陽炎-6-

白い光の向こうに青い空が見えた。
反射的に手足を動かし、しかしすぐにそれを理性で押しとどめる。
焦りや恐怖からくる行動はえてして良い結果をもたらさない。
きっと大半の人間がそれに気づいているのに、気づかないふりをしていることが尚樹には不思議でしょうがなかった。
ぐっと息をつめる。
手足の力を抜いて体が沈むのに任せた。
待つほどもなく地面に足がつく。思ったほど深くはない。
緩やかながらも自分が流されているのが足裏に触れる石の感触から伝わった。
もうあまり息も長くない。
今のところ唯一使える変化の術を発動させるべく、不安定な体制の中ゆっくりと両手を組んだ。


脇腹に圧迫感。
一瞬にして引き上げられ、尚樹は術を中断した。
「泳げないなら泳げないって先に言っといてくれないかなあ!?」
「だからもっと浅い所にしましょうって言ったじゃないですか……」
ぼたぼたと水を滴らせながらいつもの調子で答える尚樹に、なんでおぼれた本人より助けた自分がこんなに心臓バクバクさせなきゃならないんだ、とテンゾウは理不尽さを感じずにはいられない。
とりあえず岸に上がり、気休めだとは思いつつも尚樹を助けるときに濡れてしまった服を絞った。
あまりにも尚樹が木からゴンゴン落ちるので、多少難易度は上がるがひやひやしなくても済む水面歩行に切り替えたのだが、一発目からこれだ。
もしかしてこれは新手のいやがらせなんじゃないかと思い始めたテンゾウである。
しばし空を見上げて心を癒し、尚樹に視線を戻すと先ほど同様水を滴らせながら手前の浅い部分に立っていた。
「向こう側、やっぱり結構深いんですね」
手前の水は透き通って川の底がよく見える。しかしそれは本当に手前のほうだけで、少し入れば水が青みを増してその深さをうかがわせた。
「はぁ、とりあえず手前の浅いところだけにしようか」
「了解です」
そのままざぶざぶと豪快に足を進める尚樹に、ああ、これは全然やる気がないなとテンゾウはため息をついた。
ぴたりと立ち止まった尚樹の足下から小さな波紋が広がり、ふっと全身を何かがすり抜けるような感覚。
それがチャクラだと、目には見えなくともすぐに理解出来た。
すでに波紋は川の流れにのまれていた。
尚樹は特に何をしたという風でもなくその場に突っ立っていて、今の感覚はもしかして気のせいではないかという気さえしてくる。
しかしいまだに泡立った肌はそんなテンゾウの考えを否定していた。
くるりと振り返った尚樹が小さく手を振る。その視線はテンゾウをこえてその後ろ。
振り返ると遠くの方に人影が見えた。
「知り合いかい?」
「え、知らないんですか?」
まるで、知らないわけがない、というような尚樹の口調にもう一度振り返って今度はその顔をしっかりと見る。そして、尚樹の言葉の意味を知った。
確かに、彼を知らない人間は木の葉にはそうそういないだろう。
さっさと川から上がって駆けていってしまった尚樹に、一瞬遅れてテンゾウは声を上げた。
「あ!こら!さぼるな!」

何故自分がこんなことを、とネジは思わずにはいられなかった。
そして、尚樹がアカデミー時代から思っていたことだが、本気で忍術が使えないのか? と目の前で自分よりも低いところに立つ彼を見下ろした。
先ほど全身から滴っていた水はもうだいぶ乾いてきている。
尚樹の二の腕をつかんでぐっと力を込めるとそれに合わせるように尚樹が水面へと足をあげた。
うまく引き上げたつもりだったが、尚樹の足は先ほどから何度も繰り返しているように大した抵抗もなく水の中へと沈みバランスを崩す。
そのまま水の中にダイブしてしまわないように握る手に力を込めた。
「……おまえ、チャクラコントロールはうまいくせにどうしてこんな基本中の基本ができないんだ」
「ん? ああそうか。白眼ってチャクラ見えるんだっけ?」
会話がかみ合っていないと思いつつも軽くうなずいた。まともに相手をしていては話が進まないことを、短い付き合いながらもネジは理解していた。
ちゃっかり尚樹の修行を自分に押し付けて河原で談笑しているガイと尚樹と一緒にいた中忍らしき男が視界の隅にうつる。
ものすごく理不尽な気分にならないでもないが、それには気づかないふりをした。
ネジの足下にじっと視線を落とした尚樹の顔に水面の影が揺らめいている。
すっとあげた足に、ネジとほとんど同じ量のチャクラが練られていて無意識に息をのんだ。
しかしそのまま水の上にとどまると思われた足は先ほどと変わらず水の中に沈み尚樹が盛大にバランスを崩す。
今回は成功すると信じて疑わなかったネジはいきなり掴み掛かられて不覚にも足下がおろそかになり、次の瞬間には盛大な水しぶきを浴びていた。
「ネジが水に落ちるなんて初めて見ました」
「そう言えばそうね。ネジ、大丈夫?」
派手な水しぶきに気づいたのだろう。寄ってきたリーとテンテンに好奇の目で見られてどうにも居心地が悪かった。
前のめりに倒れたせいで顔にまで水を浴びた尚樹は膝を強打したらしく無言で膝を押さえている。
普通の人間には見分けのつかない無表情だろうが、白眼を持つネジにはその微細な変化を感じ取ることが出来た。
「……大丈夫か」
「めちゃくちゃ痛い……あ、ごめんね? 巻き添えにして」
珍しくしょんぼり顔の尚樹を立たせてやってネジは気にするな、と声をかけた。
油断をしていた自分も悪いのだ。まだまだ修行が足りない。
「それより、水面歩行はあきらめた方がいいんじゃないか」
正直今ので成功しないのなら見込みうすな気がする。そのネジの言葉に同意するように尚樹が至極あっさりとうなずいた。
「だよね。俺もそう思ってるんだけどさ、出来ないってことを証明するのって難しいよね」
「チャクラコントロールは問題ないから、何か他に原因があるのかもしれない」
下から見上げる尚樹の瞳にゆらりと光が反射する。ひたりと自分へ向けられた視線の意味をネジははかりかねた。
「それも白眼効果?」
「……?」
「みんなネジくらい目がいいと俺も助かるんだけどね」
もう今日は終わり、とばかりに水から上がった尚樹の背中を目で追う。
もしかして出来ないと分かっていることを、相手が出来ないと分かるまでやらなくてはいけないことに嫌気がさしているのだろうか。
その感情は彼には不似合いな気がして、きっと修行が面倒なだけだなとネジはすぐに考えを改めた。
そんなネジの視線に気づいたのか、くるりと振り返った尚樹が小さく笑って人差し指を立てる。
空をさしているのかとも思ったがどうもそうではない。首を傾げるネジに尚樹も小さく首を傾げた。
「あれ? てっきり白眼なら見えるのかと思ってたんだけど」
尚樹の言葉にいぶかしく思いながらも白眼を発動したネジは、ものすごい脱力感にみまわれた。
チャクラを使って「水も滴るいい男」などと書いてよこした尚樹に、才能の無駄遣いだと思わずにはいられない。
「……くだらないことにチャクラを使うな……!」
ネジの切実なつぶやきに尚樹以外が何のことだと首を傾げていた。


「でもこれこっそり会話するときとかには役に立つと思うよ?」
「白眼か写輪眼がないと見えないんじゃ意味がないだろう」
「練習すればみんな見えるように……」
「ならない!」