逃げ水-13-

違和感を覚えていた。
不知火ゲンマは足を止め、後ろを振り返った。夕日に照らされた町並みは、いつもと変わらずおかしなところなどない。
なのに、何かが引っかかっていた。
視界の端をちらちらと、意識の隅にひっそりと潜んでいるような感覚。
不自然にならないよう再び歩き出したゲンマは感覚を研ぎすませた。
そう、これはあとをつけられているときの感覚に似ている。
相手の気配を読むことはできないが、おそらく間違いないだろう。忍者としての経験がそう告げていた。
こちらが尾行に気づいていることを相手に知られないよう歩きながら、ゲンマは相手の位置を探った。
さり気なく民家の窓や景色を反射するものに目をやりながらうしろの様子をうかがう。
そこでふと、何かが記憶に引っかかった。
よくよく考えてみれば、先ほど振り返ったときも、その前も、ずっと視界の中にいた。
尾行のときは姿を隠すのが基本だから、逆に気づかなかった。まさか、相手が堂々と後ろをついて来ているなど、普通なら考えないだろう。
灯台下暗しだな、とゲンマは足を止めた。すでに人気のないところまできており、近くにいるのは先ほどから自分のあとをついて来ている相手だけ。
人気のないところまでくれば、少しは姿を隠すかと思いきや、相変わらず自分の後ろを何くわぬ顔でついてくる。
そのあまりにも堂々とした態度に相手の真意を測りかねた。
今も、足を止めたゲンマにあわせ立ち止まったまま隠れる様子はない。
自分のすぐそばに立つ相手を、振り向き様見下ろした。

そらされることのない黒い瞳。そこにいるのに、幻であるかのようなうつろな存在感。
完全に気配を消して自分を尾行していた相手は、まだ子供。それも、ゲンマが尾行に気づくのが遅れた要因の一つでもあった。
目が合ってもうろたえる様子はおろか、攻撃を仕掛けてくる様子もない。
どこかで見たことのある顔だ、とあまり特徴のない顔をゲンマは見下ろした。
しばらく無言で見つめ合ったあと、相手がまったく動かないので、仕方なしにゲンマから口を開いた。
「……何か?」
「えーっと……特に用はないんですが……」
「用が無いなら何でつけてきた」
ゲンマの追求に子供は気まずげに視線をそらしたあと、短い沈黙をはさんで道に迷いました、と告白した。
「……は?」
「ちょっと、アカデミーの周りを探索しようと思って歩き回ってたら、戻れなくなってしまって、それで、忍者っぽい人のあとをついていけば戻れるかな、と思って」
嘘か本当かはともかく、もうちょっとましな理由はないのか、とゲンマはため息をついた。
「名前は?」
「水沢尚樹です」
「ん? どこかで聞いたな……ああ、そうかカカシさんのとこの」
道理で見たことがあるわけだ、と子供の顔を再度観察した。特徴がない、というより表情がないと言うのが正しいだろう。
この、子供にはミスマッチな表情が記憶に引っかかったのかもしれない。
記憶力はいい方だが、さすがに1度見ただけの子供の顔を覚えていられるわけではない。
「一応言っとくけど、アカデミーは今歩いて来たのとは反対だぞ」
ゲンマの言葉に、尚樹は表情こそ変わらなかったが、わずかに肩を落とした。
夕日にのびる影が何とも哀愁を誘う。
そして、素直にゲンマの言葉を信じてきびすを返した尚樹をみて、ゲンマは口元だけで笑った。
その細い肩をつかんで引き止める。
「まあ、どこまで本当かは知らんが、アカデミーまで連れて行ってやるよ」
手を差しのべたゲンマに、尚樹は困ったような笑みを浮かべて、わずかにためらったあとその手を握り返した。
そして教えられた方とは全く別の方向に歩を進めるゲンマにいぶかしげに視線を送る。
その反応に、ゲンマは僅かに肩をふるわせるだけでこみ上げる笑いに耐えた。
これが演技じゃなかったら、ちょっと素直すぎるんじゃないかと。聞いた話ではあのカカシがいいように振り回されている、ということだったが。
小さな手を引きながら、どう見ても普通の子供だけどねぇ、と最近一部で話題の子供をさり気なく見下ろした。
ちょっと忍者としての将来が心配になるほど普通の子供だ……先ほどのことをのぞけば。
アカデミー生に尾行されてそれに気づかないなんて、通常ではあり得ない。まぁ、尾行の仕方は信じられないくらい大胆だったが。
「気配を消すのは得意?」
「はい。少なくとも忍術よりは」
「忍術よりは、ねえ」
自分の横をてくてくとついてくる尚樹がなんともじれったく、両脇に手を入れて抱え上げる。
思わずよいしょと声を上げてしまい、自分も年だな、なんて思ってもいないことを考えた。
「お前さん、見かけより重いな」
「本当ですか? それは初めて言われました」
抱えられることに慣れているのか、驚く様子も、抵抗する様子もない。むしろ安定をとるように自分の肩に手をおいた子供の腕を見遣る。
短い袖からのぞく腕は僅かに日に焼けて、あまり活動的には見えない子供にはアンバランスだと思った。
一見すると華奢な印象を受けるが、意外と無駄なく筋肉がついていて、それなりに鍛えられていることが分かる。あくまでそれなり、だが。
「家まで送らなくていいのか」
「はい、アカデミーにカカシ先生が迎えに来てくれるので」
「おやおや、それはまた」
あの人のことだから、どうせそんなに早く迎えにはこないだろう、とゲンマは失礼な判断を下した。
彼の遅刻癖は皆の知るところだ。
「カカシさんとはうまくやれてるのか?」
「はい、カカシ先生は優しいので。あ、でもカカシ先生は俺がいるといろいろ困るかもしれないですけど」
彼女さんには悪いですよね、と表情を変えずに話す尚樹に、ゲンマは首を傾げた。
カカシさんに彼女はいないんじゃないか? と。
「うーん、どうでしょう。でもカカシ先生適齢期だし、美形だからいない方がおかしいと思うんですけど」
「ああ、そういうことね。ま、個人的にはいないと思うよ」
長く付き合ってる彼女は、と心の中で続けてゲンマは苦笑を浮かべた。なかなか大人びているというか、これはませていると言った方が正しいのか。
いまいち納得出来ない、というように思考にふけっている尚樹にの頭を軽くなでて、ゲンマは少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「まあ、そういうことは本人に聞いた方が早いんじゃないのか」
「いえでも、カカシ先生はそういうことは言わないと思いますよ」
「どちらにしても、いくら考えても推測の域をでないんじゃ仕方ない」
それはまあ、そうですけど……とあまり気乗りしない様子の尚樹を促すように、聞くだけでも聞いてみればいい、とゲンマは更に言葉を重ねた。
そして顔を尚樹から正面へと向け、更に笑みを深くした。
「そういうわけで、どうなんですか、カカシさん」
腕の中で、びく、と尚樹が体を固くしたのを感じながら、いきなりの質問に疑問符を飛ばしているカカシを見据える。
一方カカシは、迎えに来てみたら肝心の尚樹の姿が見えず探しまわっていたところに、先ほどの質問だ。
いったい何を聞かれているのか全く検討もつかず眉をひそめた。
ついでに、おそらく初対面であるはずのゲンマに抵抗もなく抱えられている尚樹に、説教の一つもかましてやりたい。
あれほど、知らない大人にはついていくなと言ったのに、と表面上は笑みを浮かべながらも少し腹を立てていた。
尚樹はと言えば、ゲンマに抱えられているためにカカシに背を向ける形になり、その存在に気づくのが遅れた。
しかもうっすらと漂ってくる怒りのオーラに振り返ることも出来ず内心でだらだらと汗を流す。
しかしこうしていても仕方がないので、なけなしの勇気を振り絞ってちらりと後ろをうかがい見た。
すっごい笑顔なのに、目が笑ってないですカカシ先生……。
振り返らなきゃ良かった、と早々に後悔した尚樹はちょっぴり涙目でゲンマへと助けを求めた。
その視線に気づいたゲンマはいったい何をどう解釈したのか、先ほどの質問を直球で繰り返す。
「恋人? なに、いきなり……」
「尚樹が、カカシさんに恋人がいないはずがないというのでね」
「え!? ちょ、ちょっとゲンマさん、何言ってくれちゃってるんですかー!」
助けを求めたはずがとどめを刺されたと、尚樹は頭を抱えたくなった。
ああ、カカシ先生の視線が痛い、と半泣きの心境でぐったりとゲンマの首に両腕をまわした。
おやおや、ちょっといじめすぎたか、と背中を撫でてやりながらも反省はしない。ゲンマにとっては大して興味のあることでもないからだ。
カカシがゲンマに張り付いている尚樹をべりっとはがして、彼と同じように抱きかかえる。
その顔は少し不機嫌そうだ。
珍しいものを見たな、とその表情をまじまじと見つめていたら、すぐにいつものつかみ所のない表情に戻ってしまった。
「世話になりましたね。どうせ尚樹が道に迷っていたんでしょう」
その確信を持った口調から、どうやら先ほどの尚樹のいいわけは本当らしいと苦笑がもれる。きっと尚樹が道に迷うのは日常茶飯事なのだろうことが容易に想像出来、先ほど以上に彼の未来が心配になった。
方向音痴の忍者なんて、使い物になるんだろうか、と。
「構いませんよ。じゃあな、尚樹」
「はい、ありがとうございました、ゲンマさん」
「ああ」
礼を言いつつもちょっぴり恨みがましい視線を向けてくる尚樹に、ゲンマは口元だけで笑い返した。
カカシに抱えられながら、その背中越しに手を振る尚樹に手をふりかえして、アカデミーをあとにしたゲンマは、ふと出会ってから一度も名乗っていないことに気づいて足を止めた。
振り返ってもすでにカカシたちの姿はない。
まだ僅かに赤い空を見上げ、ため息を一つ。
「……1本とられたかな」