逃げ水-18-

ひょこっとドアの隙間から頭だけをのぞかせ、周りに人の気配がないことを確認して、素早く身を滑り込ませた。
他の人間が見たら、何もないところから人が現れたように見えるだろう。
隠を使ってこっそり具現化していたどこでもドアを消した尚樹は、足下に出来る水たまりを見て、教室にダイレクトに戻ってくるのはまずかったかも、ととりあえず脱いでいた靴を履いた。
びしょぬれで気持ち悪いことこの上ないが、小学生の頃教室で画鋲を踏んだ経験から、履かないという選択肢はもとよりない。
前髪を伝う水滴を目で追いながら、さてどうしたものか、と立ち尽くした。


木登りは失敗すると痛そうなので、水面歩行をしてみようと適当に浅い川をもとめてどこでもドアで移動したのがいけなかったのか、いつの間にか里の外まで出ていた。
通りすがりのお兄さんが教えてくれなかったら、気づかずに終わるところだったな、と尚樹は先ほどのやり取りを思い出した。
「それにしても……ちゃんと戻って来れて良かっ……」
た、と続けようとして尚樹はとても重要なことに気づいた。
あまりの衝撃に床に両膝、両手をつきがっくりと頭を垂れたかったくらいだ。
実際には衝撃のあまり無表情のまま立ち尽くしただけだったが。
「……何で俺、今まで迷子になったときにどこでもドア使わなかったんだろ……」
一発じゃん!と自分で突っ込みを入れておく。
ナルトの世界に来てから、体を強化したり気配を読む目的以外に念を使用していなかったから、すっかり忘れていたのだ。
「そうか、忍術が使えないなら」
念でそれっぽく見せればいいのでは? と思いつき、代用出来そうなものを考える。
「分身の術はー、無理だから……」
あれ? 意外と代用出来るものなくない? 
今まで習った術を一通り思い浮かべたところで、どうしようもない結論に至り、今度こそ尚樹はがっくりと床に膝をついた。
とことん自分はこの世界に向いてない、と再確認して立ち上がり、膝についたほこりを払う。
いまだに服の裾や髪からしたたる水が床に黒いシミを作っていく。
とりあえず、ここにいると被害が広がるから外にでも出るか、と窓に手をかけたとき、背後でドアを引く音がした。
振り返ると、少し驚いたように目を見張っているサスケの姿。
そう言えば、サスケっていっつも不機嫌そうな顔してるよな、と失礼なことを思いながら、その珍しい表情を見遣った。
まだ他にも残っている生徒がいるのか、遠くで子供の声が聞こえる。
「………なにやってんだ、お前」
サスケの言葉に首を傾げる。何をやっている、と聞かれても、特に何も、としか尚樹には答えられないわけだが。
でもそうやって答えたら相手が怒ることは火を見るより明らかなので、何かいい答えはないか、と考える。
前髪を伝って顔を滑り落ちた水滴が目の中に入り、それを手の甲でぬぐった。
「……ああ、そうか。えーっと、川に落ちちゃったんだよ」
尚樹の言葉に対し、眉を寄せたサスケの顔に「お前、馬鹿だろ」と書いてあるのが分かり、「馬鹿です」と心の中で返事をしておく。
そんな尚樹の言葉が届いたのかは定かではないが、どこかあきらめたようにサスケがため息をついた。
その表情に、先ほど会った青年の顔が重なる。
誰かに似てると思ったらサスケに似てたのか、とようやく気づき、必死に記憶を掘り返してサスケの兄の名前を思い出そうとした。
たしか、小動物系の名前だった、ということは覚えているのだがいまいち思い出せない。イメージはフェレットなのだが、そんな名前ではなかったはずだ。

うーん、と考えに没頭して立ち尽くす尚樹の手を、サスケが引いた。
「そんな恰好で突っ立ってると風邪引くぞ。職員室にでもいけばタオルくらい貸してくれるだろ」
尚樹の返事など聞かずズンズンと目の前を手を引いたまま歩くサスケの後ろ姿は、自分より少し高い。
成長したら、あの人みたいになるのかな、と今はまだ幼いその後ろ姿を見遣った。
そして、なんだかんだと世話を焼いてくれるあたり、この兄弟は中身も似ているかもしれないとちょっぴり微笑ましくなる。
「サスケは、将来いい男になりそうだよね」
ぽつりとつぶやいた言葉に、「何言ってんだ」と少しだけ視線を向けたサスケがぶっきらぼうに返した。
すぐにまた前を向いてしまったのでその表情は分からないが、うっすら赤くなった首筋から、先ほどの突き放したような口調が照れ隠しなのはバレバレだ。
サスケのお兄さんも、小さい頃はこんな感じだったのかな、と尚樹は小さく笑みを浮かべた。


「あ、イタチだ」
いつも通りカカシに手を引かれて帰路についた尚樹はようやくイタチの名前を思い出した。
いきなり意味不明なことを言い出した尚樹に、カカシはいきなり何、とその意図を問うた。
「いえ、ずっとフェレット系小動物の名前が思い出せなくて」
なんでフェレット……と思いつつもきっと意味なんてないのだろうと、カカシはそれ以上の追求を避けた。