徒野-3-

イタチに月読をかけられたカカシはいまだベッドの上だ。
意識の戻ったカカシやゲンマ、アスマ達に当然のごとく質問攻めにされた尚樹は、三代目に急に任務にかり出されました、とさり気なく罪をなすり付けつつ、なんとか周囲を納得させる事に成功した。
というか、実際には問いつめられた三代目がうまく口裏を合わせてくれたので、納得せざるを得なかったというだけなのだが。
リンゴを持って見舞いにきた尚樹は、ベッドの脇でさびたパイプイスに座って果物ナイフがないと視線を巡らせた。
カカシとアスマの会話を頭上で聞きながら、代わりになる物を探す。
クナイ……尚樹は全く気にならないが、以前それでミナトにリンゴをむいてやったら、すごく微妙な顔をされた。
ちゃんと洗ったよ、と言ってもよけい微妙な顔をされるだけだった。
おそらく同等の理由でチャクラ刀も駄目だろう。しかも折れている。
千本はさすがに無理。
数日前に持ち込んだトランプが目に入ったが、果汁で濡れてしまいそうなので却下する。
やはりクナイか。持ち歩いている3本のうち、一本は毒が塗っていない。殺してはまずいとき用に持ち歩いているものだ。
ホルスターからそのクナイを抜く。
一瞬で三人の視線が自分に集まり、一体何事かと左手にリンゴ、右手にクナイの状態で尚樹は固まった。
「尚樹、何人だ」
「……4人では?」
見ての通り、この部屋にはカカシとアスマ、紅と尚樹の4人しかいないはずなのだが。質問の意図がつかめずに尚樹は首を傾げた。
部屋の空気が気のせいでなく張りつめている。
一体なんなのだろう。彼ら会話を追っていなかったので、今の状況がよく分からない。
……とりあえず、リンゴをむこう。
さく、とクナイの刃をリンゴにあてた所で緊張が緩んだ。何事かと目だけ動かすと、全員が額を押さえて重々しいため息をついている。
「……どうかしたんですか?」
「いや……おまえ、リンゴが剥きたかっただけか、もしかして」
「はあ、他に、何が?」


音を立ててドアをあけたその顔は、自来也とは違い、以前とそう違いない。綱手って、いくつだっけ、とその若々しい顔を眺めた。
次の瞬間には視界いっぱいに拳が迫る。
ベッドに頬杖をついていた状態からの回避はかなり苦しい。子供の体であった事もあって、イスに座った足は地面についていなかった。
頬杖をついていなかった方の手でとっさに拳の軌道をずらす。手の甲で相手の手首あたりを下から押し上げた。綱手の腕が頭上すれすれを通過。
その場で変化して体を少し成長させると、地面に足がつく感触。
既に繰り出された二撃目を回避するために、後方にとんだ。がたん、と音を立ててパイプイスが倒れる。
ベッドから壁までの距離はあまりない。
ちょうど開いていた窓枠に着地出来たが、下手すれば窓ガラスに激突していただろう。
なんだろう、この光景。どこかで見た事がある。
綱手の後にはサクラやナルト、シカマルの顔がちらりと見える。
すぐにベッドを飛び越えて足を振り上げた綱手に、尚樹はまた変化した。
単純に、リーチ稼ぎだ。
紙一重で綱手の蹴りをよけて、同じように繰り出した蹴りをとめられ、顔面にむかってまたも拳が突き出される。
一体どんな恨みを買っているんだ、と言いたくなるほど怒濤の攻撃である。
とっさに変化を解いて子供の体に戻る事で、頭の位置を低くする。
「……このっ、ちょろちょろと!」
「いや、単純に考えて攻撃食らったら致命傷ですってば」
念を使っていないのにこの怪力。全力で避けるのは当たり前である。
避けているだけでは埒があかないので、とっさに近くにあったトランプを手に取った。
こんな狭い病室で逃げ回るには限界がある。どうせ、攻撃しても当たらないよね、と高をくくって尚樹はトランプを数枚、僅かに軌道をずらして綱手に放った。
もちろんそれは綱手にはあたらず、壁や床に突き刺さる。ただの威嚇のつもりではあったが、こうも華麗にスルーされるとしょんぼりするというものだ。
少しは怖がってくれないものだろうか、いや無いな。
というか、ここは曲がりなりにも病室なのだが、そこの所どうだろう。
「落ち着いて下さい、ってば、綱手様」
攻撃を避けながら宥めるようにそういえば、拳のスピードがあがった。何故だ。
攻撃を防いだ腕がしびれる。思わず顔をしかめた。
皆、見てないで助けてくれれば良いのに、と出口近くに着地。蟻の子を散らす様にサクラ達がその場から離れる。ひどい。
さて、どう収集をつけるか。
昔はここまで攻撃的じゃなかったはずなのだが。
言葉で通じないという事は、尚樹に残された手は考えうる限りでは2つだけだ。
一つは、もちろん逃げる。もう一つは出来ればあまり使いたくないのだが、尚樹の知る限り一番確実。昔から乱暴者の綱手が、もっとも嫌う事。
痛覚を遮断する。最近ようやく出来るようになってきたゾルディック直伝のわざだ。
かなり緻密なオーラのコントロールを要するので、まだ完全には出来ない。
意を決して飛んできたクナイに手をかざした。
無意識なのかなんなのか、綱手のチャクラコントロールは念のそれに近い。
だからこその怪力で、クナイは尚樹の予想を超えて手の平を貫通し、僅かにその頬の皮膚を持っていった。
念で覆っていなかったとはいえ、まさか貫通するとは思わなかった。
本来なら大して流れるはずもない血も、無防備だったために思いのほか勢い良く散って肌を汚した。
痛みは、ない。
なんとか成功したか、と尚樹はゆっくり息を吐き出した。集中が切れれば、痛覚も戻る。いつもより少ないオーラで手の平を覆って急ぎ止血をした。
「……落ち着け、綱手」
硬直していた綱手の肩がわずかに揺れる。まさか怪我をするとは思っていなかったのだろう。昔から、不意打ちで仲間が怪我をすると思考回路が凍るのか、綱手は息さえも忘れたように固まる。もちろんすぐに我にかえって治療してくれるが。
「病院では静かにね。あと、カカシ先生の治療をよろしく」
「……馬鹿か! お前が先だ、手を見せろ!」
「俺は平気……痛くないし」
カカシ先生の治療終わったら、話聞いてあげるから、ときびすを返して廊下に出た。本当は猛烈に帰りたいが、そう言うわけにもいくまい。
ドアを閉めようとした手を取られて顔だけで振り返る。シカマルだ。なんだかとても久しぶりな気がする。いや、実際久しぶりか。
一緒に外に出たシカマルは無言でドアを閉めた。まあ、今のやり取りで不審に思うなという方が無理か。シカマルは頭がいいから、適当な事は言えないな、と窓の外に視線をやった。
「……手、大丈夫なのかよ」
「んー、まあ、痛みもないしきれいに貫通してるし、特に問題はないんじゃないかな」
「……痛みがないのか?」
「うん」
「……かせ、止血くらいはしてやる」
自分より背の高いシカマルの顔を見上げる。その表情の意味する所を測りかねる。でも、なんとなく怒っていそうだ、と狭くなった眉間を眺めた。これと同じ表情をどこかで見た事がある。
「……ありがとう」
「礼はいらねえから、二度とこんな事するなよな」
面倒くせぇから、といつもの台詞を言ったシカマルに思わず笑みが浮かんだ。
「シカマルカッコいー」
「ちゃかすんじゃねぇ」


「あの……これは一体どんな罰ゲームでしょうか」
沈痛な面持ちで尚樹は縫われていく自分の手に視線を落とした。
痛覚は遮断しているので痛みはない。痛みはないが。
「治療しなくていいって、あれほど言ったのに……」
「お前の病院嫌いは健在だな」
「いや病院っていうか、綱手の治療が乱暴なんだよ」
「何か文句でも? これでも医療忍術のスペシャリストだぞ」
「でも乱暴だよね」
沈黙が落ちた。
一体どこで治療をしているかと言えば、カカシ先生の病室だ。もちろん、他の人間もその場に残っている。凄く視線が痛い。いったいどんなプレイだろう。
「何が言いたい」
「……せめて麻酔の一つもして下さいって言ってるの。毎度毎度麻酔無しで縫われる方の身にもなって欲しいよね。さすがのオレもこれはない」
「……すまん」
綱手が気まずげに視線をそらす。
おい、その顔、素で忘れてたろ、と尚樹は頬を引きつらせた。だから綱手の治療は嫌なのだ。
縫い終わった傷口を白い包帯が覆っていく。帰ったら治しておこう、と痛覚が戻ればひどく痛むだろうそれにため息をついた。
それにしても。
目の前に座る綱手の姿を尚樹はじっと見つめた。昔と変わっていないようで、やはり変わっているようだ。
「……な、なんだ?」
「いや……それ、盛ってんの?」
むかしはそんなんじゃなかったよね、と胸元を指差した尚樹に、病室の空気が2、3度は確実に下がった。
ぶすり、と乱暴に針が傷口をえぐる。ぐろい、とその光景を他人事の様に見届けてから、尚樹は抗議の声を上げた。
「だから、綱手は乱暴者だって言うんだよ」
「ふん、痛覚が死んでいるようなやつに打ってやる麻酔なんてない」
肯定も否定もされなかったな、と不自然に豊満な胸元に目をやって、目に毒だ、と目を閉じた。ついでに、綱手の実年齢を計算して、死にたい気分になる。
「あー、なんだその、いろいろ聞きたい事があるんだが」
頭をかきながら口火を切ったアスマに、尚樹はさてどうしたものかとようやく解放された手をさすった。
この状況、追求を逃れるのはまず無理だろう。自来也がいれば、また違ったかもしれないのだが、肝心のときにいないのが奴である。

「アスマ、ちょっと待って」
まだ頼りない体で、カカシはベッドから身を起こした。ベッドから足を下ろして、綱手に向き合う様に座る。
綱手は彼にとって最後の希望だった。いろいろ疑問はある。だが今はそれ以上に。
「綱手様、尚樹の腕を、左腕を見てやって下さい」
座ったままの状態で頭を下げた。もう、神経がつながっていないのは尚樹の言動からあきらかだった。それでも、一縷の望みにかけてみたい。
「カカシ先生……」
「尚樹、腕を怪我しているのか」
いったい何の事だ、と顔をしかめた尚樹は、綱手の質問を頭で反芻して、ようやくそれに思い至る。服の上から切断した位置に触れ、無言で返した。
「中忍試験中に左腕を切断しました」
「……本当なのか、尚樹」
綱手の問いかけに答える代わりに尚樹はイスから立ち上がった。
視線は避難経路を探す。
「尚樹」
乞うように尚樹の名を呼ぶカカシに、視線を向ける。困った。非常に困った。まさかカカシがここまで自分の腕の怪我を気にかけていると露ほども思っていなかった尚樹は、突然蒸し返された話題に冷や汗ダラダラである。
念で治した腕は表面上の傷を残すのみ。
さすがの尚樹も、あの傷が跡も残らないとあっては不自然と踏んで、跡だけは残しておいた。だが、既に古傷のような状態になっている。
尚樹にとってあの事件はずいぶん前の話だが、この時代では非常にフレッシュな話題だという事を失念していた。
「腕の事なら、本当に心配無用です、よ。時間が立てば、傷は治ります」
「そんなレベルの怪我じゃないでしょ」
「いや、ほんとに。別に戦闘の邪魔にならないし、オレ的には問題ないです」
「尚樹」
うわああああ、そんな目をしないで! と叫んでしまいたい。ものすごい罪悪感を刺激されながら、尚樹は言葉を探した。これはまずい。
助けて、自来也、と心の中で呼んでみるも、もちろん影も姿もない。
助け舟は、意外な所から出された。
「……切断された状況は」
「戦闘中に腕をとられて自らクナイで切断しました」
綱手の問いに間髪いれずに答えたのはシカマルだ。切断面は? と続けて問うた綱手に、尚樹は渋々答えた。
「オレのクナイの切れ味は、知ってるでしょう」
「オイ、その気持ちの悪い敬語をやめろ。もぐぞ」
「一体何を……綱手、落ち着いて。顔が恐いから」
「誰のせいで……どうせ、その程度の傷、自分で治しているんだろう」
不機嫌そうに言い放った綱手に、尚樹は真意をはかりかねた。たしかに、その通りではあるのだが。腕を切断するというのは、この世界では「その程度」ではないはずだ。だからこそ、カカシ先生もこうして話を蒸し返したのだろうし。
「カカシも、こいつに対して心配は無用だ。こう見えて医療忍術の腕はぴか一だぞ」
「いや、それは買いかぶり過ぎだと思うんだけど」
「おまえ、以前指を落とした時も足を落とした時も自分でくっつけただろうが」
「いや、一応どっちも切断には至ってないから。大げさだから」
「似たようなもんだろう」
「ちーがーいーまーすー。あれはちょっとした切り傷だから。毎年鎌で足切るやつの一人や二人いーまーすー」
じりじりと後退しながら、無表情のまま、それでも子供らしく反論した尚樹に、綱手は軽く鼻で笑う。
「ふん、お前のずれた基準などアテになるか。だいたい、一度鎌で切ったやつは二度はやらん」
「心外なんですけど? さすがのオレも二回までです」
2回もやったのか、こいつ、と一度も鎌で怪我をした経験のない面々はそのやり取りを静観した。
尚樹の言葉に、綱手は一つの確信を得る。拳に力を込めた。
「……やっぱりお前、あのとき他人のふりをしていたな?」
「あのとき?」
っていつ、と尋ねる間もなく襲いかかった拳が尚樹の立っていた場所を砕く。だからここは病室だと、何度言えば分かってくれるのか。とにかく、ここにいるといたずらに被害を広めるだけだと判断して、尚樹は狭い部屋の中で頭を打たないよう体を丸めて空中でくるりとまわった。
ちょうどベッドの上に着地すると、ベッドのパイプが苦しげに音を立てる。貧弱なスプリングが押し返してくるタイミングにあわせて軽く跳躍。窓枠におりた。
夜一がその肩に飛び乗ったのを確認して、そのまま窓枠を蹴り、外へと身を投げる。
とりあえず、綱手が冷静になるまで、時間を置こうそうしよう。
背中から落ちたのでよく晴れた空が見える。このあと、何が起こるんだったか、とぼんやり考えながら杖を振ってその場から姿を消した。