空蝉-10-

楽しい昼下がりの稲刈り中に血の雨が降ったのは、他でもない、尚樹自身のせいだった。


怪我をした本人よりも慌てた様子で病院に駆け込んだのははたけサクモ、尚樹の指導教官だ。
抱えられた尚樹の足にはタオルがきつくまかれ赤く染まっている。
ちょうど、病院を出るところだった綱手は入ってくるサクモとばったり対峙することになった。
その血相を変えた様子に、すぐに急患だと知る。そして漂う濃い血臭に、彼の腕の中にいる子供がその急患だと分かった。
子供は綱手と目が合うなり、するりとサクモの腕から抜け出してじりじりと後退する。
「尚樹、何してる、動くな」
大人しくしていたはずなのにいきなりそんな行動をとった尚樹にサクモが厳しい声を上げた。
なんせ尚樹の傷はどうしたらそんなに深く切れる、と言うほどぱっくりといっているのだ。
血になれているサクモもさすがにこれには慌てた。とても立てるような傷ではない。
「どうした」
「足を鎌でぱっくりいった。早く治療してやってくれ」
大げさだな、と早口でまくしたてたサクモに、冷めた気持ちで綱手は視線を尚樹の足へと移した。
タオルが赤くなってはいるが、そこまで出血は無いように見える。それに鎌、ということはおそらく下忍の任務中の事故だろう。
毎年最低1人は鎌で怪我をする。
「とりあえず処置室に運べ、誰か呼んでやる」
「そんな時間は無い、綱手、頼む」
「……わかった」
サクモの後ろに隠れていた尚樹の表情はサクモの態度はまるで正反対で、特に痛みを訴える様子はない。
すぐ終わるだろう、とため息とともに綱手は了承した。
看護師に声をかけて道具を一式準備するよう頼む。再び尚樹を抱えたサクモを先導して開いている処置室に入った。
「ベッドに」
無言で頷いてサクモが尚樹をベッドの上に下ろす。ベッドに腰掛けて綱手と向き合った尚樹の表情は、やはり場に似つかわしくない位の無表情だった。
「とるぞ」
軽く宣言してタオルをほどいた綱手は眉間にしわを寄せた。
止血の仕方が良かったのか、傷はぴったりとくっついていてどのくらいまで切れているのか分からない。
だが確かに少々深そうだ。
「……傷の具合を見たい。悪いが、少し開くぞ」
「……」
綱手の言葉に尚樹が一拍置いて頷いた。それを見届けて傷に手をかける。
少し開いて、思わずその傷を堅く閉じた。
「……おい、骨が見えてるぞ!?」
「だから、早く治療してくれといっただろう!?」
あわてて尚樹をベッドの上に横にする。綱手はここに来てようやく、サクモの焦りを正確に理解した。
何をやったらこんなに見事に切れるのか、とあまりに鮮やかな切れ口と深さに八つ当たりしたくなったのは無理も無いことだった。

里で支給している道具と言うのは、まあ、なんとうかそれなりに年季が入っている物が多い。
尚樹の持ちだした鎌も軽く錆びていて、お世辞にも切れ味の良い物とはいえなかった。
ざくざくとはじめはそれで地道に刈っていたのだが、ふと、周を使えば楽になるのではという考えが頭をよぎった。
さっそく鎌の周りにもオーラを巡らせる。
それはもう、見事なくらいによく切れた。おお、楽ちん、と錆びた刃に視線を滑らせる。
あまりに良く切れるので楽しくなってさくさくと稲刈りをしていたら、勢い余って鎌の刃がすねをかすめてしまった。
あとは言わずもがな、うっかり念でガードしていなかったためにほとんど抵抗もなくざっくりいって、文字通り血の雨が降った。
とっさに念で傷口を覆ったので出血は一時的に収まったが、あまりに痛さに顔の筋肉がこわばる。
とりあえず傷の手当をしないと、とサクモのところまで泣きそうになりながら歩いていけば、ものすごい速さで病院まで連れてこられてしまった。
尚樹はただ、血を流すためにちょっと水場にいってきます、と言うだけのつもりだったのだがそんな隙もなかった。
さすが上忍、と妙なところで感心してちょっと痛みを紛らわせる。もちろんかけらも紛れなかった。
しかし病院で運悪くも顔を合わせたのは、初対面でいきなり攻撃をされた女性だ。
また攻撃されたらたまらない、ととっさに間合いを取ったが、足が痛んですぐに後悔した。
間合いを取ったこところで、この足では無意味だ。
痛みで気が遠くなっている間に何故か綱手が傷の手当をすることになっていて、尚樹が戦慄したのは言うまでもない。

もっと優しく、そっと手当をして欲しい、という尚樹の願いもむなしく、それが全く表面に出なかったためにすっかり麻酔も忘れ去られて治療を終えた尚樹は、口を開くのも億劫なほど精神的に疲れていた。
予定では、人気の無いところでこっそり念で治療するはずだったのに、何をどうしてこんなことに。
布団の下に隠れた、おおげさに包帯の巻かれた自分の右足を眺める。
今頃は、とっくに傷も治って楽しく稲刈りをいているはずだったのに、と膝の上に丸くなった夜一を撫でた。
「なんだ、起きてたのか」
「サクモさん」
様子を見に来たサクモはぼんやりとベッドに座っていた尚樹に声をかけた。その後ろからミナトがぴょこっと顔を出す。
不幸にも現場に居合わせたミナトは、あのあと一人で稲刈りをするというなかなか厳しいポジションに置かれた。
しかもなかなかサクモが戻って来ないものだから、尚樹の怪我はそんなにひどかったのだろうか、と心ここにあらず状態。
ベッドへ駆け寄って、いつもと変わらない様子の尚樹にようやく安堵して笑みを浮かべた。
ミナトのあとをゆっくりと歩いて来たサクモはその様子に苦笑して、結構笑えない状況であることは黙っておくことにした。
よくもまあ、悲鳴の一つもあげなかったものだ、と尚樹のいつもと変わらない無表情を見下ろす。
足に巻かれた包帯は布団の下に隠れて今は見えなかった。
傷は、なんとか治療も済み、しっかり治せば大丈夫だと言われた。しばらく任務はお預けだろう。
「……おまえねー、まったく、気をつけなさいね」
「はぁ……すいません。ちょっとあんまり良く切れるもんだから楽しくなっちゃって」
「……おまえは……それにしても、よくあんなに切れたもんだな」
事の重大さを分かってない、と一人ため息をついて半ば独り言のつもりでそうこぼした。
しかし帰って来たのはとても的外れな言葉だった。

「そうですか? 人間の手でも、あのくらいは切れますよ」
「いや、切れないから」

奇しくもサクモとミナトの声がはもったのだった。