陽炎-13-

眼下に3人の下忍をおさめながら、尚樹は指先で唇の皮をむいた。ピリッとした痛みが走って、剥きすぎたかもしれない、と舌で唇を舐める。血の味はしないので、ギリギリセーフだろう。ついつい皮をむいてしまうのは悪い癖だ。
再び3人へ意識を戻す。巻物を持っているのは一番後ろを歩いている下忍だ。3人とも木の葉の額あてをつけているが、尚樹の記憶ではその顔は知らない。つまり、彼らはいずれにせよこの試験には受からない。だから、別に木の葉同士でも構わないよね? と自問し、まあ世の中そんなもんだよね、と自答した。
一応近づいた時点で念を切って絶までしているので、相手がこちらに気づいた様子はない。自分の念のダメなところは、戦闘に向かないことはもちろんだが、複数の道具を一度に具現化できないところだ、と手の中に魔法の杖を具現化しながら尚樹はひとりため息をついた。まあ、ここで巻物を奪ってしまえば凝視虫の役割は終わりなので、構わないといえば構わないのだが。
「悪いとは思うけど、一番近くにいた、不合格確定な君たちが不運なんだよ」
ごめんね、と無感情に言いながら尚樹は呪文を口にした。まず一人、巻物を持っていた下忍が地面にうつぶせに倒れる。それに気づいて先に振り返った一人に、すでに続けて放たれていた魔法が当たり、残り一人には一人目に魔法を放ったと同時に投げていたクナイがかすって、やわらかな土へと深く刺さった。二人とも、一人目と同じようにその場にうつぶせに倒れ込む。
それを見届けて、尚樹は木の上から飛び降り、巻物をもった下忍の前に着地。倒れていた体を仰向けに転がして迷いなくその上着の懐に手を突っ込んだ。
「あ、セクハラじゃないからね?」
失礼、と遅まきながら言葉をかける尚樹に、驚いたようにその下忍が目を見開く。ああ、きっと同じ木の葉の忍びに襲われたことに驚いているのだろう。まあ、これで世の中の世知辛さってものを幼いながらに感じ取れるでしょう、と人事のように考えて、尚樹は目的の巻物を取りだし、パーカーのポケットに無造作に突っ込んだ。
「もうしばらくしたら痺れが取れると思うので、これ、向こうの彼に」
解毒剤です、といまだ体が麻痺して動けない下忍に小さな瓶に入った液体を渡した。魔法でマヒさせた二人は放っておいても大丈夫だが、一人はちょっと毒を使わせてもらった。即効性の結構強い奴を。まあ、たぶん死なないだろう、と高をくくって踵を返し、土に刺さった毒付きのクナイを回収する。深く刺さっていたが、それはすんなりと抜けた。
なんとなく、どのくらい時間が経っただろうと空を見上げたが、視界を覆う葉の間からはわずかに光が漏れるのみで、太陽は見えなかった。いずれにせよ、見えたとしてもあまり足しにはならないだろうが。
そのまま、ゲンマたちの元に戻ろうとした尚樹の背中に、小さく声がかかる。しゃべれるのか、と少し感心して尚樹は顔だけで振り返った。
「お、まえ、おぼえ、て、ろよ」
恨めしそうに視線をよこしてくる少年に、すごいお決まりのセリフだな、とちょっとだけテンションが上がった。まさか現実で聞くことになるとは思わなかったセリフトップ10だ、個人的に。
「はや、く、これ、なんとか、しろ!」
「や、何とかしろって言われて何とかする人間はそうそういないかと……」
そこでふと、なんとなく知った気配であることに気づいて、尚樹は首をかしげた。凝をして相手のオーラを確認する。
「……って、何やってるんですか、テンゾウさん」
「そ、れはこっちの、せ、りふ」
息も絶え絶えに抗議の声を上げるテンゾウに、尚樹はあわてて魔法を解いた。まさか中忍試験にテンゾウが参加しているなんて、夢にも思わない。ついでに、毒でしびれている人も暗部だと判断して解毒剤を含ませる。完全にはとれないだろうが、動けるようにはなるはずだ。
「いやー、テンゾウさんとはつゆ知らず……あ、巻物返したほうがいいですか?」
「……その前に、なんで同じ木の葉の人間を狙うかなあ」
「一番近くにいたので」
テンゾウの問いになんでもないことのように即答する尚樹に、ため息を禁じえない。テンゾウが言いたかったのはそう言うことではなかったのだが。
「というか、テンゾウさんも中忍試験受けてるってことは暗部のお仕事ですか?」
「ああ、そんなところだよ。聞いてなかったかい?」
「ああ、はい。聞いてはいたんですけど、面子までは知らなかったです。俺は一応中忍試験も兼ねているので」
ああ、そういえば巻物返せって言われたらどうしよう、とようやくそこで尚樹は思いいたった。先ほど、すでに凝視虫は具現化を解いてしまっている。誰が巻物を持っているかなんとなくは覚えているが、すでに位置は分からなくなってしまった。
これでは、せっかくの作戦が台無しだ。作戦というほど、大げさなものではないが、失敗となるとちょっぴり悔しいのはなんでだろう。
「……巻物は、返さないんですよ?」
「日本語がおかしくなってるぞ」
まさか暗部だとは知らず、巻物を奪ってしまって少し困ったように首をかしげる尚樹の頭を、返さなくていいから、と軽く叩く。むしろ暗部三人がそろって同じ暗部とはいえ、まだ下忍のこんな子供にやられたあげく、巻物を返せだなんて口が裂けても言えない。
かなり危なっかしい子供だと思っていたが、自分が思っているよりも優秀なようだと、テンゾウは自分の考えを改めた。ついつい、ダメなところばかりを見てしまっているばかりに、軽く見てしまっていたようだ。これでも、アカデミーを卒業してすぐ暗部に引き立てられた人材なのだ。……手裏剣が投げられなくても、チャクラコントロールが下手でも、忍術がろくに使えなくても、泳げなくても……!
「テンゾウさん?」
「あ、ああ、なんでもない」
つい自分の思考に浸ってしまったテンゾウは、尚樹の声で我に返った。ついつい、いままでのあれやこれが走馬灯のようによみがえってしまい、頭が暴走してしまったようだ。そして改めて見下ろした少年の顔は、相変わらずいつもの無表情で、でもどこかぼんやりしていて、とても暗部には見えないし、先ほど一瞬で自分たち3人を倒した人間には見えなかった。
「じゃあ、これ、もらって行っちゃうんですよ?」
「ああ、分かった、分かったから。好きに持って行きなさい」
テンゾウのどこか諦めきったような声に、ありがとうございます、とぺこりと頭を一つ下げて、尚樹の姿はすぐに木々の間に紛れてしまった。
それを見送って、ため息をひとつ。他の二人に、さて何と説明したものか、と人差し指で頬を掻いた。


巻物をもって戻ってきた尚樹に、ゲンマさん、行きましょう、と言われて腕を掴まれたと思ったら、目の前の景色ががらりと変わっていた。目の前にあるのは、試験のゴールに当たる塔。何度か瞬きを繰り返したが、その事実は変わることなく厳然と目の前に佇んでいる。
さっさと中に入っていく尚樹の背中を見送った後、奥の方で光る急かすような夜一の瞳に、ようやくゲンマは足を動かしたのだった。
「だいたい1日くらいですね」
時計を見上げると、午後の1時を過ぎたくらい。試験開始が昨日の2時半だったから1日弱でクリアしたことになる。途中かなりゆっくりしていたから、実際はもっと早く終われたのかもしれない。だいたい、さっきのはいったいなんなんだ、とつかまれた感触の残る腕をゲンマはさすった。
地の書をもって戻ってきたと思ったら、何の説明もなくいきなりこれだ。こんなに早くクリア出来るのならはじめっからやれと言いたい。いつも通りひょうひょうとして表情の読めない尚樹を横目で見遣りながら、だいたいこういう時は何も考えてないんだ、とゲンマはため息をついた。ついでに、先ほどのことを聞いてもおそらく明確な答えは返ってこないのだろう。いつものことだ。どうもあやしいんだよなあ、と呑気にあくびを漏らしている尚樹をちらりと盗み見て、ああでもやっぱり基本は何にも考えてないんだよなあ、ともとの結論に戻ってきた。どうも思考がループしている。
「クリアしちゃったら、残り4日間って何するんですか?」
「まあ、待機だろうな」
「休暇ですね!」
「まあ……」
どうやったらそう言う考えになるんだ、と思いながら、ゲンマは曖昧に肯定の言葉を返した。また、ついついこの妙な空気に巻き込まれてのんびりしてしまったが、いい加減火影様に大蛇丸のことを伝えにいかなくては。あと、カブトのことも。
「じゃあ、尚樹。俺は火影様のところに大蛇丸のことを伝えにいってくるから、ここで待ってろ」
それとも一緒に行くか、とゲンマが聞くと、以外にも尚樹は首を縦に振った。てっきり面倒だと言って断ると思っていたのだが。そう素直にゲンマが口にすると、まあ、上に登るだけですしね、と尚樹があくびまじりに答えた。
上? とゲンマは思わず天井を見上げる。所々に入る小さなヒビを目でなぞって、再び尚樹に視線を戻した。
「……なんのことだ?」
「火影様なら、上に居ると思いますよ。気配がします。こっちまで来てらっしゃるんじゃないですか?」
「ああ、なるほど。火影様の位置は分かるか?」
はい、と頷いた尚樹に道案内を任せ、ゲンマはそのあとをゆったりとついていった。もう、彼の気配の聡さには驚かないことに決めたつもりだったのだが、この距離でもどこに居るのか分かるのか、とどんどん上に登っていく尚樹に、ゲンマは内心で舌を巻いた。どうも本人はそれがすごいことだとは気づいていないようだが。彼にとっては全く特別な能力ではないらしく、どうも皆普通にこれくらい出来ると思っている節がある。出来てたまるか。
「ゲンマさん?」
「ん? ああ、ここか?」
「はい。アンコさん達も居ますよ」
「分かった」
ノックをしてドアを押すと、一気に視線がゲンマに集まった。尚樹の言った通り、アンコはもちろん火影様も居る。疑っていたわけではないが、当たりすぎててときどき怖い。
ゲンマの後ろに続いて尚樹が室内に入ると、戸は自重でゆっくりと閉まった。
「ゲンマか」
「はい、少し気になることがあったので報告に」
「大蛇丸のことなら聞いておるぞ」
ゲンマの言葉の先を予想するように火影が口にした言葉に、ゲンマはこれも尚樹の言った通りか、と内心で独りごつ。
「……大蛇丸のことはもちろんなんですが、他にもいくつか報告したいことが」
「む、他、とは?」
「大蛇丸の仲間のことです」
ゲンマの言葉に、場の空気が一瞬張りつめた。すぐに火影が視線で先を促す。それに一つ頷いて、ゲンマは尚樹に視線を移した。尚樹はと言えばこの空気が全く気にならないのか、ぼんやりと佇んでいる。その背中を促すように軽くたたくと、意外そうに尚樹が顔を上げた。
「あれ? 俺からですか?」
「お前が説明した方が話が早いだろう」
「はあ……まあ、べつに構いませんけど……」
完全に傍観者と化していた尚樹は、そこでようやく話に加わったのだった。