空蝉-12-

ふーふーとおしるこを冷やす様が猫のようだ。
自分は昼間から酒をあおりながら、いつまでも幼い姿の尚樹を眺めた。
「それで、自来也様」
「様、はいらんと言っているだろう」
「いえ、だからそういうわけにはいかないんですって」
毎回この問答を繰り返している気がする、と尚樹はおしるこをすすった。うまい。
「ああ、そう、ミナトのことなんですけど」
「おお、元気でやっとるか」
「まあ、元気ですけど、そうじゃなくてですね」
ふーふー、と息を吹きかけてもう一口。うん、美味しい。
「うまいか」
「うまいです」
自来也様も一口どうですか、じゃあありがたく貰うかの、という微笑ましいやり取りに、隣で見ていた綱手は神経がぶち切れそうだった。
なんとまどろっこしいやり取りだ! かけらも話が進んでいないじゃないか、と。
はじめはずれた話を戻そう戻そうとしていた尚樹もあっけなく脱線している。
分かっていて流されているのか、それとも本気で流されているのか。
そもそも、いちいち自来也が話をそらすのがいけない、と額を押さえて長いため息をついた。
「そういえば、今口寄せの練習をしてるんですよ」
「出来そうか?」
「うーん、どうでしょう。サクモさんのチャクラを見ながらやってるんですけど今の所不発です」
もはや完全に話がそれてしまったことは誰の目にもあきらかだった。
気づいていないのはもちろん尚樹だけだ。
「木の葉の白い牙に教えてもらっていると言うのに、仕方の無い奴じゃのう」
「木の葉の白い牙……?」
「なんじゃ、知らんかったのか」
「いえ、知ってはいたんですけど、考えがそこまで至らなかったと言うか……」
尚樹にとってサクモはカカシの父だった。それ以上でも以下でもない。
原作も半分以上忘れてしまっているのだ。
そもそもサクモさんの出番ってほとんどないよね、と本人が聞いたら凹みそうなことを考えた。
「でもそうか、じゃあ」
あの人は、そう遠くないうちに自ら命をたつ人だ。
そういう人には見えなかったけど、とカカシによく似た笑い方を思い出した。どっちも意外と面倒見が良くて、お人好しで、苦労性。
「どうした?」
「……いいえ、なんでも」
お椀をくるりと回して、おしるこを飲み干した。甘い後味が舌に残る。
「そういえば、綱手様はどうしてここに?」
珍しい組み合わせだと、尚樹はそのツーショットを眺めた。
なんだかんだと、この二人がこういう場所で一緒にいるのを見たことが無い。
「おまえが、そうそうに病院を抜け出したあげく、一度も診察に来ないから出向いてやっただけだ」
「……それは、ご丁寧にどうも……?」
あちゃー、もう怪我なんて治しちゃったよ、と尚樹は遠い目をした。いつまでも痛む傷を放置している尚樹ではない。きっとこういうのをやぶ蛇というのだ。
「モウ全然平気デスヨ」
薄ら笑いを浮かべて尚樹は腰を浮かせた。本人はこれでもしっかり微笑んでいるつもりだ。もって生まれた無表情はそう簡単に作り笑いを浮かべてはくれない。
「まて、逃げるな」
綱手も尚樹にあわせて腰をあげた。
机の上に銭を置いた尚樹はひらりとテーブル横の窓枠をこえる。それに綱手も続いた、もちろん、勘定は無い。
すぐに追ってきた綱手に、尚樹は地面を蹴った。ぐんぐんと景色が後ろに流れる。逃げ足には自信があるが、この距離ではすぐに追いつかれてしまう。
すっと細い路地に入って両側の壁を交互に蹴りながら器用に屋根に飛び乗った。
もちろん綱手もこのくらいは朝飯前なのですぐに後に続く。
綱手が登りきるよりも前に尚樹はその反対側に飛び降りて絶をした。ぴたっと壁際に身を寄せて死角に入る。
はたしてこんな子供騙しに引っかかってくれるかと、曇天の空を見上げる。
あ、ミナトのこと聞くの忘れてた、と本来の用事を思い出して、地面に落ちた黒い点に視線を移した。
みるみる増えたそれは、待つほども無く地面を真っ黒に染めてすぐに尚樹に襲いかかった。
厄日だ、と重くなって体にまとわりつく服に顔をしかめた。
こんな僅かな軒の下では雨よけにもならない。
打たれるがままになっていた尚樹の頭上に、すっと赤い傘が差し出された。
視界に入った足先から順に視線をあげていくと、先ほどまで自分を追いかけていた人物。
あちゃー、と数分前と同じことを心中でつぶやいて、へらりと笑った。もうこれは、笑ってごまかすしか無い。いや、ごまかせるとは思っていないが、まあ、習慣と言う奴で。
ゆっくりと深くため息をついた綱手は、尚樹の足に巻かれた包帯に目をやった。
雨のせいで汚れているが、血のにじんだ跡は無い。
「……それだけ動ければ十分だな」
「え?」
雨音にかき消されて良く聞き取れなかった言葉に尚樹が首を傾げる。それに、なんでもない、と返して尚樹の手を引いた。
あきらめたのか、抵抗もせずについてくる。
「……おまえ、家は」
「ミナトの隣部屋です」
「……ミナトの家なんて、私は知らん」
「え……」
ぴたりと足を止めた尚樹を綱手は振り返った。無表情で自分を見上げる顔には見覚えがある。
昔、誰かとこうして雨の中を歩いたな、とぼんやり思った。
「どうした」
「いえ……それより、どこに行くんですか?」
「送ってやる。どうせ傘なんてもってないんだろう」
激しく遠慮したいです、と言う言葉をすんでで飲み込んで、ここどこかなぁ、とがむしゃらに走ったことを後悔した。
「家はどっちだ」
「た……たぶんあっち……かなぁ」
おそるおそる西の空を指差した尚樹に、綱手が何とも言えない顔をした。


風呂上がりで少し上気した頬と眠そうな瞳。時計の針はまだ9時を回っていない。
女物とはいえまだぶかぶかな寝間着を着て尚樹が遠慮がちに顔を出した。
頭にかぶっていたタオルを奪い取って、短い髪を拭いてやる。
条件反射のように一歩後ろに下がった尚樹は表情には出さないがあきらかに綱手におびえていた。
無理も無いか、とその反応に苦笑を浮かべる。
「とりあえず、今日は泊まっていけ」
外は、雨が激しさを増して遠くで雷が鳴っていた。
「いえ、さすがにそこまでお世話になるわけには」
「帰り道が分からないんだろう」
「……」
図星だ。だが、帰り道が分からずとも帰ることは出来る。説明するのは到底無理なので口にはしないが。
「大人しく泊まっていけ。べつにとって食いやしない」
「……どうも」
でもベッドは綱手様が使って下さいね、と言うが早いか近くにあったクッションをたぐり寄せて尚樹は床に横になった。
「……おい、まだ9時だぞ」
正確には、9時にもなっていない。
怪訝そうに眉根を寄せて、綱手は小さな背中を見遣った。
「でも、起きてても特にすることもないですし」
背中を向けたまま素っ気なく返事をした尚樹に顔をしかめる。確かにそれはそうだが、少しくらい話し相手をしてくれても良いのではないか、と構わず話しかけた。
「おまえ、今いくつだ」
「さぁ、15くらいじゃないですかね」
「……小さくないか」
「ほっといて下さい」
本人も気にしているのか、またしても素っ気ない答え。少し吹き出しそうになりながら綱手はずっと気になっていたことを尋ねた。
「お前、私の知り合いにむかつくほど似ているんだが、親は?」
「残念ながら、身内は一人も」
「……名前も分からないのか」
「父親は佑樹、母親は奈津子です」
「……そうか、やはり関係ないか」
「ちなみに、その知り合いの名前は?」
「尚樹だ」
そこでようやく子供が寝返りを打った。向き直った尚樹の顔は半分眠っている。
「……それは、まさしく俺の名前ですが」
「自来也から、尚樹は偽名だと聞いたんだが……嘘か?」
たしか、本名はリュークだったろう、という綱手に、自来也様がそういったのなら、きっとその方が都合がいいのだろう、と解釈してとりあえず頷いておいた。
一体どんな怒りを買ったのかは知らないが、綱手に出会い頭に拳を繰り出されるような知り合いと間違われたくはない。
「どうせ、尚樹という名前は自来也が付けたんだろう。悪趣味な奴だ」
「悪趣味ですか……」
「いずれにしろ、生きていたら私と同じくらいの年だからな。お前ではあり得ない」
「……へぇ」
それは本当に他人のそら似だな、と名前すらも同じであることはすぐにわきに追いやった。
眠い。
今日は綱手様に追い回されたし、雨に打たれたし、疲れたのかもしれない、といつもよりも強い眠気に尚樹は瞬きをした。
抵抗むなしく鉛のように重くなったまぶたが視界を遮る。
綱手の声が聞こえたが、あらがいがたい眠気に尚樹の意識はそこで途切れた。

返事を寄越さなくなった尚樹にため息をひとつついて、綱手は毛布をとりにいくために腰を上げた。
さすがにあれでは、堅そうだし寒そうだ。
座布団とクッションをかき集めて、厚手の毛布を手に取る。敷き布団は無いが、代わりにはなるだろう。
「……お子様体質にもほどがあるだろう」
文句を言いながら尚樹の体を持ち上げてその下に座布団とクッションを押し込む。起きる気配のない尚樹に、無防備すぎないか、と忍として少し心配になった。
頬を指先でつついてみても全くの無反応だ
毛布をかけてやろうとしてその足に巻かれた真新しい包帯が目につく。
起きる様子が無いのを再確認して包帯をほどいた。あれほど深く切った傷は、後も残らず綺麗なものだ。
そっと包帯を巻き直す。
毛布をかけてやると巻き込むようにして丸くなった。
まだ水気の残る髪を手ですいてやって、そういえば、部屋に人を泊めるのは子供の頃以来だ、と殺風景な自分の部屋を見渡した。
人が一人いるだけで、ずいぶん温度が違うように感じるそれは、久しく忘れていた感覚だった。