空蝉-26-

はい、と差し出されたクナイに、尚樹は数秒動きを止め、その意味を計った。
「……クナイなら、さすがのオレも持ってるんだけど?」
「知ってる。これは特製。上忍になれた記念だよ」
初めて会った頃に比べたらずいぶんと身長ものび、声も低くなったミナトを見上げる。
尚樹自身、変化をする事で外見を年相応に保っていた。
初めて会った頃は下忍に成り立て、という風だったのにいつの間にか上忍かあ、と過ぎた時間の長さを思った。
「というか、この場合は俺があげる方じゃないの?」
「いいの! 俺が尚樹にあげたかっただけだから」
ぐいぐいとクナイを押し付けてくるミナトに首を傾げながらも、尚樹はそれを受け取った。通常のものより柄の部分が長く、全体的に大きい印象を受ける。
「変わったクナイだね」
「最初は使いづらいかもしれないけど、慣れると使いやすくなるよ」
「ふうん。基本的に、オレにとってクナイは使い捨てなんだけど、これじゃあなくせないね」
「……手裏剣代わりにするのはやめてね」
「善処する」
クナイを一本、ホルスターから抜いて代わりに渡したクナイをあいた場所に収める尚樹を見ながら、ミナトは苦笑した。
忍びでこれほどクナイを持ち歩かないものも少ないだろう。もしかしたら尚樹だけかもしれない。
そもそも、足につけたホルスターにすべてを収めるのは無理があるわけだが、一体いつになったらその事に気づくのだろう、と思っている。
尚樹の持つ千本は普通のものより長さが短く、細い。それもこれも、よりスペースを稼ぐためだ。涙ぐましい努力である。
「尚樹は、これから任務なの?」
「いや、今帰ってきた所。報告は別の人に任せてるから、オレは帰って寝るだけ」
「相変わらず忙しそうだね……その格好だと、また暗部の仕事?」
「まあね」
「もういい加減、昇進しても良いと思うんだけどね」
いまだ下忍のままの尚樹。だが、すでにDランクの任務をこなす事は久しくなく、Aランク以上のものばかりだ。忍界大戦中で、忍びが不足しているのだから仕方ないのは分かるのだが、それならなおさら上忍にすれば良いと思ってしまう。
まるで尚樹が正当な評価を受けていないようで、自分に関係ない事と知りつつも苛立ちを覚えた。
「別にミナトがそんな顔する事ないのに。だいたい、忍術もろくに使えない人間が上忍だなんておかしな話だよ」
「そうはいっても……」
「この話は終わり。ご飯でも食べにいこうよ」
いささか強引に話を終わらせて先を歩き出した尚樹に慌ててついていく。いつの間にか変化していて、その姿は子供のものになっていた。初めて会った頃と変わらぬ背丈。頼りなくすら見えるその肩に、一体どれほど頼ってきた事だろう。
どうしてもその姿を見ると過去の自分の不甲斐なさが思い出される。今でも結局はかなわないと思ってしまう事に変わりはなかったが。
「……なんでその格好?」
「暗部の姿でご飯食べにいくとか、自殺行為だと思うんだけど」
「いや、じゃなくて。なんでそんな昔の姿に……」
「……ああ、そうか」
一体何に納得したのか、すぐに姿を変えた尚樹は、ようやくもとの姿をみせた。
相変わらずの猫背だなぁ、と背中を丸めて歩く尚樹の隣に並ぶ。
短い襟足の下からのぞくうなじには昔と変わらず額宛の結び目がある。以前どうして額宛を首に巻くのかと聞いたら、狙うなら首にするから、という短い回答を得た。そこが急所だから、という事なのだろう。だから、その結び目を見るたびに訳もなくどきりとさせられた。ふと、首元に額宛とは違う、赤いひもを見つける。
「……尚樹、フードの下に面を隠してるでしょ」
「分かる?」
「さすがに。不自然に盛り上がってるし、ひもが見えてる」
「フードの中は丸見えだから、やめなさいって、サクモさんが」
だからフードの下に入れる事にしたのか、と呆れながらミナトはそれをめくった。面から伸びた二本のひもは、首元で蝶結びにされている。わざわざ長いのに付け替えたな、とそれを目でたどった。
「便利でしょ? このままかぶれるんだよー」
なくさないし、と無邪気に言った友人に、ミナトは苦笑で返した。尚樹いわく、以前になくした事があるらしく、紛失防止らしい。
以前わずかな期間ながらも世話になった上忍の落ち込む姿が目に浮かぶ。どうやらこの二人の関係はあまり改善されていないようだ。
時折道を間違えそうになる尚樹を軌道修正しつつ、薄暗くなってきた道を歩く。店の灯りがちらほらと地面を照らし始めていた。
時折口ずさむ歌は相変わらずミナトの知らないもので、きっと未来のものなのだろうとミナトは思っている。以前尋ねた事のあるそれは、遊び唄。増える事のないレパートリー。
自分より頭一つ分低い尚樹の身長。今でもときどき、初めて会った時の幼い姿がそれに重なる。
「ミナト?」
いつのまにか遅れていたミナトを、尚樹が振り返る。それに慌てて歩調を戻した。
「そうだ、これ」
ぼんやりしていたミナトを特に気に留めたふうもなく、尚樹が腰に下げたシザーバッグに手を伸ばす。
鞘に納まったそれは、ひどく尚樹には不似合いな短剣。何が不似合いかと言うと、装飾が施されている所だ。実用性を重視する彼には、珍しいと感じた。
「間に合わせで悪いけど、あげる。上忍になれたお祝い」
「え、そんなの気にしなくて良いよ?」
「でも、本来なら俺があげる方だし。それに、すごく良いものだから、オススメだよ」
「いや、良いものならなおさら、もらえないよ」
「いいよ。これはきっと、人から人の手に渡る運命なんだろうから」
「……?」
尚樹の言葉に首を傾げる。赤い光に照らされて睫毛の影が頬に落ちる。懐かしむ様に伏せられた瞳に、それがただの短剣ではないのだと直感的に悟った。
「それ、大事なものなんじゃないの?」
「うん。むかし、とても大切な人にもらったものなんだ」
「だったらなおさら……」
「いいんだよ。思い出は何も、物に宿るわけじゃない」
鞘にはシンプルながらも美しい装飾。一体いつ作られたものなのか、ずいぶん古いだろうに、それはとてもきれいだった。
ほとんどの武器を使い捨てにする尚樹が、唯一、おそらくミナトと会う前から持ち歩いているもの。
幾ばくかの逡巡の後、ミナトはそっとそれを受け取った。ほんの僅か、肌が泡立つ。
「……ありがとう。大切にするよ」
「うん。でも、ちゃんと使ってあげてね。それは、武器だから」
尚樹の言葉に苦笑して、ミナトはゆっくりと頷いた。部屋に飾っておくような代物ではないという事か。その柄に手をかけて、刀身を引き抜く。
見た事もない形に、目を見張る。外側の装飾からは想像もつかないような禍々しい刀身。
「慣れると使いやすいよ」
「……そっか」
自分と同じ言葉を繰り返した尚樹に苦笑が漏れる。尚樹は、思い出は物に宿らないと言ったが、ミナトはそんなふうには割り切れない。
いつか自分も、これを誰かにあげる日が来るんだろうかと想像する。そこまでの心境に達するには、まだまだ年月がかかりそうだった。
「あ、もちろん毒が塗ってあるから、刃には触れない様にね」
「……そういうことはもっと早く言って欲しいかなぁ」