空蝉-24-

一日の仕事を終えて、人生上々で他の上忍達と情報交換をする。
これがここ最近の自来也のお決まりだ。
さて、酒でも飲んで帰るか、と建物を出た所で懐かしい姿が自分を迎えた。
「おお、どうしたこんなところで」
水沢尚樹。かつてなんども一緒に任務をこなした事がある、いわば幼馴染みのようなものだ。
といっても、この時代の彼は自分の事を知らないようだったが。
その表情は、昨日までとは少し違って見えた。いや、この表現は正確ではないだろう。付き合いの長い自来也でさえ、彼の無表情が崩れるのを見たのは数えるほどだ。
昨日と変わったのは、尚樹の纏う空気。頑に「自来也様」と自分を呼んだ尚樹とは別の、たとえばミナトに接する時のような態度。
「自来也、ちょっと話があるんだけど」
「ああ……おかえり、と言うべきかの」
「こうなるって知ってたの?」
「まさか! ただ、お前の最後の言葉だったからな」
「……なんだっけ」
「おい、まさか忘れたとか言わんだろうな」
自来也の言葉に尚樹が首を傾げる。その態度に、自来也は深い深いため息をついた。
任務から戻った三代目は、尚樹の言葉を正確に自来也に伝えていた。「未来で会いましょう」という彼の言葉を三代目はとても大切にしていた。
尚樹がこの里に生まれる日を、また忍びとして自分たちの前に立つ日を待っていた。実際は、それとは少し違って、かつて自来也がそうしたようにミナトが口寄せしてしまったわけだが。
「未来で会いましょう」というその言葉の意味を、今になって考える。尚樹にとっての未来は彼にとっての過去だとずっと思っていた。
だから、何年後か何十年後か、出会ったそのときに尚樹は自分の事を知らない。この感覚は、喪失感というのが正しいのだろう。胸の中に渦巻く、吐き気すらも催しそうな感覚。
それでもまた会える日を待っていた。
まさか、再びこうして昔のように話が出来るなどとは思っていなかった。共有した時間は、失われてなどいなかった。
大人になった自分とは違う、子供の体。低い位置にあるその頭をそっと撫でた。
手の平に触れる感触は懐かしく、記憶を伴って自来也の指をすり抜けていった。
「……おかえり」
また会えて嬉しいのだと、この子供に分かるだろうか。昨日までの尚樹とは違う、「幼馴染み」としての尚樹に会えたこの気持ちが。


子供の格好をしているからと言って、実際にその年齢であるわけではない。尚樹の一番得意な忍術は変化の術だったと自来也は記憶している。
正直ほとんど役に立つ事のない術だ。
四六時中よく変化していられるな、と思うのだが、尚樹は好んでよく12、3歳くらいの子供の姿をとった。
懐かしい姿のまま、自分の向かいに座って夕飯をとる尚樹を見ていると、下忍の頃を思い出す。
よくこうやって夕焼けに染まる町で夕飯をとった。お互い帰っても出迎える家族がなかったせいかもしれない。
「自来也?」
「ん? なんだ」
「いや、なんかぼーっとしてるから」
「ああ、ちょっと昔の事を思い出しての。それより、聞きたい事があるんじゃなかったのか」
「うん。まあ、大した事じゃないんだけど、昨日まで二代目の時代にいたから、現状がよく分かってなくて」
教えてもらおうと思って、と尚樹はサラダを口に運んだ。膝の上で黒猫が目を光らせている。
「実は昨日から今日の間に二代目の時代に行ってて、この時代に何やってたか全然覚えてないんだよね。昨日何してたかとか、これからの予定とか」
「……わしが口寄せした時か。これからの予定はさすがに知らんぞ。それはサクモに聞けい」
一人酒をあおりながら、自来也は尚樹の様子を観察した。かつて尚樹を口寄せしたとき、尚樹は単純に未来から来たのだと思っていた。だが、蓋を開けてみれば尚樹を口寄せしたのは自分だけではなく、ミナトが口寄せした尚樹を自来也が口寄せしたという入れ子状態だったわけである。
いつかまた、何も知らない尚樹に会う時が来る。それは、妙な感覚だった。
「現状と言っても、特に変わった事はしてないはずだぞ。下忍の任務と訓練、ときどき暗部と言った所かの」
「そういえば……なんでミナトってうちの班で修行することになったんだっけ?」
「ん? まあ……なんだ、その」
「自来也? なんか隠してるね」
「隠していると言うか……言っていいのか判断がつかん」
「何それ、気になるなあ」
煮え切らない態度の自来也にぱくりと魚を一口。身をとって夜一にも寄越す。
「うーん、まあ、隠すほどの事でもないか……実はサクモのやつが、お前とうまく打ち解けられないとうじうじ悩んでおってな」
「……打ち解けてなかったんですか?」
「やっぱり。どうせサクモの一人相撲だろうと思ってたんだ」
そんな事だろうと思った、と自来也は尚樹の膝の上でじっとえさを待っている夜一にぽいっと魚の切り身を放った。犬のように夜一がそれを口でキャッチする。
「自来也、お行儀悪いよ」
「おー」
何の話だったか。
「つまり、サクモが悩んでたから、それなら間にミナトでもはさんだらどうかといったんじゃ」
「……ミナトの世話を押し付けたの?」
「そんな事はないぞー」
わざとらしく否定した自来也に呆れたようにため息をついて、ひな鳥のように魚を待つ夜一に打ちのめされながら箸を動かす。
本当は、こういう味のついた魚は体に悪いとは思うのだが、ついついあげてしまう。今日も夜一さんは可愛いです。
「サクモさんはー、Dランク任務ばっかりで疲れてるんじゃないかな。おもに精神的に」
「ん? まあ、飽きてはいるだろうなあ」
「つまりオレはどうすれば良いのかな」
「表情が乏しいからのう、ちいと優しく接してやれば良いんじゃないか」
「別に邪険にした事はないですよ?」
「わかっとるわ、そのくらい」
優しくねぇ、と頭をひねった。具体的に何をすれば良いんだろう、と頭を右に左に傾ける。
「そもそもさぁ、オレは性根が優しくない人間なんだよね」
「何じゃいきなり……ならその腐った性根をたたき直せ」
「いやいや、別に腐ってはないから。優しくないだけだから」
酔ってるでしょ、と自来也の手元から酒を取り上げる。強いアルコールの香りに顔をしかめた。
「お前も少しは飲んだらどうだ」
「子供に何を勧めてるの……」
「ふん、どうせ見た目通りの年齢でもないんだろう」
「そりゃそうだけど、未成年は……」
あれ、と自分で言いながら首をひねる。そう言えば、いつまでも体がこのままだから、ついつい子供のような錯覚を受けていたが、よくよく考えたらとっくの昔に成人しているのでは? とここにきて尚樹はようやく思い至った。
数えた事がなかったが、一体今いくつだ、と酒をそそいでテーブルに戻す。
「あ、考えたくないかも……」
「何がだ?」
「何でも。とにかく、サクモさんの事は分かったから」
優しく出来るかどうかは別として、意識にはとめておくよ、とついだ酒に口をつけた。
どうやら、自分にお酒は向いていないらしい。