空蝉-1-

水の中をゆっくりと沈んでいくようだと思った。
バランスをとろうと手を動かすと、指先に堅い感触と柔らかい慣れた感触。
夜一だ、と直感した尚樹はそれをとっさに引き寄せた。


いきなり変わった目の前の風景に、尚樹は無表情のまま周りを見渡した。
以前から時折感じていた、体をひっぱられるような感覚。
いつも特に何もなかったから気のせいかとも思っていた。
しかし今日はいつもより強い力で引っ張られ、一瞬上も下もわからなくなった。
そしていま、先ほどまでいた場所とは全く違うところに立っている。
周りをよく確認しようと、かぶっていた面を外した。微かな違和感を覚える。
目の前には、自分と同じか1つ2つ年上らしい少年と、カカシ先生より少し年上に見える男性。
二人とも木の葉の額あてをしているから、おそらくここは木の葉なんだろう。
ただし、漫画でも現実でも彼らの顔を見たことは無かったが。
いや。
すぐに尚樹は自分の判断を改めた。
確かに、知らない人間だ。しかし、なんとなく見覚えがある。
というより、似ている。言うなれば親と子のような、そういう似かた。面影があると言ったほうが正しいか。
目の前の二人は尚樹の姿に驚いているようだったが、年上の男性のほうは比較的すぐに現在の状況を把握したようで、何かに納得したようにうなずいている。
何に納得したのか尚樹が教えてほしいくらいだった。
「せ、先生?」
尚樹と同じく状況を理解できていない少年が男性を見上げる。
少年は金髪に碧眼という、なんとなくナルトを思い出させる外見をしていた。
ナルトより、背は高いが。
そして、男性のほう、この顔と、どこかひょうひょうとした雰囲気。
先ほどまで一緒にいた人間に似ていると、尚樹はその顔を凝視した。
「おぬし、わしが誰か分かるかの」
「……その声、自来也様ですか」
顔は変わっても、人間声は変わらない。
尚樹の返事に、男性は一瞬驚いたように目を見開いたけれども、すぐにまた何かを理解したように笑ってうなずいた。
「様はいらん。様なんてつけられるとむずがゆくて仕方ない」
「……はあ」
苦笑を浮かべながらそう言った自来也に、尚樹は首をかしげた。
その言葉には覚えがある。先ほど会った自来也様も同じことを言わなかっただろうか。
無表情の下で尚樹はますます混乱した。
「先生、どういうことですか?」
尚樹と自来也のやり取りに全くついていけない少年が困惑気味に声を上げる。
無理もない。
尚樹でさえこの状況を理解できていないのだ。
おそらく、この状況を理解できているのは、自来也ただ一人だろう。
二人の視線を受け、自来也が口の端をあげて笑った。
「お前が失敗したんじゃ、ミナト。まあとりあえず、火影様のところに行くか」
「ちょっと、待ってください自来也様。なぜいきなり火影のところに行くんです。まず状況を説明してください」
この、右も左も分からぬ状態で火影のところに連れていかれてはたまったものじゃない。
以前、カカシ先生に拾われた時は驚くほどあっさりと里に受け入れてもらえたが、それでもカカシ先生からは結構厳しい目を向けられていたのだ。
他人に言われなくても、自分が一番不審者だということを理解している。
異世界から来ました、なんてトチ狂ったことを言えるはずもない。
そのくらいの常識は持ち合わせているつもりだ。
必然的に記憶喪失だとか、迷子だとか苦しい言い訳しか尚樹にはできない。
できれば火影様なんて偉い人に会わずにひっそりと生きていきたいのに。
というか、今更だけどなんでこんなに自来也様が若いんだ。
確かこの人50くらいじゃなかったか。
「んー、まあ、憶測じゃがな、おそらくお前はミナトに間違って口寄せされたんじゃ」
「そんなことあるんですか?」
少年の素朴な疑問に、自来也は過去にそういう記録がないわけではない、とあいまいな返事を返した。
「で、だ。ついでに言うと、おそらくここはお前がいた時空の前か後ろ、つまり過去か未来じゃ。まあ、その様子だと未来からか?」
「ああ、なるほど……道理で自来也様が若いはずだ。今、火影は何代目ですか」
「先日、三代目になったばかりだ」
「それはそれは……不幸中の幸い、か」
正直、火影なんて三代目と五代目しかよく知らない。それに三代目ならきっと悪いようにはならない、だろう。
だいたい、ここに来たのは自分のせいなのではなく、目の前に立つ少年の責任なのだから。
「ああ、一応その面を確認させてもらってもいいか?」
「?……これですか?」
自来也の言葉に、尚樹は左手に持っていた面を渡した。あれを確認して一体何になるというのだろう。
どこにでもありそうな、普通の面だ。
……ああ、違和感の正体はこれか。
「ちょっと細工がしてあってな。まあ木の葉の暗部である証明のようなもんじゃ」
「へえ、そうだったんですか」
「極秘じゃからの、知らなくても無理はない」
極秘、なのになぜ自来也は知っているのか。
ふとそんなことを思ったが、自分の身分がそれで証明されるなら別にいいかと尚樹はその疑問を追いやった。
こんな状況だというのに落ち着いている自来也とは対照的に、少年は先ほどからどこかおろおろとして落着きがない。
まあ、無理もない話だ。うっかり人間を口寄せしてしまったのだから。
しかも未来人。
そんな少年の頭を、尚樹は慰めるように掌でぽんぽんと叩いた。