三代目が?」
「カカシから話を聞いての。もともとお前のチャクラ刀を作った人物を二代目に紹介したのはワシなんじゃよ」
「へぇ、そうだったんですか」
「そのチャクラ刀も、同じ人物が作ってくれた」
「……よく、生きてらっしゃいましたね。高齢なのでは?」
「ああ、今は息子に代を譲っておるんだが、折れたチャクラ刀を見せたらなんだか意地になってしまったみたいでのぅ」
「はぁ……でも、職人さんの腕が悪かったわけではないと思いますよ?ずいぶん長い事使ってましたし」
「それでも、絶対に折れん自信があったんじゃろう」
刀身は、つやのない黒。刃の部分だけが鈍い銀色を放っていた。チャクラをこめなくても、切れ味が良さそうだ。
「あとで店を教えてやるから、顔を出しておくと良い。メンテナンスも必要だろう」
「はい、ありがとうございます」
「頼めば、ある程度のものは作ってくれる。お前のは、どれも特注だからそのほうがいいじゃろ」
「ああ……千本も少なくなってきたし、そう言われればそうですね」
以前と同じ様にチャクラ刀を腰に固定する。久々の感覚。最近はほぼ丸腰だったので、なんだか落ち着く感じがした。
「それで、任務ですよね」
「ああ、暗部の方で悪いがの。今回はSランク任務じゃから、先に遺言を書いておいてくれ。ああそれと、いくら白紙でも、名前と登録番号くらいは書いておけ」
「……見ましたね?」
遺言状は本来、任務で死亡しない限り開封される事はない。ジト目で睨むと、三代目があわてて否定した。
「死んだと思ったから開封したんじゃ!」
「さすがに、名前も書かないで提出したの、ここ2、3回の事なんですけど」
シン、と室内が静まり返った。
まあ、べつに見られて困る内容でもないから、構わないのだけど。
渡された紙を受け取って、隣の部屋に移動する。どうせ白紙で出すのだから、こんな配慮はいらないのだけど、真面目に書く人間は他人に見られずゆっくり書きたいだろうと思うので、いつも素直にしたがっていた。
この世界には筆しか無いと思っていたのだが、意外にも鉛筆やボールペンが存在するというのを知ったのは、初めて遺言状を書いた時だ。用意されていた筆立てにそれが入っていたのを見て無駄に感動した覚えがある。
というか、そんな便利なものがあるなら、最初っからそう言って欲しい。現代人が筆をそうやすやすと使いこなせると思うなよ、と尚樹はボールペンを手にとった。
えーっと、自分の忍者登録番号……。
首から下げていたタグをたぐり寄せる。最近、カカシにもらったもので、表に登録番号、裏にカカシの家の住所が書いてある。
色々書類を書いたりするときに便利だなぁ、と尚樹はそれを大人しく肌身離さず持ち歩いているが、実はただの迷子札だ。
それはさておき、相変わらず何も書かずに必要事項を埋め、最後にサインをしてそれを封筒に突っ込み、封をした。死ななければ、切られる事のない封だ。


そういえば、当然の様に三代目から暗部の任務をもらっていたが、よくよく考えれば今の火影は綱手のはずだ。なのに三代目から直接依頼されたという事は、もしかしてこの任務内容は綱手には内緒なのか。
報告書を片手に、火影室に向けていた足をとめる。
今日の任務内容は、三代目からもらった暗殺1件と、いつも通り受け付けでもらったDランク任務1つ。
Dランク任務の報告書は、わざわざ火影に直接提出するはずもないので、受付のおねーさんに渡し済みだ。
このSランク任務の報告書、三代目に提出するべきだろうか、と今頃思い至った次第である。
そうやって悩んで突っ立っている間に、尚樹の気配に気づいたのか、綱手が火影室から顔を出す。
やっぱり、三代目に確認してからにしようと、綱手に小さく手を振った。
「なんだ、おまえまた迷子か」
「失礼な。迷子ではありません、断じて」
「はいはい」
何故決めてかかるのか。まあ、今はその方が都合がいいので、無理には訂正しない。
ちょっと釈然としないものを感じつつ、呼ばれるままに火影室に足を踏み入れた。
「お前、いつもその姿なのか」
「ん?……ああ、子供の姿かってこと?」
「ああ、私とあまり年は変わらないはずだろう」
「いや、一応綱手よりは年下のはず……」
そこまで言って、そういえば綱手は、尚樹がもともとこの時代の人間である事を知らないのでは、という事に気づく。
まあ、確かに見たままの年齢でない事は確かなのだが、悲しいかな、成長が早い方ではないのである。
あまり勘ぐられても面倒だな。
素早く印を組んで、大人の姿になった。
よくよく考えれば、この姿も綱手からしたら若い、という事に気づくのは後になってからである。
「任務の帰りか?」
「うん、今日は屋根の修理」
木の葉崩しの影響もあって、建物の修理の依頼が今は一番多い。下忍である尚樹にまわってくる仕事は、必然的に里の復興に関わるものばかりだ。
「お前、まだ下忍なんてやってるのか」
「ほっといてよ」
尚樹としては、一生下忍で構わないのだが、そろいもそろってこういう反応をされると逆に中忍になりたくなくなるというのもだ。
もう、帰るよ、と背を向けた尚樹の背後で、綱手の笑う気配。どうせ、拗ねたとでも思ったのだろう。
だらしなくパーカーのポケットに手を突っ込むと、かさ、と紙の感触がした。
「ああ、そういえば……」
忘れていた。ポケットの中からそれを取り出し、綱手に放る。
危なげなく受け取った綱手は、それに眼を瞬いた。
「あんまり水やりしなくても大丈夫なタイプだから、それ」
あげる、といい残して尚樹は火影室を後にした。