空蝉-27-

ばっと鮮血が散った。
術の反動で尚樹はたまらず尻餅をついた。
指から、手の平から滴る感触に、床に手をつくこともためらわれそのままの状態で固まる。
頭をまわして狭い部屋の中を見渡すと、まんべんなく壁に赤いはんてんが散っていた。
いったいどんな惨殺事件があったのかと問いたくなる。
とりあえず止血をしようと念で傷口を覆った所で、部屋の中に突如人の気配が現れた。
なんでこのタイミングで、とその顔を見上げる。今までにも、こういうことがあると彼が姿を現す、という事が何度かあった。ストーカーですかそうですか。
あのクナイをもってると、こういう使い方も出来るわけか、と不法侵入者の方を見上げた。
そのあと、侵入者のあげた悲鳴に近い声に、しかし尚樹は耳を塞ぐ事も出来ず顔をしかめるしかなかった。


「まったく、一体何をどうやったらこんな有様になるんだい」
くどくどと説教をしながら尚樹の手を癒していくミナトに尚樹はさあ、と首を傾げた。
争った形跡はない。100%とは言えないが、十中八九尚樹の自爆だろう。取れかけと言っても過言ではない尚樹の指をなんとかくっつけながらミナトはうるさい心臓を押さえつけた。
「……ミナト、医療忍術もうまいよね」
「誰かさんのおかげでね! 尚樹の怪我はいっつも重症すぎるんだよ」
「大げさだなー、ちゃんと五体満足してるじゃない」
大けがをしたというのに呑気にミナトの医療忍術の腕を褒めた尚樹に、ため息をつく。こつん、と手の甲で軽くその頭をたたいた。
「もう、誰のおかげだと思ってるの」
「ミナトのおかげ? 手当、ありがとう。もう大丈夫だよ」
「まだ! 神経切れてるんだから。指とれそうだったの分かってるの」
平気、尚樹が怪我した手を小さく振ってみせる。ミナトのはあくまでも応急処置だ。医療忍者ではないミナトには、本格的な治療は出来ない。血が出ていない、イコール治ったわけではないのだ。
痛みだってあるだろうに、どうしていつもこうなんだ、とずたずたになった両手に視線を落とした。
「手よりも、この部屋の方が問題だよねぇ、借りもんなんだけどな……」
家具にも壁にも、もちろん床にも飛び散った血痕を目でたどりながら尚樹がため息をつく。
だから、どうしてこう自分の怪我に無頓着なのか。風呂が先か片付けが先かと悩む尚樹の腕を少し乱暴につかんで、チャクラを動かした。
「手当が先。部屋は良いから」
言葉とともに周りの景色が変わる。あのまま部屋にいては、素直に治療を受けてくれないと判断し、場所を自分の部屋に移した。
ミナトと尚樹の部屋は隣同士だから、他人から見ればこんな事に時空忍術を使うな、と言いたい所だろう。
「応急処置は出来たから、病院に行くよ」
「いいよ、このくらい」
「このくらいじゃないよ、分かってる? このままだと任務どころか生活にも支障が出る」
「ミナトは、大げさだよ。俺は怪我の治りは速いほうだし、こんなことで人間は死なない」
確かに、死なないかもしれない。でも、ミナトにとってはこの程度の怪我、と言えるほど軽いものではなかったし、死ぬか死なないかという判断基準は、いかがなものかと思う。後遺症が残る事はもちろん、傷が残る事も極力避けたい。
ずっとそう言っているのに、どうしてそれが尚樹には分からないのか。
無言のままに尚樹の頬についた血をぬぐう。
同じくらいの年なのに、尚樹の方が幼く見えた。
「……まったく、どういえば病院に行ってくれるのかな」
はあ、と深くため息をつきながらミナトは尚樹の肩に頭をのせた。真剣に言っていると言うのに、当の本人は「汚れるよ」などとどうでも良いことを言っている。
いっその事時空忍術で病院まで行ってしまいたい所だが、移動先にクナイがなければ術は使えない。今度はクナイを置いておこう、と固く心に誓ったミナトである。
「参考までに聞くけど、一体部屋で何をして怪我をしたの?」
「あー……ちょっとした好奇心で螺旋丸をね……」
「螺旋丸を?」
「ほら、螺旋丸ってチャクラの固まりなわけだろ? ベクトルを持った」
「べ……?」
「ああ、そう言う概念がないのか……なんて言えば良いかな、方向と強さ?」
「まあ、そうだね」
一体何が言いたいんだろう、と根気づよく尚樹の話を聞く。尚樹の言葉は、関係ないようでいて意味がある。今まで何度、後からその事に気づいて後悔した事か。
「という事はつまり、同じ強さで、逆向きのチャクラをぶつければ相殺出来るんじゃないかと……」
「試したの!?」
「うん、右手と左手で」
残念ながら、見ての通り相殺出来なかったけど、と首を傾げる尚樹に、ミナトは眉間を押さえた。螺旋丸は、チャクラの形態変化だけで爆発的な破壊力を誇るわざだ。乱回転させたチャクラを圧縮させて使う。
とても回転を意図的に合わせる事が出来るような物ではないわけだが。
というか、よしんばあわせられたとして、相殺されるわけがない。
尚樹の螺旋丸は完璧ではなく、最後の圧縮の過程がいまいちなのだ。教えてもらったミナトの方が完璧に習得出来てるという奇妙な状況である。
尚樹の理論は、螺旋丸が完全にコントロール出来ている状況下での仮定に過ぎない。もし暴発していたらと思うと背筋が凍る。よくこの程度の怪我で住んだものだ、と逆に安堵した。
どちらにしてもかなりまずい状態である事に変わりはない。
「尚樹、頼むから病院に行こう」
近い距離で視線を合わせる。見慣れた無表情が崩れる事はなかった。
「……ミナト、言いづらいんだけどさ……実はね、これは幻術でね」
「ストップ、さすがにそれは嘘だって分かるから」
「いやいや本当に。明日になったら跡形もなく治って、ついでに部屋も元通りだから」
超リアルな幻術なだけだから、と真顔で言い切った尚樹に、一言いってやりたい。おまえ、幻術なんて使えないだろう、と。
「尚樹、つくならもっとマシな嘘にしようね?」
「あー……」
気まずげに視線を左右に漂わせて、尚樹の目がぴたりと止まる。
その視線の先を追って、ミナトは首を傾げた。何も変わったものはない。かちかちと時計の音が静かな空間をうめた。
「尚樹?」
「時間だ」
え、とミナトが疑問の声を上げたときにはいつの間にか暗部の面をつけた尚樹の姿が掻き消えていた。
尚樹のいた場所にはミナトの渡したクナイが置き去りにされている。
何度か使われた形跡のあるそれを拾い上げて、逃げられた、とミナトは一人沈痛なため息をついた。