陽炎-9-

ぐいっと体をひっぱられる感覚に尚樹は後ろを振り返った。
誰も立っていない。
円を広げて気配を探るがなにも引っかかるものはなかった。小さく首をかしげて何もない空間に目を凝らす。
すぐにその違和感を振り切って地面を蹴った。


大きく欠伸を漏らして尚樹はソファから起き上がった。家の中にカカシの気配はない。おそらくもう出かけたのだろう。
カーテン越しに太陽の光が部屋をほのかに照らしている。
あまりすっきりしない目覚めに瞼をこすりながらカーテンを引くと、強い光がまぶたの上から瞳を刺す。
太陽が中天に来ていた。
「……寝坊したかも」
ふらふらと部屋の中を歩き回り簡単に身支度を整えてパンを一切れかじり、ぼんやりした意識のまま魔法の杖を具現化して、待ち合わせ場所へと姿現しをした。
半分寝たような顔で唐突に表れた尚樹に、ゲンマは素早く一歩後退した。理由は、尚樹のあらわれた場所がゲンマの頭上だったからだ。
音もなく着地した尚樹はパンを加くわえたまま瞼をこすっている。
「妙な場所から出てくるな」
聞いているのか聞こえていないのか、こくこくとうなずいて残りのパンを飲み込む尚樹に、ゲンマは苦笑した。
明らかに先ほどまで寝ていた様子から、昨夜は暗部の任務が入ったことが容易に想像できる。
尚樹は夜に弱く朝に強い。しかし暗部の任務は夜中から朝方にかけて行われるものも少なくない。
尚樹のような子供にはそういう任務はこたえるのだろう。たいてい次の日はいつも眠そうだ。
「起きてるかー」
「太陽が目にしみます……」
「まあ今日はすぐ終わるから、もうすこし我慢しろ」
「えーっと、中忍試験の説明ですっけ」
そうそう、と適当に返して、ゲンマは説明を始めた。正直この状態でちゃんと聞いているのかという一抹の不安を感じるが、通常状態でもその辺はあまり信用できないところなので割り切っておく。
「ん? もう国外の下忍が入ってきてるんですか」
「ああ。中忍試験が一週間後だから、まあ早いところならもう里に入っているだろう」
「なるほどー」
「不審な人物には気を配っておけよ。一応、今回のメインは里の警護だからな」
「了解です」

という話をしたのが10分前。

目の前を歩く二人組を、尚樹は反射的に尾行した。尾行した、と言っても普通に1,2メートル後ろをついて行っているだけだが。
ハンターの世界にいたときは尾行なんてすぐにばれてしまっていたのだが、ここでは意外と気付かれない。
オーラの使い方が根本的に違うからだというのが尚樹の考えだ。
二人がぴたりと足を止めたのにならって、一歩遅れて尚樹も足を止める。もう2、3歩踏み出していたらぶつかっていただろう。
いつもならいくら何でもこんなに近づいたりはしないのだが、眠い頭でぼんやり後をつけていたのがいけなかったらしい。
ようやく頭がすっきりしてきた尚樹は、自分より背の高い相手の背中を見上げた。
……猫耳。
名前は何だったか、とおぼろげな記憶を辿る。もう一人の女の名前は覚えていた。
テマリだ。
多分、近くに我愛羅もいるはず。
我愛羅の兄である目の前の人物の名前を思い出そうと躍起になっている間に、どうにも面倒な事態に発展していることに尚樹は気づいていない。
二人の足を止めたのはぶつかってきた小さな存在、木の葉丸だ。ナルトたちとじゃれていて前を良く見ていなかったらしい。
先に喧嘩を売ったのは木の葉か砂か、判然としない流れだった。
そんな中で、まったく存在感を感じさせない上に名前を思い出せない問題人物、カンクロウの影にすっぽりと隠れてしまっている尚樹の存在を気に留めるものはいなかった。
そうこうしているうちに、ようやくカンクロウの名前を思い出した尚樹は、地面に石がぶつかる音で我にかえった。
ふりさけ見れば、木の上にサスケが座ってこちらを見下ろしている。
「よそんちの里で何やってんだ。てめーは」
あと、お前もさっきからそこで何やってんだ、と若干あきれ気味に視線をよこしたサスケに、尚樹はサクラたちにならって「サスケカッコいー」と手を振った。
ここにきてようやく尚樹の存在に気づいたテマリとカンクロウが体を堅くする。
目の前にいるこの状況ですら信じられないほど、目の前の少年にはおよそ存在感というものがなかった。
視線を上から下、サスケからテマリたちに視線を戻した尚樹が、ゆっくりと口を開く。
その口から出た声は、何の感情も読み取れない平坦なものだった。
「中忍選抜試験、受ける前に里から追い出されたくなかったら大人しくしておいた方がいいですよ。それに、まずいでしょう? 目立っちゃうと」
いろいろ、と意味ありげにつぶやいた少年に、テマリは押し黙った。
計画がバレている? いや、ただのはったりだ。
頭は冷静に判断したが、体は正直だ。耳に響くような自分の心臓の音に舌打ちしたくなる。
理性でとどまったテマリとは対照的にカンクロウがその背に担いでいたものを降ろした。
一瞬反応が遅れたテマリはそのカンクロウの行動に驚く。
「おい、カラスまで使う気かよ」
さすがにそれはまずい。少年の言う通り目立つのは良くない。止めに入ろうとしたテマリより先に、頭上から制止の声が入った。我愛羅だ。
テマリもカンクロウも足がすくむ。怒気をはらむその声に、カンクロウはすぐにカラスをひっこめて作り笑いを浮かべた。
取り繕おうとするカンクロウの声を我愛羅が一蹴する。
目の前の少年はそこに我愛羅がいたことに気づいていたのか、その顔に何の色も浮かべないいままゆったりと顔だけで我愛羅を振り返った。