空蝉-18-

「あ」
ざく、という気前の良い音とともに、尚樹が短く声を上げる。
近くから聞こえた声と音に、綱手は手をとめて顔を上げた。
「どうした」
「ん? んー、何でもない」
いつもの無表情で短く返事をした尚樹を怪訝に思いながらも、作業に戻ろうと鎌を持ち直した。
体をかがめると、濃い血のにおいがする。
もしかして、と立ち上がり尚樹の方に顔を向けると、既にそこに姿はなく、地面に黒いあとがあった。
「……あの、馬鹿!」
綱手は急いでその後を追いかけた。
錆びた鎌を水道で濯いでいる尚樹に、ほっとしたのもつかの間、よくよく見れば呑気に鎌を洗っている場合ではないというくらいその足下は血だらけだった。
「おい、早く先生に……」
「大丈夫だから」
綱手の言葉を遮るように、いつもより少し強めの口調で尚樹が言い放った。
その顔にはいつもはない色が浮かんでいて、綱手はわけもなく気圧された。
水が血の跡を洗い流していく。きれいになった尚樹の足には傷などどこにもなく、大量の血が嘘のようだった。
「……おまえ、もしかして医療忍術が使えるのか」
「……ああ、うん。そう、そんな感じ」
素っ気なく返事をして顔をそらした尚樹に、もう先ほどの表情は無く、いつもの無機質な物に戻ってしまっていた。
その顔と足を思わず見比べてしまう。思えばこの時が、医療忍術に興味を持った瞬間だったのかもしれない。


痛みに鈍いというのは、良い事なのか悪いことなのか綱手には分からなかった。
尚樹は痛みに鈍いらしく、基本的に怪我をしても平時と変わらないくらい動けるし、表情も変わらない。
それが綱手には怖くもあった。
基本的にあまり怪我をしない尚樹だが、怪我をする時はそれはもうひどい怪我をする。
その度に綱手は「治せない」と思う。
それをいつの間にか尚樹は自分で治してしまっていて、その度にほっとするような、悔しいような気分に陥るのだ。
そして今現在、綱手は青ざめた顔でその場から動けずにいた。
さかのぼれば数刻前、他愛ない会話からそれは始まった。
「……チャクラ刀、って何?」
首をかしげた尚樹に、呆れたように自来也がチャクラ刀を取り出した。
「尚樹、チャクラ刀使った事ないの?」
不思議そうに首をかしげる大蛇丸は、自来也の前とはあきらかに違う態度で尚樹に接する。
その態度に綱手がいつも鳥肌を立てている事は本人以外知る所ではない。
「チャクラ刀って言うのは、こうやってチャクラを使ってー……」
見せた方が早いとばかりに自来也がチャクラ刀にチャクラをこめる。別段難しい事ではない。
チャクラ刀とは、普通の刀に比べてチャクラを込めやすく、またチャクラを切るのに優れている。
傀儡の術などは、その良い例でチャクラの糸を切る事に向いている。
そんなに珍しい道具ではないと思うのだが。
「……それって、わざわざチャクラ刀じゃないと駄目なの?」
ふつうのクナイでも、変わらなくない? と不思議そうに首を傾げる尚樹。
チャクラ刀じゃないと、チャクラは切れんだろう、と当然のように言い放った自来也に、綱手も大蛇丸も同意した。
「そうなんだ」
傀儡使いを相手にした事ないから、分からない、と尚樹はチャクラ刀をまじまじと見つめた。
「今度俺も貰おうかな」
「ああ、そうだな。持っておくと何かと便利だぞ」
自来也から受け取ったチャクラ刀に尚樹がチャクラをこめる。
まじまじとそれを見つめて、尚樹がその刃先にそっとふれたときに、それは起こった。
ほんの少し触れただけだったのに、それはもう見事なくらいに切れたのだ。
切れた、という表現はこの際不適切かもしれない。
音も無く鮮やかな切れ口で、尚樹の指はほとんど切断と言っても過言ではないくらいに切れたのだ。
とたんに溢れ出した血は、一瞬で勢いを失いぼたりと尚樹の腕を伝って地面に落ちた。
慌てる綱手達とは対照的に、尚樹はいつもの無表情でチャクラ刀と自分の指を視線で行き来し、呑気にもそれを自来也に返却した。
ぎこちない動きで自来也は血の付いたそれを受け取った。
ほとんどとれかけと言っても過言ではない指を尚樹が押さえる。
「……えーと、じゃあとりあえず、俺血を流しに行ってくるね」
「呑気な事言ってる場合か! とりあえず病院だろうが!」
「平気、このくらいなら自分でなんとか……」
「なるか!」
奇しくも3人の声が重なった。しかし当の尚樹はけろりとしている。
病院に連れて行こうとした綱手に何かを感じ取ったのか、じり、と後退し始める。
薄々気づいていたが、こいつもしかして病院嫌いか!
「……大人しくしろ、尚樹」
「……」
指を押さえたままじりじりと尚樹が後退しだす。見かけによらず、子供っぽい行動をするやつだ。
血はもう止まっているのか、最初にあふれた以外は流れていない。
あまりの止血のうまさに、拍手を送ってやりたいくらいだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「……綱手、落ち着いて。ほら、もう治ったし」
「バレバレの嘘をつくな。そんな深い傷がそう簡単に治るか」
「そこはほら、医療忍術で」
「治るわけないだろう。なんなら傷口を見せてみろ」
綱手の挑発に尚樹がそっと傷口を押さえていた手を開く。
血は流れなかったが、一度流れた血のせいで傷口はよく見えない。
しかし確かにくっついているようではあった。
おそるおそるその傷口に触れると、先ほどの取れるかもしれないと思われたほどの指はグラリともせず、切り口らしい感触もない。
一体いつの間に、と不信感もあらわにその無表情を凝視した。
こんな事が出来るならチャクラ刀の一つも知っておくべきじゃないのか、とかどうでも良い愚痴が頭をよぎる。
あまり医療忍術に詳しくない自来也は単純に感心していたようで、しげしげと傷口を眺めていたが、凄いなんて物じゃない。こんなのは、不可能だ。
大蛇丸も珍しく驚いた表情で尚樹の指を触っている。
おそらくこれが、大蛇丸に医療忍術への興味を与えたのだろう、と後に綱手は思い出すことになる事件だった。