陽炎-15-

指導者がゲンマであるせいか、両手に千本を構えた尚樹にカカシは少し焦りを覚えた。
正直、尚樹で勝てる相手ではない。個人的にはすぐにでも棄権するべきだと思う。
となりに並んだゲンマに、カカシは視線を向けた。
「……さすがに相手が悪いんじゃない?」
「心配性ですね。確かに相手は悪いですけど……すぐにあきらめるのは尚樹の悪い癖ですよ」
それに、たまには本気を出してもらわないと困る、と尚樹から視線を外さずにゲンマは答えた。
会場内が、今までとは比べ物にならないほどの緊迫感に包まれている。
尚樹の両手から放たれた千本は、相手に届く前にすべて砂によってガードされた。
我愛羅は表情一つ動かすことなく立っている。その視線さえも動くことはなかった。
会場内に動揺が走る中、尚樹だけがその事態を予測していたとでも言うかのように一瞬のためらいもなく跳躍する。
たん、と天井に足を着き逆さの状態のまま、間髪入れずに再び尚樹が千本を放った。
砂がその行く手を阻む。先ほどはじかれた千本は、しかしそのガードを突破した。
とっさのことに後退してその千本を避けた我愛羅は、先ほどの無表情とは打って変わってその顔に驚愕の色を浮かべる。
他の砂忍達の間にも動揺が走った。
我愛羅が上を見上げたときには既に、尚樹は次の千本を放っていた。先ほど同様砂のガードを突破して襲いかかる千本に我愛羅は追い込まれるまま後退した。
逆さまに落下しながら休む間もなく千本を打ち込む尚樹に、自然注目が集まる。
地面ぎりぎりで体を回転させて着地した尚樹は、その反動のまま地面を蹴り、一瞬で我愛羅の目前まで詰め寄った。
反射的に後退した我愛羅の背中に壁の感触。
勢いのままに左足で蹴りを繰り出した尚樹に、誰もが息を飲んだ。
直後、ダンッという轟音とともに、壁に放射状の亀裂が入り、一部が崩れ落ちる。
尚樹の左足は、我愛羅をとらえることなく壁へとめり込んでいた。
とっさに跳躍して尚樹の蹴りを回避した我愛羅は、尚樹の背後に距離を置いて着地する。
すぐに振り返った尚樹は、今の一撃が入らなかったことにため息をついた。
おそらく、次からは相手も油断してくれないだろうことは明白だ。一発入れる難易度が恐ろしく上がったのは気のせいではないだろう。
一方ギャラリーでは、ただの蹴りであそこまでのインパクトがあるとは思わず、衝撃が走っていた。
尚樹の体は、同年代の子供に比べて小さいのもその原因の一つだろう。
アスマは、このとき初めて尚樹が頑に手加減するのかを理解した。殺してしまう、というのはどうも誇張ではなかったらしい。
防御から攻撃へと転じたのか、けしかけられてくる砂を尚樹がひょいひょいと避けている。
そのまま大きく跳躍してギャラリーの手すりの上、ゲンマの近くへと着地した。
「ゲンマさん、そろそろ棄権してもいいですか。一発入れられなかったけど、努力は認めてもらってもいいと思います」
「努力は認めるが、投げ出すには早すぎるな。もう一踏ん張りしろ」
「のーう」
マジで死んじゃうとつぶやいて頭を抱える尚樹に先ほどの面影はない。
しかしそんな時間をながながと我愛羅が与えてくれるはずもなく、すぐに砂が襲いかかって来た。
それが届くよりもはやく跳躍した尚樹は再びホルスターへと手を伸ばす。
残りはクナイが3本。
一発でしとめるつもりだったので既に千本は品切れだ。無意識に舌打ちが漏れた。
印をくんでいる像の上に降り、次の手を考える。
先ほどのが尚樹なりの渾身の一撃だったために、返す返すも口惜しい。体力的には大した消費ではないが、精神的には大消費だ。
1本だけクナイを取り出して、握る手に力を込める。正直接近戦は避けたい。リスクが高すぎるし、正直得意ではない。
これだけ離れていてもやすやすと砂の攻撃は届くのだ。接近戦などしたらどうなることか。砂に捕まって全身パーンだ。
「どうした。来ないのならこちらから行くぞ」
うっかり戦闘心に火をつけてしまったのか、我愛羅がやる気だ。尚樹は少しだけ気が遠くなった。
左手を腰のシザーバッグへとのばす。一瞬だけ目を伏せて、覚悟を決めた。


次の瞬間に尚樹の手から放たれたものは、先ほど同様我愛羅の砂のガードを突破し地面へと刺さる。

それは、トランプだった。

思いもよらないものに、誰もが目を見張る。それもそうだろう。ただのトランプが床に突き刺さっているのだから。
「おいおい……さっきの千本といい……どういう投げ方してんだ」
「たく……あいつは……」
驚くシカマルをよそに、ゲンマはと言えば、そのトランプに嫌というほど見覚えがあった。二次試験の最中暇つぶしに尚樹が使っていたものだ。まったく、中忍試験になんてものを持ち込んでるんだ、と額に手を当てた。
「ありゃあ千本が切れたな。どうせ手裏剣に至ってはもって来てないだろうしな……」
「トランプもって来てて手裏剣もってこないなんてどんな神経してんのよ」
心底あきれたようにつぶやいたサクラに、あいつは手裏剣が使えないから、と何とも情けない理由を教えてやった。
その事実に、サクラはともかく、カカシまで驚いているのは納得いかないが。知らなかったのか。
ゲンマ達が呑気に話している間にも、尚樹はトランプを投げつけている。
再び跳躍し上方から我愛羅に接近した尚樹は、体を回転させるように蹴りを繰り出した。
「見よう見まねで木の葉旋風!」
直線的な攻撃なので難なく我愛羅に避けられたが、先ほど同様はずれた蹴りは床に亀裂を入れた。
ここでいったん引くかと思われた尚樹だが、意外にも体の回転を止めることなく、右手に握っていたクナイを我愛羅の胸へと振り下ろす。
かするだけで再び避けられ、先ほどよりも大きく舌打ちした。
体勢を崩しながらも後退しようと地面を蹴る。
しかしそれよりも早く我愛羅の砂が速く動いた。左腕にまとわりつく砂。一瞬の圧力。
尚樹自身、深く考えていたわけではない。ただ反射的にクナイを振り下ろしていた。
通常の精神状態では絶対に出来ないだろう、と後になってこの光景を思い出すことになる。
上腕部から、尚樹の腕がすんなりと分かれた。

傷口から吹き出しそうになった血を、念で覆うことにより応急止血。だだ漏れにしていたら出血多量で死ねる。
ドサッと床に転がった自分の腕に尚樹は顔色一つかえなかった。
正直痛みでそれどころではなかったのだが、周りから見れば異様な光景だ。
この頃になると、さすがにゲンマもまずいと思い始めていた。
再び襲いかかった砂に尚樹が立ち尽くす。その視線が一瞬鋭くなり砂の動きがとまった。我愛羅自身も大きく後ろへ跳躍する。
漂った濃厚な殺気に見ている方も息をのんだ。
突然全身を襲った妙な気配に、我愛羅は微かに震えた。この感じをなんと表現すればいいのか分からないが、何とも嫌な感じだ。
実際には殺気でもなんでもなく、尚樹がその場で練をしただけなのだが。今までの経験の中で、ハンターの世界と同じように、念能力者でない者に対して念でプレッシャーを与える事が有効である事は分かっていた。
たいして状況が有利になるという事はないが、今のように若干の足止めには使える。
まあ、要はただのはったりだ。
おそらくこれが最後のチャンスだろう。次で決められなかったら、誰がなんと言おうと棄権する、と固く心に決めて尚樹は陰を使ってそれを具現化した。
砂と尚樹の具現化した刀、どちらのスピードが速いかが勝負の分かれ目となるだろう。
「……一つ聞いておきたい事があるんだけど、やっぱり砂の鎧、かぶってるよね?」
一瞬の我愛羅の動揺を、尚樹は見逃さなかった。予想していたとはいえ、こみ上げるため息を押さえる事は出来ない。
念能力に頼らず、接近戦のリスクを冒してまで攻撃を入れようとしたのには理由がある。
砂の鎧の強度がどれほどのものか、測りかねていたからだ。
漫画を読んでいた感じだと、なかなかの強度があったように思う。
つまり、中途半端な攻撃では本体に傷一つおわせる事は出来ないのだ。
持っていた刀から手を離す。それはゆっくりと地面に呑まれていった。
こちらの出方を見ているのか、我愛羅は動かない。
床に膝をつき、身を屈めるようにしてでたらめに印をくんだ。
すっと刀の柄までも床に沈んでいく。
「卍解・千本桜景厳」
桜の花のように散る斬魄刀の軌跡を尚樹だけが見ていた。