空蝉-2-

初めて三代目の前に立った時、部屋の中には他の上忍たちもそろっていた。
緊迫した空気の中、隣に立つイビキの存在に、返答を誤ればどんな目に合うのかいかに鈍い尚樹でも気づいていた。
そして、できるだけ理性的に言葉を交わしながら、その場から逃げる算段を立てていた。
拷問に対して耐性がないわけではない。
イルミやシルバ、ゼノ達から相手に気づかれず痛みを軽減させる方法を折々耳にしてはいたし、念を使えば耐えられないことはない。
しかし、痛いのは極力かんべんである。
幸いにして、逃げ足だけには自信がある。否、足、ではなく念、だが。
だから、三代目と自来也、自分を口寄せした少年の3人しかいない状況で特に身構えることもなく、尚樹は自来也と火影のやり取りをぼんやりと眺めていた。
別に拘束されてもいない。
備えあれば憂いなし、ということでこっそり足もとにどこでもドアを具現化し、ノブを回せば里の外に出れるよう先手を打っていた。
この世界の人間が、「凝」ができなくてよかったと思うのはこういう時だ。
写輪眼や白眼を持つ者がいなければ、ばれる心配はない。
とうの本人より心配げに自来也たちのやり取りを聞いている少年に同情したのは、尚樹のフードの中に隠れている夜一だけだった。


拍子抜けするほどあっさり迎え入れられてしまった尚樹は、一瞬声をなくした。
というのも、衣食住を保障するとまで三代目が口にしたからだ。
面の裏を自来也と同じように確認した三代目は、今も変わらない穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「住居はこちらで用意しよう。尚樹とかいったのう。見たところ、下忍か?」
「……はい」
「それならば、下忍としての身分も保証しよう。どうやら暗部にも属しておったようじゃから、暗部としても動いてもらえるとありがたい」
「それは……構いませんが、いいんですか?」
そんないきなり信用しちゃって、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。
尚樹にとってはとても都合のいい話だ。
まあ、忍者としての才能はからっきしなので、正直忍者として雇ってくれなくても良かったのだが。
だいたい、未来から来ただなんてそんな突飛な話を、こうも簡単に納得されるとは思わなかった。
意外とこの世界では常識なのか? と一瞬疑ってしまったほどだ。
いぶかしげに顔をしかめる尚樹に三代目は変わらずに笑みを浮かべている。
「わしはお主を信用できると思う。里への貢献を期待しておるぞ」
「……最善を尽くします」
たいして役には立てないと思うけど、と尚樹は乾いた笑みを浮かべた。
下忍としても、暗部としても若葉マークだなどど、もう今更言えない。
ついでに、忍術なんて変化の術くらいしかまともに使えなんて、口が裂けても言えない。
手裏剣が投げられないなんて知られた日には切腹ものだ。
今までは、まあ新人だしこんなもんだろ、と甘く見ていたのがここにきてあだになった。
返された面がいつもと変わらないはずなのに重く感じる。
珍しく感じるプレッシャーに、そっと息をついた。
まあ、ハッタリって大事だよね、とすぐに開き直り肩の力を抜く。
そうだ、勝手に勘違いしたほうが悪い。
それにきっと、いきなり現れた正体不明の未来人にそんな重大な任務なんてよこさない、と自己完結してとても清々しい気持ちになった。
うん、大丈夫。夜一さんもいるし。
ひとり納得した尚樹は、今はただの面へと戻ったそれをかぶり、隣に立つ少年の顔を見上げた。
自分より背が高い。サスケくらいだろうか。
「よろしく?」
「あ、ええと、波風ミナト、です。よろしく」
あと、ごめんなさい、と律儀に頭を下げた少年に「平気」と短く返して、自来也を振り返った。
「よーし、じゃあとりあえず尚樹はわしが面倒を見るから、分からないことがあればミナトに聞け」
「……つまり、ミナト君が俺の面倒をみてくれる、と」
言ってるそばから矛盾するという大技に、尚樹は何となく背後の少年がかわいそうになった。
今もこれから先も、自来也様は自来也様らしい。


寝室から見える月は三日月だった。珍しく夜中に目覚めた尚樹はベッドの上に上半身を起こしてぼんやりと窓から差し込む月明かりを見つめた。
ああ、そういえばハヤテさんはどうなったんだろう。やっぱり死んだのか。
ハヤテさんに限らず、何度か忠告のようなものをしたことがあるけれど、たいてい無駄に終わる。
逆に何もしてなくても流れが変わることもある。
つまり、神様は気まぐれで、尚樹が何をしようと知ったこっちゃないのだ。
「神様、ね」
むしろそんなものの存在を信じている人間がどれほどいるだろう。
尚樹も神様なんて信じていないけれど、もし世界を作った存在を神と呼ぶなら、この世界には確かに神が存在して、そして名前まで分かっている。
この先この世界がどうなっていくかも彼の手一つ。
「神様は俺の存在を知ってるかな」
口寄せされたときにとっさにたぐり寄せたのは夜一と、おそらく暗部の面。
たしか、持ってはいたけれどかぶってはいなかったはずだ。
後から調べたらシザーバッグの中身が中途半端になくなっていた。きっとあの場所でなくしたのだろう。
あの場所をなんと呼ぶのかは知らないけれど、きっと時空の狭間とかそんな感じに違いない。
まあ、呼び名なんて考えるだけ無駄だけど。
枕元で丸くなっている夜一を撫でる。緩やかに上下する腹部が、生きている証拠。
カカシ先生は自分の死体を見つけただろうか。それとも姿も記憶もなくなったのだろうか。
自分がいなくなった後のことはいつも分からない。
「まあ、どうだっていいけど」
それよりもこれから先どう生きていくかの方が尚樹には重要だ。
この状況で、自分の生きてきた道を振り返ったって得られるものはない。心臓が動いている限り、立ち止まることは出来ない。
ああ、もう本当に面倒だ。肺の奥の奥から重い溜息が漏れた。
ちくりと右手に走った痛みに尚樹は視線を動かした。
「……夜一さん、痛いよ」
指先に噛み付く夜一に少しびっくりしながら抗議する。寝ぼけているのかとその金色の瞳を見つめた。
立てていた歯がはずされて少し跡のついたところをざらざらとした舌が嘗める。
「夜一さん?」
「いや、なんかくだらないこと考えてたのかと思って」
「や、くだらないっていうか……」
面倒だな、って思ってたと疲れたようにため息をついた尚樹に、夜一は顔を上げた。
いつも飄々としている飼い主も、さすがに疲れているようだ。
ただでさえ面倒くさがりやなのだから、こうも環境がコロコロ変わることに嫌気がさしているのだろう。
ここは生きにくい、と以前言っていたのを思い出す。
花屋で店番をしていた頃とは生活のスピードが違うせいもあるのだろう。以前はあった後ろ盾もない。
この世界に一人きり。尚樹を知るものは夜一以外にない。
どこででも生きていける自分とは違う。人というのは何とも難儀な生き物だ。
「さっさと寝ろ。こんな時間に起きてるから変なこと考えるんだ」
「いや、むしろ考えるのも面倒で頭空っぽだよ」
「心配するな。そのうち帰れる」
夜一の言葉に尚樹が少し驚いたように目を見張った。
その反応に夜一も首を傾げる。なにかおかしなことを言っただろうか。
「帰れるなんて考えたことなかったな」
どうやって生計を立てようか悩んでた、と言った飼い主に、夜一は呆れて声も出ない。
珍しく落ち込んでいるかと思えばそんなことを考えていたとは。
前向きなのか何なのか。
いらん心配をしたな、と再び目を閉じて襲ってくる睡魔に身を任せた。
「……お前も、早く寝ろよ」