逃げ水-20-

ここ、座っていい? と聞いてきたのは何故か自分に懐いているクラスメートだ。
水沢尚樹。
特に目立った生徒ではないが、シノは彼に一目置いていた。
学力は中の上、忍術は下の下、体術に関してはまだ正確に測れていない。
本気を出せばもっと上に行けるのではないかと思う。
しかし、シノが彼に一目置いているのはそれが理由ではない。
同年代の子供達とは一線を画す冷静さと冷酷さ。時折見せる冷たいまなざしや理性的な態度。
自分も大人びている方だとは思うが、何故か向こうの方が上だと思った。
「あ、サスケ、おはよー」
「ああ」
断りもなく尚樹のとなりに座ったサスケに、顔には出さないがシノは驚いていた。
サスケが誰かと絡むことはあまりない、特に自分からは。
それに、以前の乱闘騒ぎからてっきりサスケと尚樹は仲が悪いと思っていた。サスケも優秀だし、他よりも大人びている方かもしれないが、シノから見ればまだまだ子供っぽいところが目立つ。
いつの間に仲良くなったのだろう、と尚樹越しにサスケを見遣った。


「なんか珍しい組み合わせだな」
「おはよー、シカマル」
「ああ、おはよーさん」
尚樹達より遅れて登校して来たシカマルが前の席に腰を下ろした。ちなみに尚樹が座っているのは最後列なので後ろはない。
シカマルの珍しい組み合わせ、というと言葉に首を傾げる。
「……シカマルがそこに座った時点で必然だと思うけど」
「あー? なんでだよ」
「いや……後ろの席が好きな組み合わせ?」
サスケは成績こそ良いものの最前列に座るようなキャラではないし、実際に座っているのを見たことはない。
シノはあまり目立ちたがらない方だし、シカマルに至っては「めんどくせー」ので出来るだけ後ろの座りたいはずだ。
かく言う尚樹も前の席は遠慮したい。もうそんなに若くない。若くても最前列には座らないが。
シカマルは尚樹の言った意味がいまいち分からないのかあまり納得はしていないようだった。
時折後ろの入り口からはいってくる生徒達の気配を円で判断する。ナルトの気配はその中でも分かりやすく、尚樹にはなんとなく九尾の気配も感じられた。同じ場所に二人分の気配があるような感じなのだ。
もっとも九尾の方はかなり注意深くしていないと分からないほど微かなものだが。
授業が始まる前の朝の時間は子供達の喧噪で教室全体に落ち着きがない。ひどく懐かしい感覚だ。
学校というのはどこでも変わらないものだな、と思う。
最も尚樹の周りは静かな人間ばかりだが。
教室に入って来たヒナタの気配に尚樹は顔を上げた。互いに目が合って挨拶代わりに手を振り合う。
「ヒナタと仲がいいのか……」
「ん?」
シノの独り言に律儀に尚樹が振り返った。その言葉に自分たちとは離れた場所に座ったヒナタの後ろ姿にサスケとシカマルの視線が集まる。
「ああ、そーいえば尚樹と話すときはあんまおどおどしてないよな」
「そう? まあでも俺もくのいちの中ではヒナタくらいしか話さないかなあ」
「なんか微妙な組み合わせだな」
シカマルの言葉にそうかなあ、と首をひねる尚樹は相変わらずの無表情で感情が読み取れない。
サスケはあまり会話に興味がないのか、巻物を開いていた。
「ヒナタ、かわいいよね」
突拍子もなく、ぽつりとつぶやかれた言葉に話を振られたシカマルは不覚にもむせた。
サスケからも驚いている気配が伝わってくる。
二人とも完全にはまったな、とシノは静かにその様子を観察した。
アカデミーで尚樹と過ごす時間が一番長いのはおそらく自分だ。だから、気づいていることがある。
この不思議な話術だ。これがなかなか油断出来ない。気がつけば尚樹の良いように会話が誘導されていたり、煙に巻かれていたり。
最初は気のせいかと思ったが、さすがに最近はその考えを否定していた。
意図的なのか、癖なのかは分からないが。よく後から気づいて相手のほうが一枚上手だと実感させられるのだ。
「尚樹はヒナタが好きなのか」
シノの問いに振り向いた尚樹は、少し間を空けて珍しくその顔に笑みをのせて是と答えた。
そのまったく臆すことのない態度に、質問したシノの方が尻込みしてしまう。
シカマルとサスケもどこか気まずげに視線をそらした。
そんな三人には気付いているのか、それとも気付いていて気にもとめていないのか、尚樹が更に言葉を続ける。
「シノ君は可愛いと思わない? 小動物っポイしいじらしいし、なんかこう頭撫でたくなるというかぎゅーってしたくなるよね」
「……そうか」
「おいおい……聞いてるこっちが恥ずかしいぞ」
「そう? サスケもそう思わない?」
急に話を振られたサスケはどう返してよいか分からず、口ごもる。シノも相づちを打つしかできず、とりあえず尚樹の視線を追うようにヒナタをみやる。
「……いいなあ、一家に一人、妹に欲しい」
「ってそっちかよ!」
期せずしてはもったサスケとシカマルに、尚樹は一人呑気に拍手を送っていた。かく言うシノも同じ突っ込みを心の中でいれたわけだが。
「……チッ、紛らわしい奴め」
「同感だぜ」
「? ……何が紛らわしいの?」
尚樹からすればアカデミーの生徒は自分よりかなり年下なので恋愛対象にははいらないわけだが、もちろんそんなことを知るものはない。
全く他意がなかったらしい尚樹の問いに答えられるものはいなかった。

「……それより尚樹、少しは忍術使えるようになったのかよ?」
話をそらすように話題をふったシカマルに、尚樹は至極素直に応じた。
もうすぐ卒業試験が近い。その意味でシカマルの意図は明白だった。
この中で合格の可能性が一番低いのは尚樹。むしろ不合格の可能性があるのは尚樹一人だと言っても過言ではない。
シノから見ればそれは少しもったいないことだった。おそらくシカマルもそう思っているのだろう。
サングラスで遮られた視界の中で、シノはそっとサスケに視線をやった。シノの読みでは、おそらくサスケも少なからず尚樹を気にかけている。
サスケが自分から接触を持とうとすることからもそれはうかがい知れるし、体術だけならおそらく尚樹の方が上だ。
尚樹は相変わらず変わることのない無表情で口を開いた。
「まあそれなりに?」
「なんで疑問系なんだよ……」
「うーん、何が使えるか分からないから?」
「はあ?」
あ、でも変化の術はちゃんと使えるよ、とどこか自慢げに言った尚樹に、シカマルは何かをあきらめたように肩をすくめるだけでそれ以上の追求はしなかった。
「おまえ……卒業試験は大丈夫なのか」
「うーん、ま、大丈夫じゃない?」
サスケのかなり気遣わしげな問いにも尚樹は軽く返事をした。シカマルとサスケの疑わしげな視線も涼しい顔で受け流している。
「尚樹が大丈夫というのだから、大丈夫なんだろう」
そう静かに告げたシノに三人の視線が集まる。尚樹は時折見せる小さな笑みを浮かべて、無邪気に問題発言をかましてくれた。
シノからすれば日常茶飯事的に言われているので慣れているが、おそらく他の二人はこれが初めてだろう。内心で静かにため息をついた。

「シノ君好きー」


「サスケ、殺気を向けるな」
一瞬顔を険しくしたサスケにあきれつつも少しだけ優越感を覚えた日だった。