陽炎-11-

うっそうと茂る木々の間から差し込む光をゲンマは見上げた。先ほどからあちこちをふらふらと動き回っているわりには、誰とも遭遇していない。接近した気配もなかった。
先導する尚樹は無造作に進んでいるように見えて、周りを探っている様子もないから、きっともとより決めていたルートを歩いているのだろう。先ほどから一度も左右に視線を振ることなく、少しゆったりとも言えるような落ち着いた歩調で進んでいる。まるで散策にでも来たかのような雰囲気だ。先導する尚樹のとなりには夜一が並び、何故か分からないが仲良く手をつないで歩いている。突っ込むタイミングを逸してしまったので試験が始まってからそのことには一度も触れていない。
不意に、尚樹と夜一が立ち止まってゲンマを振り返った。二人とも無表情で、顔は違えど雰囲気はよく似ている。飼い主に似たのだろうか。
「ゲンマさん、もうちょっと行くと川があるっぽいんですけど、そこでお昼にしますか?」
「……さっきからずいぶんのんびりしているが、ちゃんとクリア出来るんだろうな?」
「ちゃんと地の書の位置は把握してますから、大丈夫だと思いますよ」
それより、お弁当作ってきたんでお昼にしましょう、と言った尚樹にゲンマは突っ込みが追いつかない、とため息をついた。


それで本題なんですけど、と昼食を食べ終わって休憩を取っているところで尚樹が口を開いた。ようやくか、とゲンマは尚樹に向かい合う。相変わらずいつもと変わらぬ雰囲気でいささか拍子抜けだが、彼らしいと言えば彼らしい。
「地の書か?」
「ああ……、いえ、そっちじゃなくて、不審者の方です」
ああ、暗部の仕事の方か、とゲンマとしてはむしろ忘れかけていた方の話題を振られて拍子抜けした。ついでに言うと、尚樹がそのことを覚えていたことに驚きを隠せない。彼のやる気のなさと、脱線具合は天下一品だ。
「音か?」
「んー、まぁ、彼らも不審者と言えば不審者なんですけど……特別警戒するほどではないかと。それより問題は大蛇丸と変態な仲間たちだと思いますよ?」
「……ちょっと待て、大蛇丸?」
「はい、大蛇丸です」
さらりととんでもない名前を口にした尚樹は冗談を言っている風ではない。もともとそんなに冗談を言う方でもない。
「どこで見かけた?」
ゲンマの問いに、尚樹が首を傾げた。むしろゲンマが大蛇丸の存在に気づいていなかったことに驚いているようだ。夜一は別段驚いたふうもない。どちらかというと、この話題に興味がないのかもしれない。
「普通に参加者の中に居ましたよ。ええと、草忍? はじめにアンコさんにけんか売ってた人です」
「あいつか……本当に大蛇丸なのか?」
「見るからに大蛇丸だと思いますが」
当然のように言い切った尚樹に、ゲンマは眉根を寄せた。問題の草忍の顔ははっきり覚えていないが、見るからに大蛇丸と言えるような顔はしていなかったと思う。むしろあの場であれが大蛇丸だと気づいていた人間が他に居るのだろうか。
だいたい、気づいていたらアンコが黙っていないはずだ。
「ちょっとまて、見るからに、って会ったことがあるのか」
「あ、以前暗部の任務中に。テンゾウさんと一緒のときに帰り道で会いましたよ」
その言い方だとなんだか親しい人間に道ばたでばったり会ったようなほのぼのとした雰囲気がするな、とゲンマはくわえていた千本を揺らした。尚樹はおそらく今と変わらぬ態度だったのだろうが、一緒に居たテンゾウは気が気じゃなかったに違いない、と想像した。それがまさにドンピシャであることをゲンマが知る余地はない。
「そんなに大蛇丸の顔してたか?」
「いや、顔とかそう言う問題じゃなくて……オーラ? もう全身で主張してると思うんですよね。あの他の追随を許さない変態オーラを見間違うはずがないです」
「……」
えらい言われようだな、と伝説の三忍とまで呼ばれた大蛇丸に不覚にも同情してしまった。ついでに、問題の草忍とやらが大蛇丸であるという確率を気持ち下げておく。ああ、でもこいつの馬鹿な発言は結構あたってることが多いんだよな、とすぐに思い直して数値を修正した。
「ついでに、その大蛇丸の仲間って言うのは?」
「あ、それが音忍の3人です。でもこの3人はさっき言った通りあまり警戒しなくても大丈夫だと思います。下忍レベルなので。それより問題なのは」
不意に言葉を切った尚樹がそのまま動きを止めた。瞳がゆらゆらと揺れている。不審に思って手を伸ばしたゲンマの腕は、尚樹に届く前に夜一に遮られた。視線で問いかけても、すました表情のまま答えは返ってこない。
それからすぐに目の焦点を取り戻した尚樹が改めてゲンマに視線をよこした。
「どうも大蛇丸が動いたみたいですね。ナルト達の班とやり合ってます。目当てはサスケでしょうから、まあ、放っておいても大丈夫ですかね……」
助けにいった方がいいですか? と首を傾げる尚樹に、ゲンマは思考を巡らせた。先ほどの地の書のことといい大蛇丸のことといい、いったいどうやって状況を把握しているのか。おそらく先ほどの一瞬の間に何かやっていたのだろうが、どういう術なのかは分からない。だいたい、尚樹は忍術がほとんど使えないのだ。アカデミーでその類いの術は教えていないはずだし、ゲンマも教えていない。カカシさんか?
本来ならそんなことを考えている場合ではないのだろうが、尚樹が大丈夫、と言ったせいかはたまた尚樹ののんびりとした空気がうつってしまったのか。
「大丈夫そうなのか?」
「とりあえずは。大蛇丸もいったん退いたみたいです」
それなら、助けにいく必要もないか、と判断を下す。ナルト達が瀕死の状況であれば、おそらくさすがの尚樹でも一言うだろう。明確な理由は分からないが、大蛇丸がいったん退いたのならしばらくは大丈夫なはずだ。それよりこのことを上に知らせる方が先だろう。
「火影様に大蛇丸のことを知らせた方がいいな」
問題はどうやって知らせるかだ。そう難しいことではないが、知らせに戻るとなるといったん試験を抜けなければならない。ゲンマはともかく尚樹は一応中忍試験をかねているのだ。少し心配だが、尚樹だけでも大丈夫だろうと判断してゲンマは自分だけ知らせに抜けることにした。
「俺は大蛇丸のこと知らせにいくから、とりあえずお前は地の書を手に入れてゲートに向かえ。後から合流しよう」
「それは別に構いませんけど……たぶんゲンマさんが戻った頃には大蛇丸のことは上に伝わってると思いますよ?」
「……根拠は?」
ゲンマの疑わしげな視線に、ないですけど、といつも通り尚樹が答える。他の人間なら憶測でものを言うな、と言うところだがこうもはっきり言い切られると無下に出来ない。更にたちの悪いことには、尚樹の言うことはよくあたるのだ。彼の場合は憶測というより予言に近い、とゲンマは思っている。実際、一次試験は筆記試験で、尚樹の指示通りゲンマは何もせず試験を白紙のままで通過した。あれは、10問目の内容が違えば成功しなかっただろう。
「はぁ……分かった。お前がそう言うんならそうなんだろう。それより、さっき何か言いかけてなかったか?」
「ええと……ああ、大蛇丸の仲間ですか?」
「ああ、それだ。音忍の3人以外にもいるのか?」
「あ、はい。こっちの方が要注意なんですけど……木の葉の下忍で、薬師カブト」
彼は強いと思いますよ、と言葉を続けた尚樹に、ゲンマは反応を返せずにいた。まさかここで木の葉の下忍の名前が挙がるとは予想外だ。薬師カブト。詳しくは知らないが名前ぐらいなら知っている。医療班長の養子で、あまり優秀とは言えない忍者だったはず。尚樹の言っていることが本当だとすれば、ダメ忍者っぷりも演技ということか。いったいどこからそんな情報をつかんできたのかさっぱりだが、一応気にかけておいた方がいいだろう。早々にこの2次試験をクリアしてイビキ達に話を通しておいた方がいいかもしれない。どこまで尚樹の根拠のない言葉を信用してもらえるかが問題ではあるが。
「地の書はどこにあるか把握してるんだったな?」
「はい、大丈夫です」
「なら、早めに巻物を手に入れて試験をクリアしよう。大蛇丸のこととその薬師カブトのこともイビキ達に知らせた方がいい」
「分かりました。じゃあちょっと巻物を獲ってくるので、ここに居てもらっていいですか?」
その言い方に一人で行くのか? とゲンマは首を傾げた。たしかに手助けはしないと言ったが、まったく動かないわけではない。下忍のレベルを超えない範囲でなら援護に回るつもりで居た。自分の力をあてにしないようにあらかじめ手助けはしない、と釘を刺しておいたのだが、どうも全く動かないと思っている節がある。
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。巻物獲ってくるだけですし。多分30分かからないと思いますよ?」
ときどき、お前のその自信はどこからくるんだ、と問いたくなるときもあるけれど、実際言った通りにちゃんとこなすからあながち間違いでもないのだ。むしろ年のわりに自分を良く理解していると言えるだろう。本人が大丈夫と言っているのだから大丈夫なのだろう、と少し投げやりに考えて、ゲンマは尚樹の背中を見送った。
そしてゲンマの予想通り、尚樹は30分もしないうちに巻物を持って戻ってきたのだった