空蝉-23-

凝視虫を具現化していると、円をしていなくても相手の位置が分かるというのはありがたい。
肩にでも乗っけておけば、視界をつないでいなくても場所だけは正確に把握出来た。離れすぎてしまえば具現化自体が解けてしまうのがたまにきず。
変化をして姿を二代目の物に変える。こちらの方が、囮としては役に立つだろう。
オーラを糸のようにのばして張り巡らす。あまり得意ではないので、張り巡らすというほど量は使えないのだが。
本当は傀儡の術の代用として考えた能力だったのだが、キャパシティが足りなかったのか根性が足りなかったのか、モノにはならなかった。具現化系である関係上、放出系は不得手だ。この糸も自分から切り離してしまえばすぐに消えてしまう。もちろん、強度なんてあってなきがごとし。
「夜一さん、起きてる?」
もぞもぞと夜一がマントのすきまから顔を出した。目線で問いかけられる。
「起爆符をとって」
「にゃ」
口にくわえて寄越した夜一に、危うく悟りを開きそうになった。かわいい。
「ありがとうにゃ」
「馬鹿にしてんのか?」
「滅相もございません」
起爆符を受け取って、糸につける。糸自体は常に尚樹につながっているので、爆発のタイミングは割と融通が利く。尚樹が糸を切り離した場合は関係なく爆発するようにしていた。
功労者はもちろん尚樹ではなく、そうなるように起爆符を作ってくれた二代目のおかげである。
まあ、今回はこんな物で相手に致命傷を与える事が出来るとは思わないが、要はかく乱出来れば良い話である。
円状に罠を張って、まあこんな物かと地面の上に立った。暗く湿った感触が柔らかく足裏を押し返す。
すぐに隣に立った二代目に、胡乱な視線をむけた。
「なに一緒についてきちゃってるんですか」
「尚樹、お前は猿達と一緒に戻れと言ったはずだ」
「終わったら戻りますよ?」
二代目の視線が厳しくなる。この人は、ここで死ぬ気なんだな、とその瞳にともる光をみて、まるで天啓のように理解した。
「……逃げ足だけには自信があります。心配無用ですよ」
いつも通りの無表情で静かに告げた尚樹に、二代目は顔をしかめた。
もう何年この子供と一緒にいただろうか。彼を疑う気持ちは、とっくの昔に忘れた。幼かった体は、いつの間にか大きくなって、同じ目線で話すようになった。
どうすれば説得出来るのだろうと、その何者にも流されない瞳を見返した。
「……火影に足手まといなどという人間はお前が最初で最後だろうな」
「根に持ってるんですか? でもオレにとっては事実ですよ」
木々の間から僅かにのぞく空を見上げる横顔は、姿を変えていてもいつも通りの尚樹だった。
「それに、少しくらい引き継ぎとか、してあげても良いと思いますけど」
一瞬何の話かとおもって、火影の事か、と思いいたった。すでに火影の地位は猿にうつっている。
自分がこのまま木の葉に戻らなければ、彼は新しい火影として一人でやっていかなければいかなくなる。もちろん、皆彼を支えてはくれるだろうが、前任である自分はいない。きっと、聞きたい事も頼りたい事もあっただろう。その点に関しては申し訳ないと思う。
だが彼とていままで何もしていなかったわけではない。ずっと自分の事を見ていただろうし、里の事を一番に考えられる男だ。特に不安は感じていない。
「オレよりも、猿に必要なのは信頼出来る部下だ」
「それなら心配無用ですよ。三代目は里に愛される火影になります」
「……そうか」
未来を語る事のない尚樹の、珍しい言葉だった。それだけに信用出来る。本当は、尚樹は知っているのだろうと思う。自分がいつどうやって死ぬのか。
初めて会った時から尚樹はヒルゼンの事を三代目と呼んだ。わずかに垣間見える未来人としての彼の過去。
「囲まれましたね」
「……困ったやつだ」
死ぬのは自分だけで良いと思っていたのに。目を伏せた瞬間に、胸元に衝撃を感じた。
目を開くと手の平の向こうに珍しく口角をあげて微笑んだ尚樹の姿。尚樹に突き飛ばされたのだと理解したときには既に足は土を踏んでいなかった。
見慣れた天井に、やられた、と盛大にため息をついた。それが、水沢尚樹との最後になった。


ふっと目が覚めると視界に床の板目がはいる。頭に受ける感触は硬くない。むしろ柔らかいくらいだ。心臓がどくどくと脈打っていた。
軽く体を起こす。なんだかずいぶんとクッションまみれである。ここどこだっけ、と視線を巡らせた。見た事のある部屋だ。
と、と、と軽い足音が床を伝わる。
「夜一さん」
「……あの女の匂いがする」
あの女、というのは綱手の事である。過去にいろいろと確執があり、綱手と夜一は犬猿の仲である。確執、と言ってもそう大した物ではなく、かまい倒そうとする綱手と、あまり子供に撫でくり回されるのが嫌いな夜一との激しい攻防である。
夜一の言葉に、そういえば、と尚樹は再び辺りを見回した。
この部屋は少しだけ見覚えがある。数えるほどしか入った事はないが、綱手の家だ。
円を広げて気配を確認すると、寝室に人の気配。
「……夜一さん、もしかしたらまた移動したかもしれない」
これは僅かに覚えがある。二代目の時代に飛んだ時、確かに自分は綱手の家に泊まった。目が覚めたら場所は同じものの、時代が違った。
もしかして、ミナトのいる時代にもどって来たのか。
いったい、どうなったんだっけ、と目覚める前に見た光景を振り返る。
たしか二代目を木の葉に戻した後、適当に敵を三代目達から引き離したら撤退しようと思っていたのだ。起爆符もあらかた使い果たして、さてそろそろ帰るか、と木の上を移動していた所をやられた、のだと思う。
着地点をやられて見事に木から落ちた所までは覚えているのだが。
「とりあえず、自分の部屋に戻ってみよう」
どこでもドアを具現化して、その扉をくぐった。下手をすれば別の人間がすんでいる、という可能性もあったのだが、綱手が起きてくる前に移動しておきたかった。
戻ってみると、部屋は以前の通りだった。青々とした観葉植物が部屋の隅に、ベランダの窓を開ければ、花を咲かせた鉢植え。特に物が動かされている気配もなければ、空き部屋になって時間が経っているようにも見えない。
隣の部屋には人の気配。まだ起きていないのか、動く様子はない。
火影岩には三代目の顔が刻まれていた。

隣の部屋の気配が動くのにあわせて、尚樹は玄関から外に出た。ほぼ同時に出てきたミナトが「おはよう」とごく自然な様子で話しかけてくる。それにかつての様におはよう、と返して、やはりもとの時間軸に戻ってきたのだと確信した。
しかし問題は、二代目の時代で結構長い時間を過ごしてしまったので、この時代での自分が一体昨日まで何をやっていたのかさっぱり分からない事だろう。近いうちに自来也に聞くしかないか。
とりあえず、今日の集合場所はどこだったか。もちろん思い出せるはずもない。
携帯がないとこういう時不便だよね、とため息をついた。
「ミナト、今日は何の任務なの?」
「何って……まだお預けだよ。尚樹と一緒にチャクラコントロールの練習」
「……ああ」
あったね、そういえばそんな物も。いったい何年前の記憶だ、と眉間に寄ったしわを指で伸ばした。
「そういえば、自来也……様は何か言ってた?」
何だろう、以前は様をつけない事に抵抗があったのに、今は様をつけるのに抵抗がある。様って柄じゃない、どう考えても。
「まだ何も。中忍試験が近いんだけどなあ」
「中忍試験……あったね、そんなものも」
「忘れないでよ。重要なんだから」
「いや、だって俺は受ける予定ないし」
「でも、いつかは受けるでしょ?」
「うーん、まあ」
というか、もう一度受けてるんだけどね、未来で。
「尚樹、そういえば足はもう良いの?」
「あし?」
「しばらく安静でしょ? 包帯は?」
あし、アシ、足……あ、なんかうっすらと記憶が。やばい、ととっさに手の中に具現化したリモコンを操作した。窓の外はまだ薄暗く、日が昇る前。
急いで箪笥の中をあさって右足に包帯を巻いた。
「……あ、あせった」
「何やってるんだ、お前は」
「いや、そういえばこの時代だと確か鎌ですぱっと足切った後だったの忘れてて」
包帯はその偽装である。一瞬時をかける少女のようだと思った事は内緒だ。おまえ、タイムリープしてね? みたいな。
第一今回使ったのはドラえもんの道具だし、現実を巻き戻しても疲労は蓄積されるという厄介な代物だ。何かしら欠点があるのがドラえもんの道具である。
「夜一さんの方が俺より記憶新しいよね……」
「新しい……いや、さすがに細かい事は覚えてないぞ」
「サクモさんとの任務中に、鎌で足を切って綱手に治療してもらった後なんだよね、たしか」
「……そういえばそんな事もあったな」
「中忍試験前……」
「とりあえず、自来也に会ってみたらどうだ」
「そうだね」
こういうケースは、今までで初めてだ。同じ時代に戻ってくるのも困りものだな、と先ほど水をやった鉢植えを前にため息をついた。
「……とりあえず、もう一回水やるべきだと思う?」