空蝉-4-

うっそうと木々が茂る森は深く、その地面までは光が届かない。
鳥の声は遥か頭上、草の間を這い回る生き物の気配は遠く足下。
草を踏む人の気配は、視線の先。

何か、多大なる誤解が発生している、と尚樹は暗い森の中で一人ごちた。
今回の任務の標的は、木の葉の里の抜け忍だ。
彼を始末するよう命令されている。
それ自体は別に難しいことでもない。もともと、ハンターの世界にいたときも、時々とはいえ暗殺者として働いていたのだから。
問題は、下忍としても暗部としても若葉マークの自分に、Aランク任務が当たり前のように割り振られていることだ。
しかも単独任務。
どこの馬の骨とも知れない輩にこんな重要な任務を任せていいのか、三代目。
ちょっと簡単に自分を信用しすぎでは?
「しかも絶対ベテランだと思われてるし」
あるいは、有能だと思われているような気がする。いや、まあ、はじめからそんな気はしていたけどね?
若葉マークだって言わなかった自分が悪いのは分かっているけど、でも言える空気じゃなかったし、と尚樹は自分に言い訳をする。
まあ、とにかく。
「任務をこなせばいいわけですよ」


絶をしているせいか、結構近くをつけているにもかかわらず相手が気づいた様子はない。
忍術がつかえないのは痛いけど、念能力者で良かったと尚樹はつくづく思った。
じゃなきゃ、とっくの昔に死んでいる。
手の中に黒いノートを具現化し、標的の名前を書く。
相手の背中を目だけで追い、唐突にその場に膝をついて、その一瞬後にはうつぶせに倒れたのを確認してからノートを消した。
木の上から飛び降りて、相手に近づき首筋に手を当てる。
脈はない。
死体はその場で処理しろと指令を受けていた。
指先を口にあてて、尚樹はその場で考え込む。
実は標的を見つけるためにドラえもんの道具を使い、さらにドラえもんの道具で移動してきたのだ。
つまり、今日具現化出来るのはドラえもんの道具か、DEATH NOTEに出てくる道具だ。
しかし正直DEATH NOTEに出てくる道具なんて、デスノートくらいだ。
死神の目は、寿命が半分になる危険性があるので、出来れば使いたくない。
そもそも、今それを具現化しても、何の足しにもならないことは分かりきっていた。
「うーん……」
ドラえもんの道具で死体を始末するような物騒な道具があるとは思えない、と。
「夜一さん、なんか簡単に死体を始末する方法ってないかな?」
「……埋めればいいんじゃないか」
「や、死体を埋めるのって結構重労働……」
俺、疲れるの嫌、と真面目に手を振る尚樹。
そんなの言われなくても分かってる、と夜一は半眼で尚樹を見つめた。
「よく使ってる懐中電灯みたいなので小さくして、適当にその辺に埋めとけばいいだろう」
「……なるほど、さすが夜一さん」
ドラえもんを知らない夜一のほうが、使い方をわきまえていることに何か釈然としないものを感じつつ、尚樹は手元に意識を集中させたのだった。



ちゃっちゃと死体を埋めて、尚樹が木の葉に戻ってきたのは昼過ぎだった。
移動に時間がかからないってすばらしい。ついでに、体力もかからないなんて天国だ。
とりあえず報告書を出しにいって、そしたら今日はもう仕事は終わりだろうか。
うれしいなあ、と足取りも軽く三代目の部屋へと向かった。
夜一の案内のおかげで、すんなりとたどり着いたドアをノックしようと手を挙げる。
その先に知った気配があるのに気づき、あげていた手を止めた。
円の中にある気配は自来也と三代目のもの。もう少し範囲を広げると、知らない人の気配がもう一つ。
出直したほうがいいかな? と尚樹はひとり首をかしげる。
しかし尚樹が結論を出すより早く、中から誰何の声がかかった。
自来也の声だ。
仕方がないので扉を押して顔だけ覗かせる。窓から入る光を、無意識に目で追った。
自来也の隣に立った女性が自分を凝視しているのに気づいたが、誰だか分からなかったので一瞥しただけで三代目へと視線を移す。
「報告書、持ってきたんですけど出直しますか?」
「……もう終わったのか?」
思わずというように時計を確認した三代目に尚樹はうなずいた。
任務内容から考えて、2、3日は最低でもかかるだろうと猿飛ヒルゼンは思っていた。
戻ってきた尚樹には、特に疲れや怪我は見られない。
それどころか、服の汚れすら見当たらなかった。
「……そうか、御苦労じゃった。報告書を」
手を伸ばした三代目に、さっさと渡して退出しようと体を滑り込ませた尚樹は、眼前に迫った白いこぶしに、考えるよりも早くしゃがみこんでいた。
空気を切る音が頭上で聞こえる。
ばん、と勢いよく扉のしまる音がして、すぐに行き場をなくしたことに気づいた。
目の前にある体に沿って視線を上げると、こちらをお見下ろす鋭い視線とぶつかる。
なんとなく知っているような気がしなくもないが、初対面であることに間違いはないはずだ。
そこは自分の記憶力を信じたい、と尚樹は流れてもいない汗を拭きたくなった。
彼女の足が動いたことを視界の隅でとらえて、とっさに報告書を相手の顔めがけてばらまいた。
ばらまいてすぐに相手よりも低い位置にいる自分に不利だと気付いたが今更遅い。
白く埋まる視界に、小さく舌打ちをして円を広げた。
正確に自分の首辺りを狙ってきた蹴りを腕でガードする。相手が念能力者じゃないからと、しっかり念で腕を覆わなかったことをこのときほど後悔したことはない。
蹴りを受け止めた瞬間、尚樹は骨が折れたと確信した。
吹き飛ばされる前にガードをあきらめてさらに体をかがめる。
ああ、この体勢は詰んだな、と床に膝をついて続く攻撃に備えたところで、ようやく自来也と三代目が止めに入ってくれた。
正直、あまりにも突然のことだったので、2人の存在を軽く忘れていた尚樹である。
2人が女性をなだめているのを床に膝をついたまま眺め、ばらばらになった報告書のことを思い出して、かき集める。
幸いにしてどれも踏まれてはいないようだ。
これなら書きなおさなくていいかも、と安堵して1,2,3と枚数を確認する尚樹に、相変わらずマイペースじゃのう、と自来也があきれ声を上げた。
「ええと、自来也様、そちらは?」
初対面の人間にいきなり殴りかかられるほど不審者ではないつもりなのだが、と尚樹はいまだ肩を怒らせている女性に視線をやる。
女性のほうは尚樹の何が気に入らなかったのか、さらに目じりを釣り上げた。
「綱手、落ち着け。人違いじゃ」
「人違いだと!? 他人の空似にもほどがあるだろう!」
綱手。聞き覚えのある名前に尚樹は改めて女性の顔を見やった。
髪が短いけれどなるほど、ほとんど尚樹の知る彼女と同じ顔だ。むしろなぜ分からなかったのかと自分に問いたい。
「えっと……とりあえず、初対面なので人違いだと思います。世の中には同じ顔の人間が3人はいるって言いますから」
まだ5代目になった綱手にも会っていないのだから嘘ではない。ましてここは元の時代より前。
自分の脳を総動員しても綱手とは初対面だと言い切れる。
これで初対面じゃなかったら、真剣に健忘症を考えただろう。
「……お前、名前は?」
「リュークじゃ」
尚樹が答えるよりも早く自来也が告げた。
それは暗部用の名前では? と思いつつも、自分が口を開くと面倒なことになりそうだと判断して、尚樹は静かに成り行きを眺めることにした。
目の前にたつ3人のうち2人は、実際に会ったことのある人物だ。
その姿に、確かな時間の流れを尚樹は感じていた。

綱手はしばらく射るような眼で自来也を睨んでいたが、明らかに納得していない表情のまま、分かった、と低い声で言って出て行ってしまった。
大きな音を立てて閉まる扉に、自分とよく似た顔をした誰かさんと綱手は相当仲が悪いらしい、と尚樹はため息をついた。


「おおう!? 何でいきなり泣き出すんじゃ!?」
「腕がなんだか、じんじんしてすごく、痛いです……」
さっき腕が折れたの忘れてました、と報告書を提出しながらぼたぼたと無表情のまま涙を流す尚樹に、自来也は慌てた。
「なんでそんな大事なことを忘れるんじゃ!」
鈍いにもほどがある! と木の葉病院に急ぐ自来也の肩越しに流れていく風景を見つめながら、何か以前もこんなことあった気がする、と尚樹はひとり既視感を覚えていた。