空蝉-14-

一番上の本棚を見上げる。
店内に客の姿は無く、昼だと言うのにどこか仄暗い。
脚立をもってくれば良いのだが、その手間が面倒で尚樹は念を使って一番上の棚にもっていた本をしまった。
ついでに、はたきを使って軽くホコリを払った。
結構古い本がいろいろとそろっていて、尚樹にはなかなか興味深い。
カウンターに座っているのは年老いた男性で、ずいぶんと耳が遠く、ついでに目も悪い。
ここでバイトさせて欲しいと頼んだら、意外とあっさり承諾してくれた。
ついでに、足が悪くて2階は使っていないからと、間借りさせてもらっている。
何というか、おおらかな人だ。
「じいちゃん、お茶入れようか」
「んん?」
「お茶、入れようかー?」
「んー?」
「おーちゃー」
「ああ、そうだねぇ」
ようやく通じたのか、空になった湯のみを受け取る。
結構年季の入ってそうなポットから急須にお湯を注いで、本日3回目のお茶を入れる。
薄々気づいてはいるのだが、どうもすこしボケが入っているらしく、尚樹のことを孫だと思っているようだ。
名前で呼ぶと、じいちゃんと呼べ! と躾けられる。
あと、釣り銭を間違ってる、商品の値段を間違っている、ご飯を食べたか曖昧。
この人、一人暮らしはまずいんじゃないかと思わなくもない。
古本屋なんてやっている場合なのか、と突っ込みたい。
ただ、ときどき近所の人が世話を焼いてくれているみたいなので、意外と大丈夫なのかとも思う。
彼曰く、最近家内を亡くしたばかりらしく、家事はほとんど出来ない。
最近って、どれくらい前だろう、と彼より遥かに若い女性の遺影を見て疑問に思う日々だ。
「夕飯の買いもの行ってくるけど、食べたいものある?」
「んん?」
「買いもの行ってくるけどー、食べたいものー」
「んー?」
「ごーはーんー」
「ああ、もうそんな時間かい」
よっこらしょ、と立ち上がろうとする老人を尚樹はあわててとめた。ご飯はまだだ。
「買い物にー行ってくるからー」
「そうかそうか、お小遣いをあげようねぇ」
いや違う、おやつを買いにいくわけではなく、夕飯の買い物に行くんだけど、と差し出された小銭をあきらめて受け取った。


姿を消してすぐ、近くの町や村を探させたが、少年の姿はなかった。
子供の足だ、忍びと言う事を考慮してもそう遠くへは行けないはずなのに。
残ったのは木の葉の額宛一つ。
一体どういう術を使ったのかと、ヒルゼンは眉根を寄せた。
目の前にいながら、みすみす逃がしてしまった事に対する自責の念が、あの光景を鮮明なものにさせていた。
印は、組んでいなかった。
何かはじけるような、あるいは電流のような音が一瞬だけした。
彼の手には札も何も握られていなかった。
ますます分からない、と頭を抱えたくなる。ただ確実に言える事は、彼が忍びである事は間違いないと言う事と、少なくとも下忍ではないと言う事か。
下忍であれば、あそこからああも簡単には逃げれない。
火影の部屋まで続く廊下を歩きながら、ヒルゼンは少年の最後の言葉を思い出していた。
「未来で会いましょう」というのは、どういう事なのか。
そして、自分の事を三代目、と呼んだ、その真意をはかりかねる。
扉の前に立つと、ノックをする前に入室の許可が下りた。
中に入ると、窓を背にして座る二代目がいる。逆光であまり表情はうかがえないが、少なくとも笑ってはないだろう。
「猿か。何か手がかりは見つかったか?」
「いいえ、まだ……」
そう、何がおかしいって、全くと言っていいほど情報がないことだ。水沢尚樹と言う人間の存在を残すものが、何一つないのだ。
この、額宛以外は。
何の変哲も無いそれをヒルゼンは二代目に渡した。しかしそれも、何の手がかりにもならない。
二代目は受け取った額宛をじっと見つめて、長いこと使われていたのだろうと、その細かな傷を眺めた。
「……なにか、術がかけてあるな」
言われて初めて、ヒルゼンはその額宛をまじまじと見た。妙な気配は感じなかったから、特に気にはしていなかった。
二代目が指先にチャクラをこめる。
ぱちりと青い火花がちってその指先がはじかれた。
「……!」
スローモーションのように布の部分が端から焼けていく。
不思議と、熱くはなかった
「二代目!」
「……平気だ」
掌の中に残ったのは、冷たい金属の感触だけ。
それをくるりと返して、そこに刻まれた文字を、意味を汲み取ろうと二代目は目を細めた。
「……猿、お前これに見覚えは」
差し出された額宛を受け取って、ヒルゼンはそこに描かれた文字に眉根を寄せた。
こういうのを何というんだったか……ああ、そうだ、迷子札。
「拾った方は、木の葉まで。登録番号012629、水沢尚樹……三代目火影、猿飛ヒルゼン」
それは、まぎれもなく自分の字だった。