空蝉-13-

揺さぶられて目が覚めた。ああ、久しぶりだな、と思う。
いつも誰よりも先に目が覚める尚樹は、起こしたことはあっても起こされたことはほとんどない。
目を開けて視界に飛び込んできたのは、年の頃なら尚樹と同じくらいの女の子。
見覚えの無い顔に、起き上がって周りを見渡した。
そういえば昨日は綱手様の家に泊めてもらったんだった、と思い出す。
「自来也、目が覚めたぞ」
女の子の言葉に、少年が顔を出した。自来也? と尚樹は首を傾げた。
尚樹の知る自来也はこんなに幼くない。
ああ、そうか、夢か。と何となく頭の片隅の冷めた部分で理解した。
夢の中で唐突にこれは夢だ、と気づく時の感覚は不思議なもので、知らないのによく知っているもののように感じる。
女の子と自来也が何やら話し合っているのをどこか遠くに聞きながら、尚樹は朝日の差し込むカーテンの隙間を見遣った。
起き上がって窓際まで歩き、カーテンを引く。遠くに見える火影岩には、2人分の顔しかなかった。
なるほど、今はまだ二代目の時代か、とそのどこか物足りない景色を眺める。
ぴたりと口を止めた二人をゆっくりと振り返った。
男の子が自来也様ならば、女の子はおそらく綱手様なんだろう、と夢の中にしては冴えた、でも現実にしては妙に確信的な思考で納得する。
夢から覚めるには、どうすればいいんだっけ。
いつも、どうやって起きていた?
自問自答してみたが、それは思い出せそうで思い出せない。
まあ、いいか。夢なら夢で楽しみましょう、と尚樹は早々に思考を放棄した。


「口寄せ?」
尚樹の声に、自来也がゆっくりと頷いた。その顔は子供ながらに真剣そのもの。
どっかで聞いたような話だな、と尚樹は自来也達の話に心の中で渇いた笑みをもらした。
違う時代の人間を口寄せによって呼び寄せてしまう。意外とあることなのだろうか。すくなくとも尚樹にとっては2回目だ。
綱手にはまだ言っていないのか、ちらちらと自来也が台所の方に視線をやった。
尚樹もつられてそちらに視線を送る。円で感じる気配は、まだ台所にとどまっていた。
「……つな……彼女にはまだ内緒なの?」
「……」
ばつが悪そうに間を置いて自来也が小さくうなずいた。
「言わない方が良いの?」
「ばれたら先生にチクられる」
あ、なんか今この二人の力関係が見えたな、と将来的に変わらないその関係に苦笑が漏れた。
それにしても、隠しておきたいならわざわざ綱手様の家に来なければ良いのに、と至極当然のことを尚樹は指摘した。
自来也が子供の指で尚樹の足を示す。そこには何も無く、尚樹は首を傾げた。
「お前が紛らわしく、包帯なんて巻いてるから、怪我してるのかと思って」
拗ねたように眉根を寄せた自来也の顔を見ながら、包帯? と特に傷など見当たらない自分の足を眺めた。
「……ああ、」
そういえば鎌でさっくりやったんだった、と傷口のあったあたりを撫でる。
とっくに自分で治してしまったので忘れていた。
「自来也さ……自来也、あの子には言わなくても、ていうか言わない方が良いかもしれないけど、先生には言った方が良いと思うよ?」
「言ったら怒られるだろ」
「や、そう言う問題ではなくてね、火影様に報告した方が良いと思うんだよ。身元不詳の人間が里にいるとまずいだろ?」
「それは……」
「もし俺が悪党とかスパイで里になんかあったら困るでしょ?」
「……そのつもりがあるならそんなこと言わんだろ」
「それでも、だよ。これが作戦だったらどうするのさ」
尚樹の言葉に自来也は黙り込んで子供らしく唇を尖らせた。自来也は普通に関係ない人間を口寄せしてしまっただけだと思っているようだが、尚樹は未来人だ。
やっぱり一応火影には報告しておいた方が良いだろう。
報告なんてせずに、木の葉を抜け出てそこらの町で平穏に暮らすと言う選択肢もかなり魅力的ではあるのだが、なんとなくここにいた方が良いような気がした。
戻れるかどうかは分からないし、希望を抱いているわけではないが、いつも場所は木の葉だ。
何か意味があるのかもしれない。
「自来也の先生って誰?」
「……猿飛ヒルゼン」
「……ああー」
誰かとおもえば、もしかして三代目のことか、と尚樹は手を打った。
名前で呼ぶことなど無いので、一瞬誰だか分からなかったことは、どうか許して欲しい。



こうして火影の前に立つのは三度目だ。
そのうち2回は同じ人物の前に立った。今思えばその2回とも「彼ら」にとって予測されていたことなのかもしれない。
もしかして、これがすべての始まりなのか、と自分では知り得ないことを尚樹は考えた。
尚樹が時間をさかのぼっているということは、「彼ら」にとってどこかに始まりがあるはずなのだ。
はじめて尚樹が、こうして火影の前に立った時が。
だからこそ、今までの2回はこれといって疑われることも無く里においてもらえた。
今思えば、いつも時代も自来也は尚樹のことを知っていた。
この時代の自来也は、尚樹のことをおそらく知らない。
ああ、今回は少しもめそうだなぁ、と暗部の面すらないことに尚樹は肩を落とした。
「常に面を持ち歩け」という三代目の言葉を今更ながらに理解する。

「名前は」
「水沢……尚樹、です」
「下忍に口寄せされたと聞いたが?」
「はい、状況から考えて、おそらく間違いないかと」
「そうか。しかし、木の葉の下忍に水沢尚樹と言う人間はいない」
そりゃそうだ、と尚樹は無表情のままに二代目の顔を見つめ返した。未来人です、なんて言ったら気が狂っていると思われるだろうか。
異世界人だ、と言ったことは今まで無い。些細なことだと思ったし、誰も信じないだろうと思う。
それに、知られていない方が何かと都合が良い。
未来を知っているなんて、誰にも知られない方が良いのだ。
「どうした、答えられないのか」
鋭い声に、ため息を一つついた。やはり、未来人云々は言っておかねばならないだろう。少なくとも、三代目や自来也とは未来で会う予定がある。ついさっきまで会っていたのだ。変えようも無い。
面倒だな、と尚樹は重い口を開いた。


正直に話したら案の定牢にぶち込まれた。
はー、と長く息を吐き出して、尚樹は冷たい壁に背中を預けた。
脱走は容易いが、さて、どうするか、と思考を巡らせる。
このまま大人しくしていれば、拷問にかけられるかもしれないし、かといって脱走すればなお怪しい。
夜一さんどこいったんだろう、と円を広げて気配を探る。
口寄せされたときに近くにいなかったので、もしかしたらあの時代に置き去りにされてしまったかもしれない。とても寂しい。
首に巻いていた額宛をはずして木の葉のマークを指でなぞった。
自分が未来人だと証明出来るものは何だろうか。
暗部の面なら、もしかしたら使えたかもしれないが、この額宛では駄目だ。この時代にも同じものが存在する。
未来を知っている、といっても、何十年も先の話で、ちょっと先の未来は漫画では触れられていないので知らない。
やっぱり脱走しようかな、と早々に面倒になって尚樹は目を閉じた。
そもそも好きでこの時代に来たわけではないし、この場所に執着があるわけでもない。
俺、何も悪くない、とここに至るまでの経緯を反芻して一人頷いた。
近づいてくる気配にゆっくりと目を開く。
仄暗い中でも、相手の顔ははっきりと見えた。
三代目、若い時はこんな顔だったんだ、とあの頃にはもうずいぶんと小さくなってしまっていた人の背中を思い出した。
「……俺の処分は決まりました?」
場合によってはもう脱走しちゃえ、とオーラを体にとどめていつでも念を発動出来るように備える。
「口寄せによって違う時代の人間を召還すると言うのは、正直考えにくい」
そもそも契約を交わしてもいないのに、と三代目は難しい顔をした。
「正直に話せば、そうひどいことにはならないぞ」
拷問フラグが立った、と掌の中の冷たい金属の輝きに目を落とした。なんだかんだと、結構傷がついて長く使っていることが分かる。別に戦闘中についたとか、そんなかっこいい理由ではなく、ただ単に扱いが雑なせいだ。
何年くらい、下忍やってたんだっけ、と意外に長い下忍歴を振り返った。
「どうした?」
頭上から振ってくる声に顔を上げて、額宛をさしだした。
とまどうような瞳で、三代目が視線を落とす。ああ、目は今も昔も変わらない。
「お返しします」
もともと、あなたに貰ったものなので。
アカデミーの試験に落ちた尚樹は、イルカではなく、この額宛を三代目から直接貰った。
全くの偶然だが、こうして三代目に返すことが出来るのは、奇跡的なことなんじゃないだろうか。
過去に戻る前、三代目の命は長くなかった。あのままいけば、木の葉崩しは成功し、彼は命を落とすはずだったのだから。
「渡した覚えは無いがな……これも、未来で渡したとでも?」
猿飛ヒルゼンは、子供の手から額宛を受け取りながらその様子を探るが、初めて合った時から変わらない無表情があるだけだった。
手の中の額宛に、何ら変わったところは無い。
「別に、特別な意図は無いですよ。ただ、里を抜けるなら返すのが筋かと思って」
「……里を?」
問い返したヒルゼンに、少年はひたりと視線を返した。
真っ黒な瞳は珍しいものではないが、そこにある輝きは暗く、とても子供のものとは思えなかった。
「未来で会いましょう」
三代目、と僅かに目を細めて、子供はその場からこつ然と姿を消した。
残ったのは、掌の中の金属の重さだけ。