陽炎-4-

下忍は何も、常に任務についているというわけではない。
忍としてはまだまだ半人前な彼らは、任務よりも修行に重きを置いている。
時間や慣れに応じて任務にさく時間を増やしてゆき、だんだんと一人前になっていくわけだ。
だいたい、どれも大切な任務とはいえ、草抜きや子守りなどの雑用をこなしているだけでは強くなれるはずもない。だからといって任務をおろそかにしているとチームワークがとれなくなったりもするわけだが。
というわけで、今週は修行のターン。
いつかくるだろうとは思っていた木登り練習に、尚樹は途方に暮れたのだった。


今週はゲンマに別口で任務が入ったため、何もかも一人だ。
家に帰ってもカカシ先生は波の国へ行っていて、多分後2、3週間は帰ってこないだろう。任務に出る前にカカシ先生が心配そうにしていたけれど、見かけはともかく尚樹はもうとっくに成人しているわけで。たまにいたたまれなくなったりもする。
ゲンマさんも出かける前にちょっと心配そうだったけれども、彼の場合はきっと、帰ってくるまでに自分が言い渡された修行をこなせるか、に不安を感じているんだろう。
その辺はゲンマさんは正しい。
言い渡された修行は、木登りと、手裏剣の練習。
季節的にはもうすぐ梅雨に入りそうで、最期のあがきとばかりに空はよく晴れていた。
少し湿った風に草のにおいが濃く感じられる。
背中に感じられる草の感触が瑞々しく、ところどころ露出した肌をそれがくすぐって、思い出したようにぞわぞわとした感覚が背中に走った。
「おーい、さぼるなよ」
「……俺はすごくゲンマさんに信用されてない気がしてなりません」
仰向けに寝転がった尚樹の顔を覗き込むようにぬっと顔を出したのは、暗部のときにお世話になっているテンゾウだ。
いったい誰の差し金なのか、時間の空いているときはこうして修行の様子を見に来てくれる。
……きっと、ゲンマさんあたりにさぼってないか確認するようにでも頼まれたんだろう。
そう聞くと、まあ、否定はしない、という曖昧さのかけらもない答えが返ってきた。
「そんなに心配しなくてもさぼったりしませんよ」
「そこは別に心配してなかったみたいだけどね。一人だときっとすぐあきらめるだろうからって」
「……」
「図星だね?」
「図星っていうか……まあいいや」
すぐあきらめるというか、とっくの昔にあきらめてるんだけど、と先ほどから全くのぼれない木を見上げた。
背の高い木なので下の方にはあまり枝葉がない。
「あきらめるっていうか……出来ないことをやっても仕方がないと思いませんか?」
「出来ないこと?」
尚樹の言葉をテンゾウは反芻した。
ゲンマに頼まれていたのは、チャクラコントロールの基本、木登りと、アカデミーでもう習っているはずの手裏剣だ。
木登りは確かに下忍が一番始めにぶつかる壁かもしれないが、忍術を扱うにあたっては基本中の基本。
多少センスを問われるものでもあるので、引っかかる者も少なくはないが、決して出来ないものではない。
「そう悲観的にならなくても……人によっては時間のかかることだよ」
「例えばその時間が一生でも、努力する意味はあると思いますか?」
尚樹の言葉にテンゾウは困惑した。他の下忍が言ったならば、何を大げさな、と笑ったかもしれない。ただ、彼の声には何か不思議な重みがあった。
いやいや、と頭を振る。流されてはいけない。短い付き合いではあるが、尚樹の言葉や言動は意味があるようでいて意味がない。たまに本当に重大な意味があることもあったかもしれないが、そこには目をつむる。
ゲンマにも注意はされていたのだ。
無表情だからまじめそうに見える、言っていることがどれも意味深長に聞こえる、それに惑わされるな、と。
ようやく起き上がった尚樹が草の感触を払うように首筋を撫でる。そのまま立ち上がって軽く服をはたいた。
「手裏剣、教えてもらってもいいですか」
「別に構わないけど……木登りはもう終わりかい?」
何ならそっちも教えるけど、と言ったテンゾウに、尚樹は一本の木を見上げた。
おそらくそれに登ろうとしていたのだろう。
テンゾウがきたときには既に地面に寝転がっていたので、尚樹がどの程度登れるようになったのかは分からない。
「とりあえず、修行の成果を見せてもらってもいいかな」
「時間の無駄だと思いますけど」
テンゾウの言葉にため息をついて、尚樹が軽く後ろに下がった。助走をつけるつもりなのだろう。
はじめのうちはそうやって練習するのがオーソドックスな方法だ。
地面を蹴った尚樹が垂直に伸びた木を登っていく。スピードを落とすことなく登っていって、一番低い枝の上に乗っかった。
「……なんだ、登れるじゃないか」
「チャクラ、使ってないですけどね」
「は?」
ざっ、とその場から飛び降りてテンゾウのすぐそばに着地した尚樹は、改めて木を見上げた。
そのままテンゾウへと視線を移し、あのいつもの無表情で口を開く。
「チャクラ使わなくても、この程度なら助走つけると登れちゃうんですよ。スピードが落ちるともう駄目です」
「それ、分かってるんならあえてスピード落として練習しないと」
「文字通り落ちちゃいますよ?」
「ま、それも修行のうちってね」
「はあ」
しぶしぶとうなずいた尚樹が再び数歩下がった。その様子を見ながら、先日の任務のことを思い出していた。
木登りや手裏剣と言った初歩中の初歩でつまずいている様子は、あの大蛇丸と対峙したときの尚樹とかけはなれている。
とてもちぐはぐで別人のようですらあった。
一番低い枝のあたりまで先ほどと同じく駆け上がった尚樹が徐々にスピードを落とす。そしてすぐにその足が木の幹から離れ、かなりいい勢いで地面に叩き付けられた。
ぼんやりと考え事をしていたテンゾウは、ついぼんやりとその光景を見届けてしまう。その小さな体が地面に叩き付けられる音で、ようやく自体を把握して顔を青くした。
「だ……大丈夫か!?」
ごん、と頭から落ちた上にものすごく景気の良い音がしたので、普通に考えて大丈夫なはずはないのだが、無意識に口をつく言葉はそんなものだ。
起き上がらない尚樹に、とりあえず頭を打っただろうから動かさないように、いやそれより病院に……と慌てふためいた。
まさかこんなに豪快に落ちるなんて普通は思わない。受け身くらいとれ! と八つ当たりしたいくらいだ。
そんなテンゾウに構わず、尚樹は今日何度見上げたか分からない空を見つめ、夕飯は何にしよう、とぼんやり考えていた。


ヒョイッと立ち上がった 尚樹に、テンゾウは目を丸くした。そしてすぐに慌てる。
「じ、じっとしてろ! 頭を打っただろう」
そういわれて、一瞬きょとんとした尚樹は髪の毛についた草をバサバサと払った。それにますます慌てふためくテンゾウに、首を傾げる。
気が動転していたテンゾウも、その全くいつもと変わらない尚樹の様子に首を傾げた。
「……頭、大丈夫なのか?」
「え?」
「かなり強く打っただろう」
「ああ、なんだ。ちゃんとガードしましたよ、さすがに」
さらりと何でもないことのようにそう言って、手裏剣の練習をしましょう、と話題を変えた尚樹に、何をどうガードしたらあんなに盛大に頭から落ちるんだ、とテンゾウは頭を抱えたのだった。