空蝉-29-
ばちばちっと音を立てて、腕を伝う電流が手の平を焼いた。
肉の焼ける匂いに尚樹は顔をしかめる。
慌てず騒がずやけどを冷やすために台所に向かい、蛇口をひねった。
「自分の念でやけどするとか、本末転倒だよね……マジで失敗したかも、これ」
「一応形にはなったのか?」
「形になったって言うのかなぁ」
あきらめようと思っていた変化系の念能力だが、サクモにもう少し粘れ、と言われたので珍しく頑張ってみた結果、なんとか強めの電流を流す事に成功した。
しかし、非常にお粗末な事に代わりはなく、連続して流せる時間は僅か3秒。
これは想定していなかった事だが、自分の手も激しくダメージを受ける。
ついでに、ここまでの威力を出すのに、制約をつけている。電流を流している間は道具の具現化も出来ないし、その逆もしかり。そして、一度使うとチャージに10分かかる。言い換えると、10分間念が使えない状態になるのだ。
「……あれ? これ使えなくない?」
「なんでそんな制約をつけたんだお前は……」
「いや、だってあまりにも静電気だったからつい……もうすこし改良しないと、実践では使えないね」
「……改良の余地があるのか?」
「うーん……」
いつもならすぐに治してしまうような怪我を放置しているあたり、すでにこの能力に疑問を抱いているのだろう。
きゅ、と蛇口をしめて軽く手の水を払った尚樹は、冷蔵庫に手を伸ばし、氷を取り出した。
「うーん、冷たい」
やっぱり念が使えないと不便だなぁ、と大して困ってもいないような口調でぼやき、傷口に氷をあてた。
「あ、そう言えば名前、決めてなかったなぁ」
「何の名前だ?」
「念能力の」
「……必要なのか?」
「なくても良いんだけど、あると威力が上がるんだよ」
「そうなのか?」
「そうらしい。ゼタさんに習ったんだけどね。まあでも、名前決めちゃうと制約の変更とかも出来なくなるから、それはもうちょっと先かな」
「色々あるんだな」
「まあね。とりあえず、10分念が使えないっていう条件は他で代用しようと思う」
「何か考えがあるのか?」
「うーん、セオリーで言うと代償を払う、とか? 対価って言うのかな」
まるでハガレンだよねー、とワケのわからない事をいう飼い主に、夜一はスルーを決め込んだ。
「と、言うわけで夜一さん、一緒に何か考えて」
「考えてと言われてもな……」
10分間念能力が使えない、という制約に匹敵するような代償。しかもその制約があっても3秒しか使えない能力。
どう考えてもデメリットの方が大きいと思うのだが。というか、やはりもともとの能力だけで事足りる気がする。
まだ、以前の糸に変化させる能力の方が応用が利きそうだが。相変わらず、自分の飼い主の考えている事は理解不能だ。
溶けた氷が尚樹の指の間から流れ落ちてシンクをたたく。
「ここはやっぱり、他人のアイディアをパクるか」
「……お前というやつは」
「肉体が欠損するタイプはパスだなー。いや、治そうと思えば治せるのか? それだと何気に無限大? いやでもそれ対価にならないような……」
記憶を漁っているのか、氷が完全に溶けたのもそのままにぶつぶつとつぶやく尚樹は、念が使えない事もあって、それに気づくのが遅れた。
「尚樹、その手、どうしたの?」
「指を切り落とす、っていうのも確かあったな。フランクリンか……痛そうだから却下」
「そうだね」
「あれ? ミナト」
いつのまに、と隣に立つミナトに顔を向けて、尚樹は首を傾げた。呼び鈴は鳴らなかったはず。ドアを開け閉めする音にも覚えはない。
笑顔のまま不穏な空気を発していたミナトは、問答無用で尚樹の腕をつかみ、木の葉病院まで一瞬にして移動した。
突如変わった視界に、視線をめぐらせ状況を把握する間にもミナトが半ば引きずる様に尚樹を引っ張っていく。
10分経てば自分で治せるのになぁ、とため息をつきつつも大人しく引っ張られながら、痛みを紛らわせるために尚樹は思考を巡らせた。
大戦中とはいっても、間隙のような時間は存在する。お互い戦争ばかりはしていられないと言う事なのだろう。
近況報告もかねて、今日尚樹はサクモと会う約束をしていた。
先日の一件以来である。アレは実にお粗末な顛末だった、と数日前の出来事に思考を馳せる。
サクモが去った後、面倒ながらも一応尚樹は凝視虫を放って部屋の中を盗み見た。
円で探った気配の通り、中にいた人間は五人。うち二人は民間人の格好をしているが、変化をしていることは、そのチャクラの動きで分かる。
「……木の葉の額宛?」
彼らの額や腕、首元にある額宛のマークは間違いなく木の葉のもの。
あれ? と尚樹は首をひねってサクモの去っていった方向をみやった。
一瞬自分の頭によぎった考えを否定する様に頭を振る。念のために、とそれから半刻ほど監視を続けてみたが特に変わった様子もなく。
尚樹は面倒になってその場でどこでもドアを地面に倒したまま具現化し、その扉の上に乗ってノブをひねった。
”木の葉”ではなく”火影室”に直接移動する。三代目からしたら尚樹が急に天井から現れた様に見えただろう。
ほとんど足音を立てずに着地した尚樹に、三代目はその視線だけを向けた。
彼がこうやって姿を現す事には、いい加減に慣れた。二代目の頃から尚樹はこうであったし、呼ばれる以外で用事が出来た時はほとんどドアから入ってこない。
理由は至極簡単で、ここまで徒歩ではたどり着けないからだ。その答えに行き着くまでに、ヒルゼンはずいぶんと長い時間を費やした。
「何か用か」
「ちょっと今回の任務内容について確認したい事がありまして」
「はて、暗部の任務はとくに出していなかったはずだが?」
「下忍の方です」
「ふむ……どれかの」
ヒルゼンは机の端に積んであった書類をたぐり寄せた。
ランクの低い依頼の割り振りは火影が直接やっているわけではない。もちろんそのすべての内容についても把握しているわけではないので、本来ならヒルゼンに聞くのはお門違いである。
それは尚樹も知っていたが、今回はためらうことなく任務内容を口にした。
ぱらぱらとめくりながら該当の書類を探し出し、出てきた書類にヒルゼンはほんの僅か眉間を寄せた。
「目的地に木の葉の忍びが五人ほどいたんですけど、まさかあの巻物、Aランク任務の指示書とかではありませんよね?」
疑問形で聞いてはいるが、声にも表情にも全く疑問の色はない。
ヒルゼンはたっぷり10秒間の沈黙を守った。
「……てへ」
舌を出したのとほぼ同時だったと思う。2本の千本がヒルゼンの両頬をかする様に宙を滑空し、後ろの壁に突き刺さった。
「……ごほん。まあ、なんだ、灯台下暗しと思ってな……人手も不足しているわけだし」
「だからって下忍にそんなものもたせるDランク任務がありますか」
「下忍が持って行った方が怪しまれんと思ったんじゃ。それにまさかお前にその任務がまわると思ってなかったんじゃい! ふつうなら相手が忍びなどと接触前に気づかんわい」
「いっそ暗部の任務として渡してくれた方が確実に速くて安全でしたけどね……」
はあ、とため息をついた尚樹にヒルゼンは気まずく顔を背けるだけだった。
結局その後は、巻物を持っているサクモの帰還を待って、再度任務開始となった。今度はもちろん、暗部での任務として尚樹が一人で届けに行ったのは言うまでもない。
昔はよく使った訓練場で流れる雲を見上げながら、あまりのバカらしさに尚樹は思考を完全に停止した。
枝の間からのぞく空は青く、白い雲が流れていく。
時折ちらつく光が視界を奪った。
「待たせたか?」
音もなく目の前に姿を現したサクモに、尚樹はゆっくりと視線を向けた。
立ち上がって軽く服をはたく。
「いえ、時間通りですよ」
日の光を遮るためにフードをかぶり、阻まれた視界に顔を上げた。
「ご飯でも食べにいきます?」
「あとでな……それより尚樹、ほら」
サクモは白い紙を尚樹に差し出した。尚樹はじっとそれを見て再び視線をサクモに戻す。その意味をはかりかねた。
「感応紙だ。自分の系統が分かる」
「……」
系統なら、具現化系ですが。
「……ああ、チャクラのですか?」
「他に何があるんだ。仮にも忍者だろ」
「どうやって使うんですか?」
「チャクラを流すだけだ」
ふうん、と尚樹はオーラを指先に集めた。もちろん、変化などない。
ひらひらと感応紙をゆらして、途方に暮れた眼でサクモを見上げた。
「……まさか、それでチャクラを流しているのか?」
「はあ、まあ……どの程度流せば良いんですかね?」
量が少なすぎたか、とさらにオーラの量を増やしてみるも、無反応。
「……お前の才能のなさに、俺はときどき絶望しそうだよ」
「そんなに落ち込んだら駄目なんですよ?」
「お前は少し落ち込みなさいね」
はあ、と気の抜けた返事をした当の本人は、相変わらずの無表情で、その言葉通り一片の落胆も見られない。
「絶望は死に至る病なんですよ、サクモさん」
いっこうに変化のない感応紙を手の中でもてあそびながら、尚樹は作業的に言葉を返した。ずいぶんと昔に授業でならった言葉だ。
正方形の感応紙を二つに折り、両端を内側に織り込み、更に何度も折って幾重にも線をつけていく。ほぼ無意識のうちに指は動いて掌の中でそれは小さくなっていく。
「そんな言葉、誰に聞いたんだお前は……」
「さあ、誰でしょう。大昔のえらい人じゃないですかね」
「聞いた事ないよ……、ってこら、感応紙をぐちゃぐちゃにするんじゃ」
さり気なく、しかしせわしなく動く指にようやく気づいたサクモはそれをやめさせようとして、しかし目の前に差し出された手の平の上の小さなそれに、言葉を飲み込んだ。
ただ単に丸めているわけではない。
「……尚樹?」
「薔薇です」
「いや、それは見れば分かるけど……ていうかお前何気に器用ね」
いったいどういう作りなんだ、と感応紙を折り紙代わりにした事を注意する前に、思わずまじまじと見入ってしまう。
「……ってそうじゃなく」
もっとチャクラ流してみなさいと、もはや感応紙に見えなくなったそれに脱力した。相変わらず、尚樹のペースだ。
なんだか、懐かしいなぁ、と昔よりはずいぶん高い位置にある頭に手を置いた。
尚樹はされるがままになりながら、手の平の上にちょこんと乗った薔薇を見つめて意識を集中した。
全くチャクラが扱えないわけではないはずなのだ。どういう法則なのか、尚樹にも変化と口寄せは出来る。だから、きっと大量にオーラを流せばそのうちの何割かはチャクラのはずだ。
そう前向きに考えて手の平以外を絶の状態にし、オーラを集める。堅や硬の勢いだ、もはや。
真剣にオーラを流し続けた結果、ほんの、ほんの少しだけ感応紙がしみた。湿気ったという方が表現としては正しいかもしれない。
「……水、か?」
「水、ですか、ね?」
サクモとそろって首を傾げたが、あまりに反応が微妙だったため、この話は二人の間でなかった事にされた。
「そもそもお前に忍術を教えようと思うのが間違いなんだよな」
「もうその話題はやめましょうよ、サクモさん……」
二人で向かい合って食事をとりながら、尚樹は目の前の魚と格闘していた。膝の上ではまだかまだかと夜一が眼を怪しげに光らせている。
「俺は悲しい……木の葉の白い牙と言われた俺の唯一の生徒がこんなにも忍術が使えないだなんて……」
「酔ってるでしょう、サクモさん」
「断じて酔っていない」
「知ってますか、サクモさん。それ、典型的な酔っぱらいの台詞ですよ」
絡み酒だったんだな、この人、と冷静に分析して尚樹は視線を再び手元に戻した。
口を開けて無言のプレッシャーをかける夜一に魚の身を箸でつかんで口元まで運んでやる。ぱくりと食べたのを見届けて、尚樹も魚に箸を付けた。
「……尚樹、ばっちいぞ」
「別に、そんなに気にするほどでもないですよ」
「お前は本当に無頓着な子だね、まったく。この前の任務だってそうだ。あんなに簡単に自分の地位を捨てても良いなんて口にするもんじゃないよ」
「それとこれとは話が別では……それにアレはその場のノリと勢いです」
「俺の感動を返せ! 今すぐ!」
「落ち着いて下さいよ、サクモさん。もうキャラが誰だか分からなくなってますよ。それに、感動って何ですか。あれのどこに感動する要素があったんですか」
「不覚にも感動したんだよ! 馬鹿!」
「駄目だこのひとー。完全に酔ってる」
「だいたいさぁ、今回は三代目のおちゃめだったから問題なくすんだけど、任務放り出して逃げ帰るなんて切腹ものだから!」
「いったいいつの時代の武士ですか。何も、死ぬほどの事でもないでしょうに。あれしきのことで」
真面目だなぁ、サクモさんは。そんな事を言ったら俺はどれだけ腹を切らなきゃいけないのか。
尚樹はさり気なくサクモの酒に水を足しながら遠い眼をした。まあ別に悪いことだなんて思った事もないが。自分の身の安全がいつだって一番だ。
そんなんだからこの人将来的に自殺しちゃうんじゃないのか、とため息をついた。
「まあまあ、飲んで下さいよ」
ほとんど割合が水になった酒を何食わぬ顔でサクモにそそいで、尚樹は目の前の魚に視線を戻した。
いっそ潰した方がましか、と顔色は平時とさほど変わらぬまま酒をあおるサクモに思案する。
しばらく眼を離していた隙に皿の上の魚はずいぶんと身が少なくなっていた。ときどき夜一さんはびっくりするほど食い意地が張っているのだ。
目の前では最近息子が冷たいなどと家庭の愚痴を言い出した上司。誰かこの席変わってくんないかな、という尚樹の淡い期待もむなしく、今日に限って誰も知り合いは店に顔を出さなかった。
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