逃げ水-15-

どうしてこんなことになったのか、ゆっくりと風に流されていく雲を眺めながらぼんやりと考えた。
服から露出した腕やふくらはぎ、首のうしろにちくちくと草の感触。慣れてしまえば少しひんやりとした感触が気持ちいい。
だんだん重くなってくるまぶたに、隠れなきゃ、と頭の隅で考え、そのまま目を閉じた。
最後の抵抗で絶状態に入り気配を消す。何もしないよりはましだろうと、人気のないその場所で仰向けのまま尚樹は意識を手放した。


いったい何をどうしたらそうなるのか、クラス全員でかくれんぼをしようということになった。
一応建前としては、気配を読む・消す訓練らしいが、どうだか。
まあ、その辺の影にでも座っとくかと投げやりがちに裏庭へ出た尚樹は、軽く円を広げた。いつ捕まっても別に構わないが、一番最初に捕まるのはちょっと遠慮したい。目標は可もなく不可もなく、目立たずひっそり、だ。
皆まだ隠れている最中なのか、まわりに人の気配はない。
「まあ……木にでものぼっておけばいいかな」
さすがに全く隠れる努力をしていないものまずいかと、どれも代わり映えしない木を見上げた。
小さな瞳と視線が合う。
その姿に、尚樹は一瞬固まった。
小さな瞳が助けを求めるようにうるうると涙目になっていて何とも愛らしい。
「……降りれなくなっちゃったの?」
ためらいがちに訪ねた尚樹にそれ……子猫はじっと尚樹を見つめるだけで返事はなかった。
か……かわいい! とちょっぴり感動しつつ、今助けてあげるからね、と猫に声をかけた。
一番低い枝でも、子供の姿の尚樹には高すぎて手が届かないので、猫が乗っている枝とは別の枝に跳躍する。
衝撃に揺れる枝に、猫が小さく声を上げた。
おいでー、と手を伸ばしてやると、警戒するように猫が背中の毛を逆立てる。
「大丈夫だよ。降ろしてあげるから、おいで」
恐怖で足がすくんでいるのか、警戒しているのか、猫はじっと尚樹を見つめたまま動かない。
しばらくそうしていたが、このままでは埒があかないと抱え上げるために更に腕をのばした。
出来るだけ刺激しないよう両手でそっと捕まえる。
胸に抱え込んだところで、今まで大人しくしていた猫が急に暴れだした。
「え!? 危ないから暴れな……って痛い痛い爪たてないで」
体を駆け上ろうと猫が胸や首のあたりに遠慮なく爪を立ててくれたので、尚樹はちょっぴり涙目になりつつ猫を引きはがそうとした。
そして、当然のごとくさして太くもない枝の上で盛大にバランスを崩し、僅かな浮遊感のあとに、背中から地面に着地。
とっさに念でカバーしたのものの、完璧とはいかず腰のあたりに鈍痛が走る。
落ちる直前に抱えた猫は、びっくりしたのか尚樹の親指に強く噛み付いていた。
「……ものすごく痛いから、離してくれるとうれしいなー、なんて……」
夜一のように言葉が通じるとは思えないが、腰の痛みなど吹っ飛ぶような痛みに、尚樹はうつろな口調で猫へと話しかけた。
ショックから回復したのか、はたまた言葉が通じたのか、待つほどもなく尚樹の指を解放して猫は走り去ってしまった。揺れるしっぽを少しだけ目で追って、今度は負傷した親指へと視線を移動させる。
よほど深く歯が刺さったのか、結構血が流れていた。
舐めときゃ治るかな、と指先をくわえると鉄さびの味。むせ返るような血のにおいに、少し気分が悪くなる。
舐めても血が止まるどころか、口の中に血があふれて気持ち悪いので、尚樹は早々に止血をあきらめて手を投げ出した。
放っておけばそのうちとまるだろう。
「あー……もう、半端なく痛い」
かまれていない方の手で爪を立てられた首元を擦ると、鈍い痛みとともに、僅かに血が付いた。
こっちも結構深くやられたらしい。
小さくため息をついて、何か痛みを紛らわせる方法はないかと空を眺めた。
ああ、そういえばかくれんぼの最中だったかも、と近くを人が動き回る気配に気づいて思い出す。
実際のダメージは少ないので隠れることは可能だが、もうなんだかいろいろ面倒くさい。起き上がることすら億劫だ。
しかもなんか眠くなって来た。痛みを紛らわすには、確かに睡眠ってちょっといいかもしれない、と回らない頭で考えて冒頭に至る。

軽い貧血に陥っていることなど、経験のない尚樹は露ほども気づいていなかった。