空蝉-22-

空を飛ぶ鳥の影。明るい地面を雲の影がのんびりと移動していた。
その場からこつぜんと姿を消した子供に気づく人間はいない。


「来たか」
どこからともなく姿を現した尚樹に驚くでもなく扉間は立ち上がった。先ほどまで外にいたので、視界が暗い。
「尚樹、元の姿に戻っておけ」
「暗部の任務ですか?」
「いや、だがそうとってくれても構わない。隊長は私が務める」
子供の姿から大人の姿に変化する。二代目はこの姿が本物だと思っているようだが、実は子供の姿が素だ。訂正するのも面倒なので、そのままにしているわけだが。どうにも成長が遅いので、変化の術を使って日頃は大きくなったふりをしている。
この成長の遅さは絶対念のせいだと思う。ネテロ会長も確か凄い年齢だった、と尚樹はあの食えない老人を思い出した。
「任務のランクはSSだ。遺言を書いておけ」
差し出された紙を受け取る。もう今までに何度も手にした書類だ。Sランク以上の任務では提出義務がある。任務で命を落とさなければ誰の目に触れる事もない。
いつも通り白紙のままサインをして封をする。財産を残すべき親族も、残すほどの財産も、遺志も、尚樹にはない。まだ死ぬ気もさらさらない。
面を着けてふと考える。そういえば、まだ私服のままだ。
「二代目、着替えてきても良いですか」
「ああ、準備をしておいで」
「長期の任務ですか?」
「いや、どちらかと言えば身軽さを優先してくれ」
つまり、武器以外は不要、と。そう理解して尚樹はその場から姿を消した。
一瞬で変わった景色に少し顔をしかめる。姿現しをした時の感覚はいまいち好きになれない。
手早く着替えて、白いマントを羽織る。フードをかぶって面をかぶれば照る照る坊主の出来上がりだ。
「どうした、完全防備で」
「夜一さん」
だって寒いんだよ、とむき出しになった腕をマントの下から見せる。本当に、暗部の服は大事な所しか守ってくれていない。
そこそこに大事な所も守ってくれると嬉しいです。
「これから任務か」
「うん……夜一さんも来る?」
疑問形ではあるが、既にバッグを用意しているあたり、連れて行く気満々である。
目の前に口を開いて置かれたバッグをじっと眺めて、あきらめとともにその中に足を踏み入れた。
「どうせだから、もう少し武器も持っていこうか」
戸棚に置いてあった瓶を手に取って、蓋を開ける。中には大量の千本と、透明な液体。
いつ見ても、自分の飼い主は趣味が悪い、と思わざるを得ない。まるでピクルスでもつけるかのように千本を毒に浸したまま保存するのはやめて欲しいものである。
もちろん、千本だけでなくクナイも同様の保管方法である。
錆びるのでは、と思うが回転が速いので問題はないようだ。
マントを脱いでホルスターに千本を収めていく姿をバッグの中から眺める。相変わらず武器に偏りのある飼い主だ。
尚樹としては千本はほとんど回収する事はないので、出来るだけ多めに持っていきたい。
クナイはいつも3本と決めていた。
最後に腰にチャクラ刀を固定して準備完了だ。
「夜一さん。これも一緒に入れておいてね」
差し出された起爆符をあきらめの気持ちとともにくわえてバッグの中にしまい込む。どうかうっかり爆発しないで欲しいものだ。
持ち上げられて不安定な中で抗議の声を上げる。
斜にからわれて隅の方に体が落ち着いた。
「……できればちゃんと背負うタイプの方がありがたいんだが」
「うーん、俺もあっちの方が安定してて走りやすいんだけど、とっさのとき下ろせないからさ」
これだとほら、ワンタッチ、と胸の辺りで金具をはずされて再び体がバッグの中で移動する。
「座り心地悪いかもしれないけど、出来るだけ静かに走るから」
がまんしてね、と再びバッグをからった尚樹はその上からマントを羽織った。
「……外側が良いんだが」
「そう? 中の方があったかいよ? あとこのほうが俺はマントは外しやすいんだけど」
「……寝とく」
「んー、おやすみー」
頭までバッグの中に潜り込んで、夜一は丸くなった。用があれば起こすだろう。
道案内以外は、起爆符を渡すだけの役割だ。
背中で規則正しい呼吸を感じながら、尚樹は大して広くもない部屋を見渡した。
今朝ベランダに出したばかりの鉢植えが目に入る。ちょうど今朝花が咲いたばかりだ。わずかな逡巡の後に、尚樹は窓を開けてそれを手に取った。
杖を一振りするだけで、景色が変わる。
窓の外、ベランダの柵の上に着地して、窓をコンコンとたたいた。
引かれたカーテンの向こうに、不機嫌そうな綱手の顔。どうやらおやすみ中だったらしい。この時間まで寝ているという事は、昨日は遅かったのかもしれない。
無理もないか。今は第三次忍界大戦のただ中。尚樹自身今までで一番ハードな生活を送っている。
不本意だが、以前と違いセルを組んでの任務も少なくない。
「……なんだ」
「起こしてごめんね。俺これから任務に出るから、こいつの世話頼みたくて」
「どうした、めずらしい。そんなに長くかかる任務なのか?」
「いや……まだ任務内容は聞いてないんだけど、もしかしたらすぐには帰って来れないかもしれないから。花が咲いたばかりだから、ちょっと心配で」
朝に水あげるだけでいいから、と頼み込む。二代目の話し方だとあまり長くかかる任務ではないかもしれないが、急な上に、二代目みずから隊長として任務に出るという事は、一筋縄ではいかないという事だ。ランクもSSと言っていたし、念のためというやつである。
「遅くても3日くらいだと思うからさ。帰ってきたら、何かお礼をするよ」
「……その言葉、忘れるなよ?」
「もちろん」
じゃあ頼んだよ、と鉢植えを渡してその場で姿現しをした。

瞳の奥に像を結んだ姿は、雲隠れの忍び。
視神経を酷使するようなこの感覚は、尚樹には久しぶりだった。3日もあれば帰れると思っていたのだが、甘かったようだ。
既に木の葉を出て五日が過ぎている。敵に周りを囲まれつつあった。
偵察のために一人班を離れて木の上に身を隠していた尚樹は、ホルスターから毒を塗った千本を抜いた。
「さて、どうするか」
一度二代目のところに戻るか、それとも、かるく敵の数を減らしておくか。こちらには地の利がない。
具現化する道具は慎重に選んだ方が良いだろう。すでに、使える物は限られてしまっている。
攻撃に特化した物を選ぶべきか、逃走に特化した物を選ぶべきか、尚樹は迷った。
暗殺ならば迷わずデスノートをチョイスする所だが、今回は相手の数が多い上に、名前が分からない。
眼下にはいった敵に向かって千本を放つ。大丈夫、まだ誰も、自分の存在には気づいていない。
千本の刺さった敵が地面に倒れる前にその体を抱えて跳躍する。既に息はない。
死体が人目につかないよう、葉の陰に隠すように高い枝に引っ掛ける。
「あんまり減らしすぎると不自然か……できるだけこっちが気づいてないと思わせた方が良いよね」
「相手の人数が多いからな。下手に手出しをするとさすがに危険じゃないか」
「やっぱりそう思う? 二代目と三代目を逃がす方が優先か」
凝視虫の視界を切って、もう一人茂みの中に見つけた姿に向かって千本を放つ。移動するついでに拾い上げて、同じように枝に引っ掛けておいた。
何気に敵の渦中にいるな、と遭遇しないよう敵を避けつつ、二代目の元に戻る。時折怪しまれない程度に弱そうなのを選んでしとめつつ移動はしたが、それでも状況は厳しそうだ。
相手は20、対して木の葉は8。
「二代目、戻りました」
「尚樹か」
「敵は雲隠れですね。軽く掃除してきましたがまだ20ほどいます」
「そうか……」
ちらりと二代目をかこむ面子に視線を向ける。はじめに紹介はされているから、誰が誰だかは分かっている。ここで二代目以外が死ぬ可能性は薄い。
うちはをのぞいて、元の時代で生きていた人たちだ。残念ながら、二代目がいつ死ぬのか、具体的な事を尚樹は知らない。
「敵はまだこちらの位置をはっきりとは把握していない。待ち伏せをして突破口を」
先に口を開いた女性に目を向ける。うたたねコハル、ずいぶんと若いが、あのご意見番の人だろう。直接言葉を交わした事はないので、確信はないが、面影がある。
囮を使って揺動するしかないと言ったうちはカガミの声を聞きながら、尚樹は凝視虫を使って敵の動向を探った。
相手が金角部隊だというのがまずい。どこでもドアでも使って逃げたい所ではあるのだが、ここはハンターの世界ではないから、できればあまりイレギュラーな道具の使用は控えたい。もちろん、ばれなければ何だってオッケーではあるのだが。
だから任務は極力一人でやりたいというのに。
ひとり思考の海に沈んでいる間に、話が進んでいたらしい。どうやら、敵もこちらの正確な位置をつかんだようだ。これ以上、ここで油を売っている時間はない。
「猿、明日からは貴様が、火影だ」
凝視虫の視界を切って、閉じていた自身の目を開く。こちらも、話は終わったらしい。
「こちらの位置がばれたようです。ここは俺が囮役になるので、皆さん先に木の葉に戻って下さい」
しん、と空気がとまる。その反応に、尚樹は首を傾げた。何か変なことを言っただろうか。
「お前……人の話を聞いてなかっただろう」
「ああ、すみません。敵の動向を探ってました」
「囮役にはオレが行くといったんだ。お前も木の葉に戻れ。このメンバーの中ではお前が一番若いだろう」
「火影みずから囮役をする馬鹿がいますか。オレ一人ならなんとでもなりますから」
「お前何気に失礼だな」
「失礼で結構。もめている時間はありません。さっさと行って下さい」
「駄目だ。オレ一人で行く」
視線と視線がぶつかる。ここで言い合っている時間はないのだが……広げた円の中に敵の気配が一人二人と入ってくる。
「足手まといです」
短く理由を告げて、尚樹はするりとオーラを体に纏わせた。いざとなれば、全員を連れてここを移動するしかない。
あとあと面倒な事になりそうなので、本当に最終手段ではあるのだが。凝視虫を三代目に一匹つける。
纏うオーラの量をいつもより増やして、二代目に存在感を合わせた。
「これ以上引きつけるのは危険ですね。行って下さい」
「尚樹」
あの頃と同じまなざし。自分を見つめた三代目の視線に、苦笑で返して、手に持っていた面を渡した。
初めてこの面をもらったのは、やはり三代目だった。
差し出された烏の面に、ヒルゼンはどうして良いか分からず、その黒い瞳を見つめた。表情らしい表情を浮かべない彼の、僅かな変化。軽く伏せたまぶた。
この状況でもいつもと変わらず、微笑みさえ浮かべてみせた彼に息をのんだ。
ずっと子供だと思っていた尚樹が、急に大きく見える。
彼はもう戻ってこないのかもしれない、と確信にも似た想いでその面を受け取った。
すれ違い様に、肩を叩かれる。
「未来で会いましょう。自来也にも、そう伝えて下さい」
自分だけに聞こえる程度の声だった。生きて木の葉に戻れと、そう言われているようだった。
二代目の制止の声も聞かず、移動を始めた尚樹の背中を見送る。お前達は木の葉に戻れ、と短く指示を出して、二代目がその後を追った。