空蝉-28-

空は快晴。じつに久々のDランク任務に、サクモはどこかほっとしてため息をついた。
忍界大戦中に上忍である自分がこんな事をしていても良いのかと言う気持ちもあるが、どんな情勢下でも下忍は存在し、依頼も存在する。
下忍すらも大戦にかり出される時期だが、それは優秀なものだけに限られる。そのなかにサクモの部下である尚樹も含まれているというのは、すこし複雑な心境ではあるが。
お互い顔を合わせるのも数ヶ月ぶりだ。これはまあ、いわゆる息抜きというやつなのだろう。
自分はともかく、下忍としての任務がまわってこないという事は、尚樹は常に暗部として動いているという事になる。
サクモですらこの絶え間ない緊張状態に神経が摩耗するのを感じるのだ。まだ若い尚樹にはつらい状況だろう。
ゆったりと通りを歩きながら、視界にちいさく門をおさめる。
今回の任務は渦の国までのお使いだ。
内容的にはたいした事はなく、ただ依頼人の代わりに、巻物を届けるだけ。
こういった任務はひさしぶりだ。尚樹は方向音痴なので遠出を嫌うし、そもそも、移動というものに対して時間をさくのが嫌いらしい。単純に歩くのが面倒なだけとも言う。
門の近くに黒いパーカー姿。背中を丸めて立つ姿に、尚樹だと確信した。
せっかく背が伸びたというのに、そう背を丸めていては意味が無いだろうに。
縦にばかり伸びたせいか、昔より痩せたような印象を受ける。実際にはそんな事はなく、平均よりやや細め、というくらいだ。
「おはよう」
「おはようございます。なんだか、久々に顔を見た気がしますね」
「まあ、そうだな」
フードの中からゆらりと出てきたしっぽに、彼の飼い猫がいる事を知る。
「それじゃ、行こうかね」
相変わらずの軽装にはもう突っ込まない。いったいどこに荷物を隠し持っているのか、手ぶらに見えても結構尚樹は荷物を持ってきているのだ。それこそ、全く任務に関係ないような代物まで。
初めて遠出した時の任務で、嫌というほど思い知らされた。深い事は追求したら負けである。
本当は、片手が塞がるので良くないのだが、左手で尚樹と手を繋ぐ。もう大きくなったのだから必要ないのかもしれないが、一つの習慣のようなものだった。
尚樹も抵抗なくサクモの手を握り返してきたので、まあ、問題ないのだろう。
尚樹よりまだ幼いというのに、すでに手を繋いでくれなくなった息子を思い出して熱くなった目頭をそっとおさえた。
「Dランク任務も久しぶりですね」
「最近は忙しいからな」
「もっと積極的にまわしてくれても良いんですけどね〜」
それは難しいんじゃないか。
妙なリズムで歌を歌いながら歩く尚樹に、心の中でだけ突っ込んでおく。言わずとも、本人も分かっているだろうから……多分。
以前から、よくもまあDランク任務ばかりで文句の一つも言わないものだ、と思っていたが。これはあれだ。単純に、そういう任務が好きなのだ。
特に動物や植物の世話の時は満喫しているようである。
まあ、楽しそうで何より。
照りつけるような日の光。それを遮る様に、時折尚樹がフードをかぶり直す。
「最近は……何か変わった事はあったか?」
まるで、ぎこちない親子のような会話を振ってしまった、と思いながらも久々なので仕方がない。暗部と上忍。意外と任務は重ならないものなのである。
「変わった事……そういえば、傀儡の術を練習してたんですけど」
「傀儡の術ね……使えたの?」
いったいどういう風の吹き回しだろう。
尚樹は、忍術という忍術が使えない。サクモの知る限りでは、変化の術と口寄せだけだ。
どうにも、傀儡の術が使える様になったとは思えないわけだが。
その予想に違わず、尚樹は首を横に振った。
「いえ、チャクラの糸っぽいものを作る事にはそこそこ成功したんですが、そこまででしたね。単にチャクラを細長くのばしただけだったし、糸らしい性質は再現出来ませんでした。出来れば伸縮してくれるともっと使えそうなんですけど」
強い風が吹いたら掻き消えるような、蜘蛛の糸より俄然弱い代物で、使い道がありません、と尚樹の指先から白いもやのようなものが細く伸びる。
その言葉通りそれは一息でかききえた。
「……それは傀儡の術の訓練なのか?」
「もちろんですよ?」
「……そうか」
手段と目的がごっちゃになっている気がしないでもない。途中から糸を作る事に重きを置いていないか、と思ったがそこは黙っておいた。
傀儡の術については、残念ながらサクモに教えられることはない。
「仕方ないので、あきらめて雷遁の練習をしてるんですけど」
「あきらめるの速くない!?」
「いえ、俺はベストを尽くしたと思います」
ためらいなく言い放った尚樹の顔は至極真面目だった。単なる無表情とも言う。
あと、やはりあきらめるのが速いと思う。見切りを付けるのが速すぎるのだ。
尚樹の話を信じるのならば、チャクラを糸状にする事には成功しているのだ。もう少し頑張れば、多少は使える様になるかもしれないものを。
「……それで、雷遁の方はどうなの?」
「うーん、傀儡の術よりは良さそうなんですが、いかんせん出力が小さくて。こう、静電気並みなんですよね」
指先にチャクラを纏わせているのか、今度は僅かに電気が走るのが見えた。確かに、ほとんど威力はないだろうが……。
「……雷遁というか、それは単なる性質変化だと思うんだが」
「ん? そう言えばそうですね」
まあ、別に良いじゃないですか、どっちでも。
その言葉で、尚樹の興味のなさがうかがえる。
「お前の忍術が進展しないのは、その考え方のせいじゃないのか」
「考え方、ですか」
「ああ、どうも違うんだよな……根本的な考え方が間違っていると言うか」
「ふむ」
立てた人差し指を見つめながら考え込む尚樹。サクモも思考を巡らせる。
べつに、チャクラコントロールが下手なわけではないはずなのだ。それなのにここまで忍術が使えないのはおかしい。
ならば、おかしいのはもっと別の所、という事になる。
「というか、お前の性質は雷だったんだね」
「さあ? 調べてないので知らないです」
「……」
思わず開いている手で額を押さえた。この任務が終わったら、系統を調べさせよう、と固く心に誓ったサクモである。
「……まあ、頑張りなさい」
「いえ、もう充分頑張ったと思うので、あきらめようかと。実践に使えるレベルじゃないですし」
「あきらめるの速くない!?」
「いえ、俺はベストを尽くしたと思います」
この一連の流れが、ここ最近会っていなかった数ヶ月の出来事だと思うと、胃が痛い。
「……お前が忍術を修得出来ないのは、その性格のせいじゃないのか」
「あ、それ夜一さんにも言われました」
なら改めろ、という言葉をサクモはため息でかき消した。

「サクモさん、これって、遠方に住んでいる家族にお手紙を届けて下さいって、任務だったと思うんですけど?」
「奇遇だな、俺もそう聞いている」
「の割には、ずいぶんと物騒な家族だと思いません?」
「……尚樹、何を言っている?」
じっと目的地を見つめる尚樹。フードから顔を出した夜一が、フー、と声を立てた。
「中に5人。レベルで言うと、多分中忍2人の上忍3人、って所ですかね。砂基準ですけど」
「……何で砂?」
そもそも、まだ建物が見えただけだというのに、何故相手が忍びだと思うのか。
さきにそちらに突っ込むのが正しいとは思いながらも、口をついて出たのは別の言葉だった。
何故砂基準。木の葉の忍びなら、基準は木の葉ではないのか。
「他の里はよく分からないので」
「いや、だったら木の葉基準でもいいでしょ」
「木の葉基準だと、上忍以上5人、であまり参考にならないので」
「……お前の中で木の葉は砂に劣るのか」
「怒りました?」
「怒ったと言うか……意外だな。誰だって、自分の里が一番だろう」
「サクモさんらしくありませんね。それは理論的判断ではないと思いますが」
尚樹の言う通りだ。いくら自分の里の忍びが一番強いと思っていようと、現実は違う。木の葉の忍びはもちろん優秀だとサクモは思っているが、他の里もそれと同じくらいに優秀である事は認めていた。
しかし、尚樹ほど明確に順位付けをしていたわけではない。
いったいどんな尺度ではかっているのかは分からないが、気配を読む事にかけては、サクモよりも尚樹の方がうまい。
だから、その判断には信頼が置けると、経験上知っていた。
そして、尚樹の言葉を信じるならば、こちらが一方的に不利で、勝てる要素がないということにも。
「……この巻物、ただの手紙ではないようですね。木の葉の内情でも漏らす気でしょうか」
「スパイか……可能性が高いな」
「とりあえず、木の葉に帰りましょう」
「こらこら、どうしてお前はそうすぐにあきらめるの。任務を勝手に放棄するのは絶対に駄目だよ。まあ、いずれにしても一度木の葉に戻らないといけないが……」
「まあ、正直俺はその巻物はどうでも良いので、さっさと逃げるに限ると思います」
「あのね……逃げるって」
サクモにとって、この段階で逃げるという選択肢はない。それは最後の手段だ。
忍びである以上、任務は遂行しなければならないし、何より今は正確な情報を得たい。このまま手ぶらで木の葉に戻るのは許されない行為だ。
「三十六計逃げるにしかず、と言うじゃないですか。ここで死んだら話になりません」
「それにしたって……」
「大丈夫、何か言われたら俺が帰るってわがまま言った事にすれば良いじゃないですか。というか、事実そうだし」
「馬鹿、そんな事が出来るか。お前の上司は俺でしょ」
「だからですよ。サクモさんに出来ないと言うなら、俺がやります。地位も名誉も、責任も、サクモさんに比べたら微々たるものですし、失った所で痛くもかゆくもありません」
絶句した。その内容に衝撃を覚えたし、自分よりずっと年下の、しかも部下に、そこまで言わせてしまった自分に情けないと感じた。
どうする? このまま何もせずに引き下がるのか。もしかしたら、木の葉にスパイがいるかもしれないのに、なんの手がかりもなく、それを得る努力もせずに戻る事が許されるのだろうか。
否、無理だ。
「……情報を集めよう。もし木の葉に内通者がいるなら、見つけ出さないと」
「……」
一瞬だけ、何か言いたそうに視線をサクモに向けた尚樹だったが、今度は素直に首を縦に振った。
「分かりました。なら、ここでの調査は俺がします。サクモさんは一足先に木の葉に戻って、報告を」
「本末転倒だろうが。ここの調査は俺がやる」
尚樹は足が速い。何か術を使っているのかもしれないが、一人での移動なら尚樹の方が速いという事はサクモも認めている。
しかし、下忍である尚樹をここに一人残し、上忍である自分がのこのこと木の葉に戻る事など、サクモには到底出来ない。
そんなサクモの心境を知ってか知らずか、尚樹がフードの下からその黒い瞳をのぞかせた。
「ここからの話は、別にサクモさんが俺に劣るという意味ではないですからね?」
「尚樹?」
「もちろん意図的にサクモさんを木の葉に戻そうと思っているわけでもないです」
「……いったい何の話をしている」
「詳しい方法は面倒なので省略しますが、この位置からでも俺にはあの家の中をのぞく事が出来ます。危険を冒さずに偵察出来ます。だからサクモさんにはこの巻物をもって木の葉に戻って欲しいんです」
まっすぐに差し出された巻物に、サクモは尚樹の言葉を反芻する。
表情はいつもと変わらない。視線はまっすぐにサクモをとらえていた。
「お前はどうしてそう……」
はあ、と盛大に息をつく。これではまるで駄々をこねているのは自分の方で、尚樹がそれを諭しているようだ。
めちゃくちゃに見えても、自分の生徒はどこまでも冷静で合理的なのだという事を、いい加減認めなくてはならないのだろう。
ただ少し、他の人間とは思考回路が異なるだけなのだ。あきらめとともに息をつく。
巻物を受け取って、視線を合わせるために身を屈めた。
「尚樹、必ず戻ってきなさい。ここで争うのは禁止。少しでも危なくなったら木の葉に戻ってくる事」
「はい、もちろんです。俺はそんなに仕事熱心に見えますか?」
「見えないな。まあ、念のためというやつだ。一人で木の葉まで戻れるか?」
「はい、夜一さんもいるので」
ゆらりとしっぽだけをのぞかせて存在を主張した黒猫に苦笑を浮かべ、サクモは瞬身の術でその場を後にした。
木の葉に戻ったら、何故か尚樹の方が先に戻っていて、盛大にくずおれる事になるのをサクモはまだ知らない。