空蝉-20-

時間を過ぎたが戻ってこない。
猿飛ヒルゼンは一人頭を抱えて、集合場所で立っていた。今回暗部としての任務は初めてと言う相方は、素姓はおろか、顔さえも分からない。ヒルゼンがここに立ってから影の位置がすでに15度動いている。
「俺にどうしろと……」
どこかで変な事に巻き込まれていなければ良いのだが。というか、ターゲットを見つけて深追いしてたりしないだろうな、といろいろな可能性に思考を巡らせる。
もっと二代目に突っ込んで色々聞いておくんだった! と軽率な過去の自分を叱咤する。
ふっと自分の影に別の影が交差し、考えるよりも先にクナイを抜いた。
一瞬で変わった空気に、緊張感が増す。ぴりぴりと肌を刺すような空気だったが、殺気は感じられない。
頭上に向けて突き出したクナイは、堅い音を立ててはじかれた。あわせた刃にクナイを絡めとられる。変わった形状だと冷静に観察した。
とっさに後ろに飛び退くと、ヒルゼンの立っていた所に、烏の面を着けた男が着地する。砂を踏む音、わずかに舞い上がる砂埃。
どさりと地面に落ちたのは、力のない身体。
無造作に右手に握られたそれは、確かに今回の標的だ。既に息をしていない。
やりやがった。
「……」
はー、と深い深いため息が漏れた。
「ターゲットを見つけても、手は出すなと言っただろう」
一拍遅れてリュークがこくりと相づちを打つ。じゃあなんでしとめてるんだと沈黙で問えば、通じてないのか沈黙で返された。
なんだろう、この感じ。大きな子供を相手にしている気分である。
左手に握られていた刀が鞘に納められる。もしかして、チャクラ刀か、とその黒い刀身に視線を向けた。
刃の片側が櫛状になっているそれを、ヒルゼンは見た事がない。おそらく先ほどのように相手の武器を絡めとるのが目的なのだろうが。左利きなのだろうか。
「……とりあえず、戻るか」
ここでうるさく言っても仕方ない。順序はともあれ、任務は遂行された。あとは報告に戻るだけだ。もっとも、ヒルゼンには報告する事などこれっぽっちもないが。


「猿のやつがお前の扱いに困っていたぞ」
くつくつと笑いながら扉間は子供の姿に戻った尚樹に話しかけた。先ほどその尚樹の隣でヒルゼンが短い報告を終えた所だ。
以前は暗部、主に暗殺を行っていたという尚樹の言葉に嘘はなかったようで、もっと時間のかかる任務だと思ったのだが、すぐに標的を見つけ出し、一人でしとめてみせた。
処理班の報告を聞いた所によるとターゲットの体にはこれといった外傷はなく、死因は分からないという事だった。
一体どのようにして殺したのか、非常に興味深い所ではあるのだが、そう簡単に手の内を明かすとは思えない。それは忍として当然の事だ。
「はあ……」
面をはずしながら興味なさそうに尚樹が相づちを打つ。顔は無表情だが、返事は心ここにあらずという響きだ。
「何か気になる事でもあるのか?」
「いえ……なんでわざわざ大人の格好していかされたのかと」
思って、とそれこそ興味がなさそうに尚樹は手の中で面をもてあそんだ。
「その方が面白いだろう」
「……聞いた俺が馬鹿でした」
相変わらずの無表情、よく訓練されている。扉間が、彼の言葉を信じた理由の一つだ。幼いのにとても暗部らしい。
下忍として任務をこなしている時とは、僅かに異なるその雰囲気。どちらが本当の彼なのか、付き合いの短い扉間に判断は難しかった。
すでに猿飛の気配は扉の外にない。同行させた暗部が何者なのかずいぶんと気にしているようだった。本人が言っていた通り、暗部の任務は一人で行かせた方が正解かもしれないな、と扉間はヒルゼンの反応を振り返った。
今回は目付のつもりだったが、見事に意味がなかったし、任務も一人でやってしまった。
あとは水沢尚樹という人間がどれほど信用出来るか、だが。
年はまだアカデミーを卒業したばかりといったところか。父も母も、おそらくいないのだろう。今まで一度もそういう話は聞いたことがなかったし、ここにとどまる事を厭う様子もない。
彼ぐらいの年なら、まだ親や友人が恋しいはずだ。元の時代に戻る方法を探している様子もないし、誰かを探している様子もない。
扉間の勘が、尚樹はひとりぼっちなのだと告げていた。
もう少しくらい、子供らしくしていてもいいと思うのは、きっと情が移ったせいなのだろう。
なんとなく構いたくなるのは、自分の性格なのか、尚樹のふるまいのせいなのか。
「口寄せの仕方を教えてやろうか」
「……ずいぶんいきなりですね」
「猿から聞いた。口寄せの術を覚えたいんだろう」
「ええ、まあ……でも時間の無駄かもしれませんよ。俺の忍術は9割方不発ですから」
「……そんなにか」
「そんなにです」
一瞬の沈黙。これはまたやりがいがありそうだな、とため息をついた。
でもまあ、それも悪くない。退屈しなくてすみそうだ、と無意識に口角が上がった。
この時はまだ尚樹の言葉を甘く見ていたと思い知るのは、彼が口寄せを習得するまでに2年かかった頃だった。
不発率9割、というのは全くの嘘で、扉間の見立てでは9割9部9厘といった所か。
成功した時は尚樹よりも扉間の方が喜んだくらいだ。肝心の尚樹はと言えば、口寄せした猫を撫でまわしてその毛並みを堪能していたようで、口寄せが成功した事は二の次だった。