徒野-4-

「そういえばカカシ先生、この間チャクラ刀を折っちゃったんで、新しいのが欲しいんですけど」
台所で二人並んで、茶碗を洗っていると、尚樹が思い出した様に顔を上げた。差し出された茶碗を受け取って布巾でぬぐう。
チャクラ刀、と言われて何の事だと首を傾げる。
「ん? 鬼鮫とやり合った時のやつ?」
「はい」
意味深に姿を消しておいて何事もなかったかの様に戻ってきた尚樹は、いくつかカカシの知らない武器を持っていた。
千本は昔から好んで大量に使っていたが、最近食器棚に並べられているそれは、通常のものよりずいぶん短い。
瓶詰めにして当然の様に食器棚に入れられていた時は眼を剥いた。
ついでに、冷蔵庫を開けて、静かに閉めた。瓶詰めにされたあげく、「毒・甘」「毒・強」「毒・うま」などと書かれて陳列されているそれが何かなど、疑う余地もない。
甘、とかうま、という表現が気にかかるが、見ないふりをした。いつから俺の家はこんなに物騒になった、と嘆いたのもつい最近の事だ。
チャクラ刀も、そのうちの一つで、以前は持ってすらいなかった。
茶碗を洗い終えた尚樹が、折れたチャクラ刀をもってくる。
それを受け取って、ずいぶん使い込んであるな、とわずかに残った刀身をながめた。
「……変わった形だね。同じのが良いの?」
「いえ、今度はもっと刀身の太いやつにしてもらおうかと思って」
これだと華奢で強度的に問題があるので、と筆で絵を書いてみせた尚樹に、相変わらず下手だ、と苦笑した。どうにも筆の扱いが苦手らしく、字も絵も潰れがちなのだ。
「これって太さはどのくらいなの?」
このくらいです、と手振りで示した尚樹に、また適当な事を、と呆れつつも10センチくらいか、と当たりを付けた。
「お前の手には大きすぎるんじゃないの」
「うーん、でもそんなにぽんぽん折れても困るし……」
「というか、これ、刀身が二つに分かれてるのは意味あるの?」
そもそも折れて困るのなら、二股である必要はない。元の形もそうだが、これでは必然的に強度が落ちる。
「あれ? ソードブレイカーってそう言うものじゃないですか? 三又のもあるみたいですけど、それだとまた刀身が細くなっちゃうかなぁって」
「ソードブレイカーねぇ……」
なんでそこまでソードブレイカーにこだわるかねぇ、と尚樹の頭を撫でた。カカシの周りでも、尚樹の周りでもそんな武器を使う人間はいない。あまりメジャーな武器ではないはずなのだが、一体どこで見聞きしてきたんだか、と目を細めた。


「これを尚樹が?」
折れてしまった刀身を三代目がまじまじと見遣った。無理もない。カカシも初めて見る武器だった。尚樹に言われてはじめてソードブレイカーというものを調べてみたのだが、意外と一般的な形だったらしい。尚樹が欲しいと言っていた二又や三又の物の方が少ないようだった。
「はい。先日の干柿鬼鮫との件で破損したみたいで……今度は折れない様にもっと刀身が太い別のタイプが良いそうです。特殊な形なので、どこに依頼しようかと思っているんですよ」
尚樹の書いた絵をポケットから引き出す。普通のチャクラ刀とは違うし、形も一般的とは言いがたい。尚樹の使い方を見ていると、チャクラ刀としての用途よりも、通常の戦闘に用いる機会の方が多そうだ。あの鮫肌を受け止めるのに使った所を考えると、かなりの強度が必要になるだろう。
これも、よくあの一撃目で折れなかったもんだよな、と今はもう粉々に砕けた刀身に目をやった。
「ふむ……カカシ、この件はわしに任せてくれんか」
「私は構いませんけど……良いんですか?」
「ああ……これを作れそうな人間に心当たりがある」
急にそう申し出た三代目にカカシは首を傾げながらも、どうするか悩んでいる所だったので、渡りに船とばかりに乗せてもらう事にした。
部屋を出ていくカカシを見送って、ヒルゼンは机の上に置かれたチャクラ刀に視線を落とした。
「やはりお前だったか、尚樹」
思い出すのは、たった一度任務をともにした暗部の男。痩せた体躯と、烏の面。
かつて別れたときに受け取った烏の面に、もしかしたら、とは思っていた。暗部としてのコードネームを決めるときに、本人がリュークが良いと言ったときにほぼ確信となったそれを、ずっと確認する事が出来ないままだった。
チャクラ刀を手に取る。ヒルゼンの手には少し小さい。
「良い武器職人を知らないか」
と尋ねた二代目の事を思い出す。知り合いを紹介したら、後に店主から「もう、恨みますよ」と冷たい視線を向けられた事がある。
理由を尋ねれば、二代目から頻繁に注文が入るのだと言う。それも特殊なものばかり。
千本にはじまりクナイ、チャクラ刀。文句を言いながらもまんざらでもなさそうな店主に苦笑したものだ。
今はもう、店主が高齢のため息子が跡を継いでいるが、彼も父親にまけず劣らずいい腕をしている。これも、何かの縁なのだろう。
いったいどういう折れ方をしたのか、不可解な断面を指先で撫でる。役目を終えたチャクラ刀は、鈍い輝きを反射するだけだった。


ガイが任務で里を離れているので、尚樹はひとり早朝恒例のランニングにでかけた。
一人なので、ランニングコースをたまには変えてみようと思った。べつに、道に迷ったわけでは断じてない。
帰りはどこでもドアで帰ろうかな、などと本末転倒な事を考える。
視線の先に慰霊碑を認めるが、尚樹はそもそも慰霊碑が里のどの辺りにあるのか把握すらしていないので、もちろん家の方向も分からない。
見晴らしの良い木の上に座り込んで休息を取りながら、周囲の様子に眼を向ける。まだ薄暗い木の葉の里に、僅かばかり光がともり始めていた。
「火影岩があっちに見えるってことは……家はどっちだ?」
家への帰り道を思い出しながら、なんとか方角をわりだす。そう、きっとあの辺だ。たぶんきっとそう。
家の位置が分かった所で、帰る前に念の鍛錬をすることにする。
流れる様に纏から流、そして硬。あまり得意ではないのだが、堅の状態を3分ほど維持。
凝をしてオーラで文字を書き、円を広げてすぐ近くて引っかかった気配に絶をした。
さすが忍者、気配が薄い、などと今さらな事に感心する。
尚樹は慰霊碑の前に立つカカシの姿に、僅かな記憶を呼び起こされた。
ああ、そう言えば、そうだったか。
カカシがいつも遅刻する理由、その悔悟。
これから先、彼がここに立つことがなくなる日は来るのだろうか、と濁った空を眺めた。
たとえば、自分が死んだら、彼はまたこうして毎朝ここにこうべを垂れるのだろうか。

もうどれくらいそうしていたのか、ようやく気がすんだらしいカカシがその場を去った。
カカシが立っていた場所に、尚樹も立ってみる。
細かな字が並ぶ慰霊碑は、尚樹にとって何の感慨も無い。ここにいったい何があるというのだろう。魂も、亡がらさえもこの下には何一つないというのに。
最近彫られた名前を追って、そこにハヤテの名前を見つけ、やっぱり死んでいたのか、と数えるほどしか言葉を交わさなかった彼の顔を思い出す。
残念なことに、どれも紙面上のものだった。数えるほどしか言葉を交わさず、気まぐれに助言を与えた。ただそれだけの関係だからだ。
なんとなく名前を順に追っていって、知らない名前の中に、知った名前を見つけ、それを指でなぞった。
冷たい石の感触は、そこに彼の魂が無いことを伝える。
はたけサクモ。
その名前は、本来ならここに刻まれるはずの無かったもの。彼の人生を変えるような何かがあったのかもしれない。
できれば老衰とか、もっと平和的な死に方をして欲しかったけれど、と少しばかり懐かしい気持ちになった。
予定よりもずいぶんと長生きしてくれたようだし、それでよしとしよう。
ミナトの名前もあった。記憶に残る彼はまだ若いままの姿だけれど、火影姿も見てみたかったなあ、とまぶしいまでの金髪を思い出す。
さらに名前をたどって、尚樹はそれに気づいた。
まともに刻まれた名前を見たのは初めてだったから、今の今まで気づかなかった。
これは、ずいぶんと昔のものだけれど、自分の名前がある。
殉職したことになっているのか。
いったいいつ頃に彫られたものなのだろうと、その凹凸に指先で触れる。桜蘭から戻った時ではないだろう。約束通り、カカシの記憶は消してくれたようだったが、ミナトは自分の記憶を消しそうには見えなかったし、なにぶん付き合いが長い。言っといてなんだが、尚樹の記憶だけ消すのは困難だろう。
ならば、もっと前の時代。
二代目と最後の任務に行った時だろうか。
「あれ? そう言えば……」
二代目との任務に出る前に、綱手と約束をしたような気がする。他愛ないそれは、いまだ果たされてはいない。
「今さら覚えてない、か……いや、待てよ。執念深い綱手の事だし、万が一という事も……」
むう、と考え込んで、やはり後が怖いと尚樹はきびすを返した。


ゲンマといつも通りDランク任務をこなして、街がオレンジ色に染まった頃、尚樹は火影室の窓をたたいた。
「……お前は……来るなら正面から来い」
「いやだって、ここ来るのチェック厳しいし」
はあ、とこれみよがしにため息をついた綱手を気にもとめず、尚樹は手を差し出した。
その意図する所をつかめず、綱手は眉をひそめる。
「ご飯食べに行こ」
「急に何の話だ」
「うーん、急にっていうわけでもないんだけど。まあ、約束したし」
尚樹の言葉に綱手が眼を見開く。その静かな反応に、やっぱり覚えてたか、と尚樹は苦笑を浮かべた。
「……遅い」
責める様に絞り出した声は、僅かに震えているようだった。
「うん、ごめんね」
「長くても3日って言ったくせに」
「……うん」
「帰ってきたら、お礼するって言ったのに」
「うん。だから、二人でご飯、食べにいこう?」
おごるからさ、と言う尚樹の言葉に、綱手は、当たり前だ、とようやくその手を取った。

泥酔状態の綱手を背負って、尚樹は暗い道を歩いた。あと数分もしないうちに綱手の家に着く。
ぐでんぐでんに酔っているわりには、尚樹が道を踏み外しそうになると、綱手が行く先を示した。
星を眺めながらゆっくりと歩く。
じっくりと話してみれば、綱手は予想以上に約束の事を根に持っていた。忘れているかもしれない、という尚樹の希望的観測は、あまりにも楽観的すぎた。
一気に軽くなった財布に苦笑しつつも、別に嫌ではない。これで綱手が少しでも機嫌を直してくれるなら、安いものだ。
ドアの鍵を念で解除。綱手の部屋には、何度か入った事がある。
ドアを押して中に入る。一瞬迷ったが、寝室まで綱手を運んだ。
起こさない様にベッドに下ろして肩まで布団を引き上げる。すぐにあつい、とそれをはぎ取った綱手に苦笑して、もう一度それをかけてやった。
そのままでは勝手が悪いだろうと、髪を結っているひもをほどく。長い髪がするりと解けてシーツの上に広がった。
窓から差し込む月の光に視線を向ける。電気をつけていなくても室内を明るく照らすそれに手をかざして、床に影を作った。
もう一度ベッドの綱手に視線を向けると、険しい顔で眠っている。おおかた、自来也の夢でも見ているのだろう、と失礼な判断を下す。
部屋の中を見渡すと、少し散らかっていた。医学書の類いだろう、本棚に収まりきらず、床にも積んである。いくつかは読みかけなのか、開いたまま放置されていた。
あまり女性らしくない部屋だが、綱手らしい。
窓際に置かれた鉢植えだけが、なんだか異質にうつった。
何も植わっていない割には、土が程よく湿っている。薬草かな、と尚樹はその縁に触れた。
綱手の身じろぐ気配に視線だけを向けると、じっと見返す瞳があった。
「……枯れてしまったんだ」
「……?」
この鉢の事だろうか、と尚樹は視線を再び土の上に戻した。まるで、種を植えたばかりの様な印象を受ける。
「お前に世話を頼まれたのに」
「……ああ」
ありましたね、そんな事も。というか、その御礼にご飯をおごったわけだが、まさか無精者の綱手がいまだこの鉢を持っているとは思わなかった。
「別に、気にしなくて良いのに。あれは1年草だから、枯れて当然なんだよ」
「嘘をつくな。これでも、ちゃんと調べたんだからな」
「……良いんだよ。誰かに見てもらえれば、それで」
花なんて、そんなものだ。少なくとも尚樹にとっては。誰かの慰めになれば、それで充分なのだ。
「きれいだったでしょ?」
「……ああ」
サクモは絡み酒だったけど、綱手は泣き上戸かぁ、とその不安げな表情を見遣る。
その頭を枕に押し付ける様に撫でて顔にかかる長い髪を後ろに流してやると、暗い中でもその額にチャクラが集中しているのが見て取れた。
そう言えば、綱手は額にチャクラをためているんだったか。
手の平にあたたかな感触。するりと自分のオーラを流し込むと、抵抗もなくのまれていった。
綱手の呼吸が深いものに変わっていく。
「……おやすみ」