空蝉-31-

一番高い塔は王宮。その上に立って、尚樹は街を一望した。何度目かのパレードが始まる。これだけ惜しげもなく見るもののないパレードにエネルギーを費やしている所を見ると、龍脈の力はほぼ無尽蔵なのだろう。
「こんな所にいたの」
「ミナト……居場所なら最初っから分かってただろ」
「分かる訳じゃないよ。移動出来るだけ」
「どっちでも一緒だって……それより、ムカデは?」
「ああ、そっちはシビ達に任せてきた。彼の相手をする前に、いろいろ調べておきたいし」
「ああ……なんだ、ミナトにはそういう役目もあったんだ」
「利用出来る技術は盗めってことさ、何でもね」
「まあ……基本ではあるけど。でもあんまり参考にはならないと思うな。どうせこの国は滅ぶだろうし」
「……どうして?」
「だってここは龍脈の力で成り立ってる。木の葉にはそれに変わるものがないし、技術の継承は難しいんじゃないかな」
「いや、そっちじゃなくて、滅ぶって方」
「ああ……まあ、それはただの仮定だけど。女王を見ただろ? ムカデと言う宰相を失って彼女一人の力で、この砂漠の真ん中でこれだけの街を維持出来るとは思えない。龍脈の力は、どうせ最終的に封じるんだろう?」
「もちろん、そのつもりだよ」
「なら、なおさらだ」
すっと遠くに視線を向けた尚樹の横顔を、ミナトは静かに見つめた。昔から、彼は自分には見えない未来を見ている。彼は一度だって、未来を変えようと行動した事はない。少なくとも、ミナトの知る限りは。
「ねぇ、尚樹。まだ、怒ってる?」
ミナトのためらいがちな声に、尚樹が顔を動かした。僅かに宙をさまよって、ミナトへと戻った視線。こういう時の尚樹の表情は、いつも読めない。
「……それは、何に対して?」
「この任務に、俺がついてきた事」
「……ああ、律儀だな。俺は忘れてた」
「なんだよ……俺はこれでも結構真剣に悩んでたのに……」
ぽんぽんと、頭を撫でる尚樹の腕をとる。いつまでも子供扱いは困る。
「尚樹は、一緒に来る?」
「いや……俺はもう少し外で連中の相手をしておくよ。一緒に行っても、どうせ分からないだろうし」
尚樹の言葉に苦笑して、ミナトはその場から姿を消した。パレードが終わって蜘蛛の子を散らす様に広場から引いていく傀儡達を眺める。
太陽が中天にきた。


大きな砂埃と塔の崩れ落ちる音。終わりの始まりの合図。
凝視虫を頼りに移動すれば、中央の広場は既に崩れ落ちていた。シビとチョウザがムカデを足止めしていたが、突破されたようだ。
「やはり龍脈は地下か」
こういうのは、地下にあると相場が決まっているのだ。そもそも龍脈、という名前自体が地下から溢れ出るエネルギーっぽい。
揺れる建物に眉をひそめて、尚樹は地下への階段を無視し、奥深くまで口を開ける塔の中へ身を投げた。
一気にミナトの気配が近づく。さらに奥から濃密なオーラ。ああ、この先に龍脈がある。
「ちょ、尚樹!?」
ミナトもムカデも通り越して地面に着地する。もはや人の姿をしていないが、いかにもムカデっぽい姿をしているので、壁に張り付いている巨大な傀儡がムカデ本人だろう。前触れもなく飛び降りた尚樹に抗議する様に夜一がしっぽを揺らす。
ミナトはすぐに尚樹の隣に移動した。
「どうなってんの?」
「どうも龍脈の力を取り込んでいるみたいでね……弱点は胸の辺りだ。本体がいる」
「まあ肉体を傀儡に改造してるなら、弱点はそこだろうね……」
たしか、サソリもそうだったはずだ。どうでも良い事だが、ムカデとサソリって何となくカテゴリが一緒っぽい。狙ってるんだろうか。
「……龍脈の力のせいで破壊してもすぐに再生してしまうんだ」
「龍脈の力を止めないと無理、か……あ」
「尚樹?」
「いや、こっちの話。それより、ほっとくとナルト死んじゃいそうだけど」
「おっと、いけないね。尚樹は龍脈の方を頼んでも良いかい?」
「うん、いくよ」
龍脈はこの先だ。疑いようもない力の流れを感じる。ナルトの加勢に向かったミナトの背中を見届けて、尚樹はサアラの後を追った。もしかしたら、ミナトとはこれで最後になるのかもしれない。
さっきは龍脈の力を止める、という話になったが、それだともとの時代に戻れないのでは? と不安がよぎる。自分は良い。原作にはないイレギュラーな存在だ。だが少なくともナルトは帰さなければ。
通路を抜けると、視界が開けた。
地下深くから水の様にエネルギーがあふれている。
真ん中にぽつんと立つ祭壇のような場所が、龍脈をコントロールするためのものなのだろう。
「うあ」
あちゃー、と眉間を押さえた飼い主に、夜一はフードから顔をのぞかせた。尚樹の視線の先ではサアラが龍脈の力を押さえている。
予定通りじゃないのか、と尚樹の顔を見上げた。いったいどんな表情をしているのかは面のせいで分からない。
すばやくサアラの背後に立った尚樹は音もなくホルスターからクナイを引き抜いた。
「おい、何考えて……」
夜一の声は、ムカデが龍脈に飛び込む音に遮られた。尚樹の手も同時に止まり、無意識にサアラを背後にかばう。
下から突き上げるような龍脈の力に、わずかに腰を下ろして揺れる足下に注意を払う。尚樹達の立つ中央の島とミナト達の立っている場所を繋ぐ橋が崩れていく。
ナルトに呼ばれて背後にかばっていたサアラが走り出した。それもそうだ、このままここにとどまれば、暴走した龍脈に飲み込まれるのも時間の問題。すでに龍脈はサアラの手を離れた。
尚樹も、向こう岸に戻りたいのはやまやまなのだが、既に道がほとんど残っていない。その証拠に、サアラが足を踏み外し、落ちかけたサアラの腕をナルトがかろうじてとっていた。あのままでは落ちるだろうが、そこはミナトがなんとかするだろうし、ナルトだし、大丈夫。と投げやりに考えていた尚樹の眼に、信じられない光景が飛び込んだ。
ミナトが時空忍術を使って移動したのだ。尚樹の目の前に。
「お前なにやってんのぉー!?」
「……うわ、めずらしい。尚樹が素で驚いてるの、初めて見たよ。惜しいな……面がなければ良かったのに」
「しかもすっごい呑気な事言ってるしー……」
うわー、と尚樹が頭を抱えたとき、橋は完全に崩れ落ちた。ミナトの体に遮られて良く見えないが、確実に、悲鳴とか聞こえるし、これはナルト落ちたな、と遠い眼をする。
「尚樹、怪我ない?」
「いやもう……心配するとこそこじゃな」
木遁! と響いた声に、尚樹は言葉を止めた。
「……ヤマト隊長?」
一瞬感じた気配に、尚樹は視線を動かす。木遁は血継限界。尚樹の知る限り、それを扱える人間は二人しかいない。一人はあった事もない初代火影。そして、二人目はテンゾウだ。
近くにいるのかと、伸びた木の幹に視線を向けた。
それは落ちたナルトとサアラを包んで、尚樹達のそばに運ぶ。次いで姿を現したテンゾウの腕には、小さなカカシの姿。
気がつけば、尚樹をかばう様にミナトが立っていた。
そのミナトの前に移動したテンゾウに、尚樹はクナイをホルスターにしまおうと手を動かす。
「あれ? その烏の面」
まだ指をかけていたままのクナイをホルスターから抜く軌道でテンゾウに放る。大丈夫、ほんの少し肉を持っていく程度の狙いだ。
あわててそれを避けたテンゾウは頬に一筋の傷を残した。口元を引きつらせてこくこくと頷いているところをみると、きっとこちらの意図を汲み取ってくれたのだろう。尚樹も頷き返しておいた。
そのやり取りの意味が分かっているのかいないのか、ミナトが苦笑を浮かべている。
ミナトは良いとして、ヤマト隊長に気づかれたのは痛いな、と面の下で静かにため息をついた。
「龍脈を封印しよう。ナルト、避雷針のクナイを」
「あ、ああ」
戸惑いつつもナルトがクナイを差し出す。え、ちょ、封印していいの? と尚樹はそのやり取りを呆然と眺めたが、確かに封印しなければまずそうな雰囲気はひしひしとする。
今立っている場所も、すぐに危うくなるだろう。そうすればここにいる全員が、龍脈に取り込まれる。
ナルト達、未来に戻れるのかなぁ、と不安を覚えている間にも一瞬にして龍脈を封印するミナトの手際の良さに、もうため息も出ない。
しかし尚樹のそれは杞憂だった。
封印と同時にナルトとテンゾウの体が白く光りだす。これで、彼らは元の時代に戻れるだろう。
自分に何の変化もないのは、やはり龍脈によってこの時代に来たわけではないからだろうか。
別れを告げる、ナルト達のやり取りを端で見遣りながら、思惑通りいかなかった事が少しだけ残念だ。まだ、もとの時間軸には戻れないらしい。
ナルト達の姿がだんだんと薄れて、その場から消えていくのを、尚樹は静かに見送った。

確信にも似た想いがあった。ナルトは、きっと自分の子供なのだろう。そして、自分はナルトが生まれる前か、物心つく前にこの世を去る。
「ミナト、俺たちも里に戻ろう」
「ああ……」
「……その顔は、ナルトの事覚えてるだろ」
確信のこもった声に、ミナトは驚いて尚樹を見つめた。確かに、ミナトは記憶をなくしてはいない。それというのも、ミナトまで忘れてしまっては任務の報告が出来ないからだ。
しかし、確かに尚樹には術をかけたはずなのに。
「尚樹、なんで覚えてるの?」
「さあ? たまたまじゃない」
興味なさそうにそう言い捨てた尚樹に、ため息が出る。たまたまなんて、あるわけない。尚樹は忍術が使えないわりに、幻術の類いは昔から全く効果がない。
きっとこれも一緒なのだろう。深く考えたら負けだ。
「カカシ、皆を連れて地上に戻っていてくれないか」
「はい」
ミナトの言葉に素直に頷いたカカシは、尚樹に一瞬だけ視線を向けて戻っていった。サアラの扱いが適当なのを、後で注意すべきか迷う所だ。カカシはどうも、女性に対して冷たい所が見受けられる。
「さて、龍脈をちゃんと封印しないとね」
「あれ、さっきのじゃ駄目なの?」
「あれは、簡易的なものだからね」
急いでいたので、術式を簡略化している。これでももちろん封印は出来ているが、簡単に破られる可能性があり、なおかつ時間による劣化が懸念された。
「まあ、念のためね」
「ふうん」
ミナトが細かく封印を施していくのを、背後で尚樹がじっと見ている。手早く済ませて振り返ると、予想以上に無機質な瞳があった。
「……尚樹?」
「ん?」
「あ、いや……何でもない」
俺たちも戻ろう、と差し出したミナトの手に、尚樹の手が重なる。その手の上から、ミナトの手の平が透けて見えた。
「……尚樹?」
「時間みたいだね」
まるでこうなる事を待っていたような物言いに、思わずその手を握りしめる。まだ、そこに存在している。
「そんな、尚樹」
「もしかしたら、と思ってね。ミナトは忘れてたかもしれないけど、俺も一応未来人だし?」
もうずっと、尚樹はこの時代にとどまるのだと、ミナトは勝手に思い込んでいた。帰りたいなんて、そんなそぶりは見せた事がなかったし、あまり話題にも上らなかった。
突然の事に、ミナトは言葉がでない。
尚樹は、彼らの事を知っていたようだったから、きっと同じか近い時代の人間なのだろう。もしここで別れたら、二度と会えないかもしれない。
「あ、カカシ先生から俺の記憶消しといてくれると嬉しいな。ミナトのも、ちゃんと消さないと駄目だよ?」
「何言ってるんだ」
「ミナトがそうした方がいいって、ナルトに言ってたじゃない」
どんどん消えていきながらも、尚樹はいつも通り呑気に会話している。心臓が脈打つ音が耳に直接響くようだった。
「じゃあね、ミナト。ばいばい」
「尚樹!」
「また、未来で」
するりと空気に解けた右手。静寂だけが耳を打った。