空蝉-21-

あれ、この光景見た事あるな、と思ったのはよく晴れた昼下がりのことだ。その日は午前中のうちに簡単な任務を終え、午後からは演習を行った。
二代目が忙しかったため、尚樹は自来也達の班にいつも通りおじゃまして、のんびりと過ごしていた。
三代目と大蛇丸のやり取りを見ながら、尚樹は目を細めた。
白蛇の抜け殻を見つけた大蛇丸に、三代目が縁起がいいと笑っている。この光景をどこかで見たと、尚樹は記憶を探った。目の前で繰り広げられている光景なのに、テレビの画面を見ているように現実感がない。
胸に渦巻く感覚は、あまり良いものではない。白い蛇、脱皮。
これは、おそらく大蛇丸の人生を左右する場面だ。
もしかして、大蛇丸の使役しているのが蛇なのは、このせいなのだろうか。
もっとなにか大事な事を忘れている、と抜け殻を大事そうに手にする大蛇丸を見遣った。
白蛇信仰、というものが存在するだけあって、白蛇は神聖視される事がある。
尚樹は詳しくは知らないが、蛇自体が水神とされる事と、アルビノが稀少である事から、縁起がいいとされるのだろう、と思う。
だが、と尚樹は顔をしかめた。
尚樹にとってもっと印象的なのは創世記の蛇だ。
人をそそのかし、楽園から追放させ、そして自身も地に落ちた。一生地面を這いつくばり、忌むべき対象として。
蛇は、災いを呼ぶ。
大蛇丸は、木の葉を出て行くのかもしれない、と遠くない未来を見た気がした。
「尚樹?」
「……何、綱手」
「何って……お前、気づいてないのか」
殺気が漏れてるぞ、と綱手が眉をひそめる。
殺気?
綱手の言葉に自分の体を見下ろした。無意識に纏をしていたらしい。別に殺気を出したわけではないのだが、僅かなオーラの変化を綱手は感じ取ったのだろう。
「ああ、ごめん。考え事してたから、ちょっとチャクラコントロールが乱れたみたい」
綱手は感度が良いね、と纏をといた。
たとえば白眼や写輪眼には、自分のチャクラはどううつっているんだろう。
ネジには、チャクラコントロールがうまいと言われた事はあるから、やはり見えているのだろうか。
「感度の問題か?」
「そうじゃない? チャクラの濃度とか、動きの違いを肌で感じとったって事なんじゃないかな。べつに、俺が殺気立ってるわけじゃないしね」
疑わしそうな視線を綱手が向ける。一体綱手の目に自分はどれだけ危険人物としてうつっているのか知りたい所だ。
「二人で何の話をしてるの?」
「大蛇丸」
首を傾げている姿は子供らしくて可愛いが、その手に持っている蛇の抜け殻は捨ててきなさい、と尚樹は顔をしかめた。個人的には、あまり触りたくない。
蛇は苦手だ。
「大蛇丸……お願いだから俺にそれを近づけないでね」
「尚樹は蛇嫌い?」
「進んで触りたくはないよね」
尚樹の言葉に、綱手が同意を示すように頷く。どうやら、蛇が好きではないというのは普通の感覚であっているらしい。
あまりにも大蛇丸が無邪気に触っているものだから、ちょっと不安になってしまった尚樹である。
「蛇は不吉だよ。賢しい生き物だ」
「先生は縁起がいいって言ってたよ」
「尚樹? お前何を言っているんだ」
創世記って、この世界で通じるんだっけ?
つい思考の続きで脈絡なく話をしてしまった。どうしたものか。
何かごまかす道具はないかな、でもわざわざ念を使ってまでごまかす事でもないような気がする。
むしろここは大蛇丸の軌道を修正するべき場面だろうか。
「……まあ、細かい事はいいじゃない。ほら、行こ」
結論、三十六計逃げるにしかず。細かい事はいいじゃない。
草の生えた地面をふんで、ふと蛇はどこに行ったんだろうと足下に視線を落とした。抜け殻があるからには本体があるはずだ。
どうか遠くに行ってくれていると助かる。
そんな事を考えていたら大蛇丸に腕をつかんで引き止められた。その手は先ほどまで抜け殻を触っていた手ではないでしょうか、大蛇丸さん。
「……大蛇丸?」
「蛇は賢しい生き物なの?」
「そうだよ。人をそそのかし甘い言葉で欺く」
ひたりと大蛇丸の視線が尚樹に据えられる。それを真正面から受け止めて、尚樹は大蛇丸の蛇のような姿を思い出した。ような、というよりきっとあれは蛇なのだろう。
この白い蛇がそのきっかけ。脱皮を繰り返して新しい体を手に入れる。
そうまでして強くなりたかったのかな、とそのあどけない顔を眺めた。この頃の姿からは想像もつかないほどの強さへの執着。
「蛇みたいに何度も脱ぎ捨てては、自分の意志もこぼれ落ちていくよ」
きっと、はじめの思いは別の物だったのではないだろうか。それがいつの間にか、力を求める事にすり替わった。
「行こう、大蛇丸。先生が呼んでる」
差し出した手に大蛇丸のそれが重なる。まだ柔らかな手の平だった。


小さい大蛇丸は、まだあの変態オーラもなくかわいいものだ。
性格的な問題なのか、任務中はパワーにはパワーと言う感じで、自来也と綱手、大蛇丸と尚樹に別れる事が多い。
大蛇丸も、自来也といる時はライバル意識があるのか衝突してばかりだが、尚樹といる時はごくごく大人しい子供だった。
「……大蛇丸、そのまま大人になってね」
「……いきなり、何?」
「変態は犯罪の元だと思う」
「一体どうしたの……そりゃ、変態が良い事だとは思わないけど」
「だよね」
並んでわしわしと暴れる大型犬を物ともせず洗う尚樹に習って手を動かしながら、大蛇丸はこの会話の意味が分からずに首を傾げた。
とりあえず、尚樹は変態が嫌いらしい、と大雑把に結論づけて手元に視線を戻した。
激しく暴れる犬に、知らず顔が険しくなる。
泡は飛ぶし、うまく洗えない。
なかなか泡立たない大蛇丸と違って、尚樹の洗っている犬は泡だらけになっている。先ほどまでは暴れていたのに、観念したのか頭から水をかけられてもじっとしていた。
「大蛇丸、水かけようか」
「……うん」
必死に押さえるものの、本気で暴れられたら押さえるのはなかなか骨が折れる。
ホースをもって近づいてきた尚樹に、犬が警戒をあらわにする。
暴れそうな気配を察知して、大蛇丸は犬を押さえる手に力を込めた。
ポンポンと尚樹が犬の頭をたたく。豪快に水をかけだした尚樹に、犬は意外にも暴れたりはせず、体を堅くしていた。
……なんだか、おびえているような気がする。
「……尚樹、何したの?」
「何って? あ、水かけてる?」
質問の意図が分かっていないのがまるわかりな表情で、尚樹が首を傾げた。まるわかり、というのがどういう表情かと言うと、単なる無表情だ。
「……そうだね」
犬は強い相手を見分けると言うし、もしかしたらそのせいで尚樹には大人しいのかもしれない、と適当な理由を付け、大蛇丸は思考を放棄した。
考えているようで何も考えていない、それが水沢尚樹である。
水で流し終えた後も、ぼたぼたと水を毛先からたらしながら犬達は大人しくしている。しょんぼりと足れた耳が、彼らの心境を現しているようだった。
「はい、大蛇丸」
ぽん、と渡されたタオルを広げて犬にかぶせると、先ほどまで大人しくしていたのが嘘のように、ぶるぶると体を震わせ始めた。とめるのも間に合わず、大蛇丸も頭からびしょ濡れになる。
尚樹には歯向かわず、大人しく頭からわしわしと拭かれている犬を恨めしげに見遣った。

不思議な事は他にもあった。任務中の事だ。
僅かに風になびくすこし日に焼けた髪を目印に人ごみを歩いた。
ずんずんと進んでいく尚樹の後を慌てて追う。人ごみをするりするりと抜けていく彼の足取りに迷いは見られない。
なんとかその背中に追いついて、引き止めようとその肩に手をかけた。
あまり変わる事のない無表情が大蛇丸を振り返る。
「尚樹、早いよ」
「ああ、ごめん。あんまり意識してなかった」
「あと、方向が違うから」
本題はこちらだ。冷静に告げた大蛇丸に、尚樹は視線を巡らせた。
「……そうだっけ」
「48度くらいずれてるよ」
「なにその嫌に正確な数字」
「尚樹こそ、なんでそんなに疑いようもなく見当違いな方に歩いていっちゃうの」
「それが方向音痴ってもんじゃない」
「……開き直らないでよ」
「さすがの俺でも、自覚せざるを得ないんだよ」
切実な尚樹の言葉に、大蛇丸はため息をついた。自覚しているから良いという物ではないと思うのだが。
「それに、今回の依頼は猫探しだろ? なら猫のいる方に行くべきだと思うんだけど」
「それはそうだけど、肝心の居場所が分からないから、二手に分かれてぐるりを探すんだよ? 尚樹の方向に進んだらいつまでも集合場所に着かないってば」
「でも、猫はあっちだよ?」
西の空を指差した尚樹に、大蛇丸は眉根を寄せた。尚樹の声に迷いはない。なぜこうもはっきり言い切れるのだろう。
尚樹が気配に聡いのは嫌というほど分かっているが、まさか猫の気配まで見分けられるというのだろうか。
「……根拠は?」
「ほら、最初にちゃんと杖倒したじゃない」
「まさか、倒れた方向にずっと向かってたとか?」
ありえない、と思いつつも問いかけると、尚樹はあっさりと頷いた。
ときどき、彼が本気で分からない、と大蛇丸は頭を抱えた。
でも猫は確かに尚樹の向かう先にいたのだ。

水沢尚樹は、自来也とも綱手とも違う子供だった。
大人しく、いつも冷静で、それでいてうるさく言わない彼のそばは、存外に心地よかった。
どこか自分に似ているとすら感じた。
アカデミー時代に、彼の顔を見た記憶はなく、初めて会ったときには不思議に思った物だ。
実は尚樹は下忍ではないのではないかと、大蛇丸は疑っていたこともある。
今の所、忍術らしい忍術を使ったところは見た事がないが、時折見せる動きは下忍のそれではなかった。
敵であれば殺す事にほんの僅かなためらいも見られない。
実践に慣れていない下忍は、圧倒的な殺気を浴びるだけでもう動けなくなるというのに、尚樹はいつもけろりとしていた。
むしろその殺気に相手が圧倒される時もあるくらいだ。
そんな風に行動の端々で下忍らしからぬ動きをみせるのに、本気なのかわざとなのか、尚樹はひどい方向音痴ぶりを発揮した。
目を離すとすぐに道に迷って戻って来れなくなってしまうので、気の短い自来也がよくその手を引いて先頭を行った。
大蛇丸達が中忍になっても、上忍になっても、尚樹は下忍のままだった。
下忍の頃は気づかなかったが、尚樹がほとんど二代目専属の忍びだと気づいたのは、中忍になってからだ。
用事で訪れるたびに二代目のそばには尚樹の姿があった。
烏の面をかぶった暗部が尚樹だと気づいたのはもっと後の事で、彼の右腕にある刺青が、ずいぶん昔に掘られた物だと、その青の薄さに気づかされた。
大蛇丸達が上忍になっても、放っておくと道に迷う尚樹の手を引くのは自来也の役目だった。

下忍の頃は、尚樹と任務をこなす回数が多かった、と綱手は記憶している。
綱手が下忍から中忍になり、上忍になった頃には任務を一緒にこなす事はなくなった。
後から考えれば妙な話だった。時折綱手達の班に混じる尚樹は、他の人間と決まったセルを組んでいない事になる。中忍試験も受ける様子はなく、いつまでたっても下忍のままだった。
はじめは医療班の人間なのかと思っていたが、綱手が医療班に移動しても尚樹に会う事はなかった。
中忍になった頃には、任務以外で会う事の方が多くなった。よく見かけたのは、夕暮れ時の町中で、自来也と一緒に夕食をとっている姿だ。尚樹は、どちらかと言えば自来也に付き合わされているようだったが。
大蛇丸とも交流があるようだった。物静かな尚樹の雰囲気は、自来也よりも大蛇丸に近かったように思う。他の誰とも違ったのは、何に対してもおおよそ執着心という物が感じられない所だ。彼の簡単に死んでしまいそうな雰囲気が、綱手は苦手だった。
目を伏せて笑う癖が、穏やかで儚くて、時折ざわつく心を無視する事が出来なかった。
「お前の笑った顔が気に食わない」
「いきなり何。さすがの俺も笑顔に駄目だしされるとか初めてなんですが」
「うるさい」
「……あの日?」
頭をはたこうと勢い良く横に薙いだ手の平は見事に空を切った。僅かに上体をそらしただけで攻撃を避けた尚樹はいつもの無表情だ。それにすこし安堵する。
「珍しくそっちから夕飯に誘っておいて、言う事がそれとは……」
「悪い、つい本音が口に出た」
「ねえ、それ謝ってないよね? 謝ってないよ」
はあ、と盛大にため息をついた顔は、やはり無表情。下忍の頃からの付き合いで分かった事だが、尚樹は比較的素直に心情を行動に反映しているらしい。だから、顔は無表情でも、今のは呆れていると言うジェスチャだ。
笑う事も滅多にないが、それだけはなんとか見分けられるようになった。無表情なせいでどうにも身振りが芝居がかって見えるが、そこまで器用なタイプでもない。
「それより、最近お前何をしてるんだ」
「何って? べつにいつも通りだけど」
「任務内容とかの話だ。一体いつまで下忍でいるつもりだ」
「俺は別にずっと下忍で構わないんだけど」
「そんなんで食っていけてるのかお前……」
「まあ、下忍って言っても任務のほとんどは暗部のやつだし、お金には困ってないよ」
さらりと告げられた事実に、綱手はあおっていた酒でむせそうになった。一体今こいつは何といった? 暗部?
「初耳だぞ」
「そうだっけ? てっきり知ってるのかと思ってたよ」
自来也と大蛇丸は知ってるみたいだったから、という尚樹の言葉には更に驚いた。そんな話はした事がない。ふたりともその事は教えてくれなかった。
「……いつから、暗部の仕事を?」
「ずっと前からだよ。綱手と会うより前」
初めてあった時の事を思い出した。自来也の拾ってきた尚樹は雨に濡れてぐったりとしていた。足に包帯は巻いていたものの、怪我らしい怪我はなく、不審に思ったものだ。
「お前みたいなのが暗部で大丈夫なのか」
「手厳しい……まあ、その意見には俺も同意だけど」
膝の上で丸くなっている黒猫を撫でながら、尚樹が僅かに目を伏せた。ああ、またこの顔だ。

「だからお前の笑った顔が気に食わないと言っただろう。笑うな」
「ええー」