徒野-1-

乾いた風が砂を巻き上げる。瓦礫の上には人だったもの。
その中に埋もれる様に彼はいた。
ざり、と細かな瓦礫を踏む。そっとその首もとに手をのばした。
微かに脈打つ血管。まだ、生きている。
チャクラ刀を抜いて、カカシの上にある瓦礫を砕いた。
「すぐ治してあげますからね」
ホコリっぽくなってしまった銀髪にそっと触れる。思えば、カカシ先生の銀髪に触れるのはこれが初めてだったかもしれない。


後ろに現れた気配に、尚樹は地面に膝をついた状態から体を反らして振り返った。
眼前に迫る攻撃に止まっていた思考回路が一瞬にして動き出す。避ける事は既に不可能な距離。オーラは右手に集まり形をとった。
すんでのところで攻撃が止まり、つめていた息を細く吐き出した。
間に合った。右手の中に具現化されたストップウォッチにちらりと視線を向ける。
攻撃はもちろん、相手も、周りの人間も動きを止めていた。
見た事のない敵。額あてから雨隠れの里の忍びだと知れた。横一線に傷がついている所を見ると、抜け忍か。
いや、それよりも、あの羽織。
「……暁?」
今がいったいどの場面なのかは皆目見当がつかないが、タイミングがいいのか悪いのか、判断に迷う所だ。
てっきり、木の葉崩しの場面かと思ったのだが、どうも違うようだし、と尚樹は改めて周りを見回した。
「カカシ先生」
とりあえず安全な場所に移動しようとカカシの肩を揺すると、ゆっくりとその瞳が開く。
「……尚樹」
「カカシ先生、立てますか?」
「……ああ」
「良かった。じゃあ、行きましょう」
「どこへ?」
「安全なところへ」
差し出した手を、戸惑う様にカカシが見つめる。まあ、無理もないだろう。先ほどまで死にそうだったのだから。
「……だが」
「大丈夫。もう、大丈夫ですよ」
大丈夫。ここは木の葉だ。ナルトがいる限り、滅ぶ可能性は低い。
常人には理解されない思考回路でその結果を導きだした尚樹は、確信のこもった声で告げた。
その言葉に納得したのかは分からなかったが、ゆっくりとカカシが尚樹の手を取る。
まだおぼつかない足取りのカカシの手を引いて、尚樹は瓦礫の上を歩いた。
繋いだ手の平は暖かく、そこに確かな生を感じる。
もはや風はなく、音もなく、ただ静止した世界だけがあった。
「……おまえ、ずいぶん大きくなったね」
「ああ、この姿ですか? まあ、いい加減年も年ですしね」
実際には変化しているだけなのだが、説明しだすと面倒なことになるので流しておく。
おそらくだが、ここはもともと尚樹がいた時間軸はもとより、尚樹の持つ知識よりも更に未来だ。子供の姿のままでは不自然だろう。
「おまえに、話したい事がたくさんあるんだよ」
「お説教ですか?」
「それもまあ、あるかな」
「そこは省いてもらえると助かります」
長い間留守にした。きっといきなり姿を消した自分を不審に思っているだろう。
尚樹にはむしろ、こんな風にカカシが淡々と話している事の方が不思議だった。
もっと、いつかの様に、静かに、笑顔で怒られるものと覚悟していたのだが。
「もう一度、会いたいと思っていたよ」
カカシのその言葉に、ふと、自分は死んだ事になっていたのだろうか、と尚樹は一つの可能性に思い至った。
急に姿を消したのだ。死んだものとして処理されていてもおかしくはない。だから、こうしてカカシは怒るでもなく、自分に話しかけているのだろうか、と。
返す言葉に迷う。会いたかったと、カカシは言った。尚樹が生きていると、信じてくれていたのかもしれない。
「……ありがとうございます。俺は薄情だから、もうカカシ先生に会うことはないかなって、思ってたんですよ」
「お前ね……そこは嘘でも会いたかったって言っときなさいよ」
「はあ」
気の抜けた返事を返して、もうずいぶんと見ていない顔を脳裏に描く。会いたい人はたくさんいるのだ。
もちろんカカシ先生も。この世界にはいない保護者にも。
現実の人間以上に、ハンター世界で会った人間ばかり浮かんでくる事に、苦笑する。きっと付き合いの密度が高かったせいだろう。
「……カカシ先生は、俺の事忘れちゃっても良いんですよ。というか、どうぞ積極的に忘れて下さい」
「……お前、何言ってるの」
「俺は木の葉の人間じゃないし、ほんのちょっとしかカカシ先生の所にはいなかった」
木の葉どころか、この世界の人間ですらない。ハンターの世界より前に、尚樹には尚樹の生まれた世界がある。ずっとずっと、誰にも口にした事のない尚樹だけの秘密。夜一ですらも、知る事のない真実。
握る手に引き止められ、尚樹は立ち止まってカカシを振り返った。
大人の姿に変化していても、カカシの方が背が高い。
「それでも、忘れられるわけないでしょ」
「俺はね、カカシ先生。もし、俺が死んだとして、別に花を手向けて欲しいわけでも、泣いて欲しいわけでもなくて、それくらいならいっその事、全部忘れて楽しく生きてくれたら、それで良いんですよ」
死んだ人間は、二度と戻らない。
ほんの少しこの世界に居座っただけの自分の存在なんて、あってないようなものだ。だから、忘れてくれて構わないのだと、そう思う。
つないだ手にぐっと力がこもる。
眉間にしわを寄せたカカシの姿。狭い視界からそれを眺めて、つけっぱなしだった面をはずした。
その表情の意味を全く理解出来ないわけではない。
昔から、そう言う感情とは縁遠く、時折その薄情さを他人に責められた事もある。
自然と苦笑が漏れた。彼も、こんな自分を責めるだろうか。それは少し、悲しいような気もした。
「……疲れたでしょう、カカシ先生。もう、休んでも大丈夫ですよ」
傷は治っても、体力は戻っていないはずだ。チャクラを使い切っているのは、目に見えて分かっていた。先ほどから、立っているのもやっとという風情のカカシに、尚樹は向かい合った。
尚樹の言葉が合図だった様にカカシのまぶたがゆっくりと降りて、体の力が抜け、かくりと膝が折れる。その体を受け止めて、尚樹は背中をぽんぽんとたたいた。
なんだかんだと、いつもチャクラを使い切ってしまうのはカカシの悪い癖だ。もっと自分の体を大事にしろ、とカカシに言われた事があるが、まさに自分の事は棚上げ状態である。
「……お疲れさまです」
よいしょ、と自分より背の高いカカシを背負って移動する。とりあえず、被害の少なそうな所に移すしかない。皆、他人の事まで手が回らないだろう。
おそらくこの状況下でカカシが死亡する確率は低いと見て、その体を隠すことにした。
争いの中心は、見れば分かる。放射状に広がる被害の大きさから、どの辺に敵がいるのかも、そしてナルトがいるのかも容易に想像がついた。
どこでもドアでも使ってぱっと移動したい所だが、残念無念。道具は複数を同時に具現化出来ない。
はあ、とため息をついて、瓦礫の上をのろのろと移動する。
カカシを背負った事によってフードの中から追い出された夜一が尚樹の前を歩く。
ずいぶんと歩いて、里の端も端、木の生い茂る所まで来た所で、尚樹はようやくカカシを下ろした。
たぶんきっと、この辺なら大丈夫だろう、と曖昧になった距離感に気づかないふりをする。もはや、どのくらい離れているのか、あるいは離れていないのか、尚樹には分からなくなっていた。
今の所被害も及んでないようだし、大丈夫でしょう、と無理矢理自分を納得させて地面を軽く掘る。
「何をやってるんだ、お前は」
「穴を掘ってるんだよ?」
「いや、見れば分かる……まさか埋める気か」
「うん。意外と土のなかって快適だよ?」
「……死ぬぞ」
「顔は出しとくよ〜。まあ、イルミさんはいっつも頭まで潜っちゃうけど」
慣れた様子で穴を掘る尚樹に、夜一は器用に前足を合わせてカカシの幸運を祈った。
あの人外どもと一緒にされてはひとたまりもないというものだ。同情を禁じえない。
そうしている間にもカカシの体がどんどん埋まり、尚樹の宣言通り顔だけ土がかかっていない状態になった。
一度掘り返したとは思えないほど地面は元通りになっており、顔が出ていなければそこに人がいるなどと思わないだろう。
仕上げとばかりに枯れ葉や草で顔まで覆い隠した尚樹は、手をはたいてこんなものか、と一人頷いた。
やるべき事もやったので、いい加減に時間を戻さないといけない。手の中に具現化していたタンマウォッチを操作して、世界は時間をとり戻す、はずだった。
「……あれ?」
いっこうに変わる事のない風景に尚樹は首を傾げる。具現化をといてみても状況は変わらない。妙な汗が背中を伝う。
これは、俗にいうドラえもんの道具の欠陥。
いやまて、と一人頭を抱える。たしか、なにかあった。確かにタンマウォッチはときどき時間が戻らなくなるという欠陥があったように思う。だが、ちゃんと復帰する方法もあったはずなのだ。
ドラえもんの道具は、欠陥も多いが、救済措置もあるのが通常だ。
思い出せ自分、と遥か昔の記憶を探る。
「なんだっけ……すっごい根本的な所をなんとかすれば良かったはずなんだけど」
「根本的な所、ねぇ」
何やら一人悩んでいる飼い主に、夜一は毛繕いをしながら、呑気に言葉を反芻した。
相変わらず、自分の飼い主は、自分の能力で自爆しているようである。
ひとしきりうんうんうなった後、ようやく思い出したのか、ぽん、と尚樹が手を打った。
「そうだ、たしか、時間をとめる前にさかのぼれば良いんだ」
「それが出来りゃ苦労しないだろ」
「いや、そのためのタイムマシン……」
そこまで言って、尚樹は盛大に頭を抱えた。飼い主の珍しいその様子に、夜一は首を傾げるばかりだ。
解決策が見つかったらしいのにこの苦悩ぶり。一体なんだというのか。
「一応聞いとくが、どうした」
「……いや、すっごい今さらなんだけど、そういえばタイムマシンっていう便利な道具があったなー、って。わざわざ龍脈の力を使うとか不確実な事しなくても、簡単にもとの時代に戻れたんじゃ……」
「……つまり、お前の念能力でタイムマシンが使える、と」
こくり、と頷いた尚樹に、夜一は言葉もなく白い視線を向けた。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでとは。
いかに彼が元の時間軸に戻る事に重きを置いていなかったかが分かるというものだ。
はあ、と肩を落としてはずしていた面をかぶり、子供の姿に戻った尚樹は気を取り直して意識を集中させた。
その後はもちろん、そのタイムマシンとやらで無事元の時間軸に難なく戻った、とだけ記しておこう。