逃げ水-9-

なぜか分からないけれど、徐々に機嫌の悪くなっていく相手に、尚樹は攻撃をよけながらも途方に暮れていた。
もともと道具を使った反則的な手段を得意とする尚樹は、体術が抜きん出ているわけではない。
確かに、護身術と称して一通りのことは叩き込まれているが、あくまで一通りだ。
ついでに言うと、相手を完全に戦闘不能に陥れる方法しかならっていない。
それでも、ハンターの世界ではいかに尚樹が念を酷使して体を強化し、攻撃の威力を上げたとしても、体術だけで死ぬような人間は尚樹の周りには存在しなかった。
むしろ、死ぬのは尚樹の方だったわけで。
ここにきて初めて、人間の脆弱さというものを意識したのだ。
多少スピードや技術で劣ろうとも、致命傷を負わせることはそう難しくなく、下手をすれば殺してしまう。
相手に大けがをさせず、授業の一環として他の人間を相手にするときは、必然的に手加減するしかなくなるのだ。
ざっ、と足下の砂がまいわずかに風に流される。左中段から入れられた蹴りを極力同じ強さで受けた。その衝撃にあわせて右足を振り上げ、相手の首元を正確に狙う。
その蹴りが入る直前に、無意識に急所を狙っていたことに気づきわずかに軌道をずらした。
癖で足先に集めていオーラも減らす。
その二つの動作で生じたタイムラグに、相手の防御が間に合い、パシリと軽い音を立てた。
無理な軌道修正のために空中で体勢を崩すことになった尚樹の腹に、ここぞとばかりに蹴りが入る。
蹴りが入るだろうことを相手の動きから察していた尚樹は、念でガードしただけでおとなしく蹴り飛ばされた。
あまり長くやると、どんどん勢いがついて来て手加減ができなくなってしまう。
流は得意な方だが、ハンターの世界で手加減をする機会なんて皆無だったので、あまり長くやるのはごめんだ。
蹴り飛ばされて仰向けになった尚樹は、上空を流れていく雲を少しだけ目で追い、今日の夕飯はお魚、と心に決めて立ち上がった。
飛ばされた際についた砂をぱたぱたと払う。
顔を上げると、なんだかすごく殺気を放っているサスケと目が合った。思わず一歩後ずさる。
「……てめぇ、なめたまねしてくれるじゃねえか」
「? なんのこと?」
いろんな意味でいっぱいいっぱいだった尚樹は、サスケの言葉に首を傾げた。
そんな尚樹の様子に、サスケの視線がますます鋭くなる。
「ばーか、お前、そんなにあからさまに手加減して負けてりゃ怒られるに決まってるだろ」
「……シカマル。いや、俺結構余裕ないよ」
至極まじめにそういった尚樹に、シカマルはやれやれと肩をすくめた。
実技の時間、ということで3人一組で組み手をしているわけだが、先ほどからサスケの機嫌は下がる一方だ。
尚樹が負けたら自動的に次はシカマルがサスケの相手をすることになるので、面倒なことこの上ない。
こんなことなら自分が先に尚樹とやっておけば良かったと後悔した。
「シカマル、バトンタッチ」
右手でぽんぽんとシカマルの肩を叩いた尚樹はもう試合終了とばかりに戦線離脱。
もちろんそんなことでサスケが尚樹を見逃してくれるはずもなく、シカマルの横を通り抜けたサスケが背を向けている尚樹へと蹴りを放つ。
一瞬のことにシカマルも止めに入ることができなかった。
寸前で振り返りながらその蹴りを自然な動作で尚樹がよけ、間合いを取るように地面を蹴る。
それにほっとしながらも、火に油だとシカマルは内心でため息をついた。
「まだ終わってねぇぞ」
畳み掛けるように攻撃を繰り出すサスケにひょいひょいとそれをよけていく尚樹。尚樹の表情はいつもと変わらず、その動作は軽い。
反撃する気がないのがまるわかりだ。端で見ているシカマルにもはっきりと分かるのだから、サスケに分からないはずもない。
苛立ちから動作の荒くなるサスケに、尚樹はわずかに顔をしかめつつもその攻撃を確実によけていく。
時折反撃に出るが、それも本気ではなく相手が受けれるように手加減されていた。
「お前ら、やめろって!」
シカマルの声に反応して二人の間に距離が開く。
シカマルの言葉に賛成とばかりに構えを解く尚樹に、そんな声など聞こえないとばかりに再び構えを取るサスケ。
そんなサスケにわずかに困惑したように尚樹がシカマルへ視線を向けた。
なんで怒ってるの? という尚樹の声が聞こえてきそうだ。
「とりあえず、尚樹はもう少し本気出せって。サスケじゃなくても怒るぞ」
「や、でも本気でやり合ったら危なくない? 骨とか折っちゃいそうで怖いんだけど」
さりげなくサスケの自尊心をさかなでするような台詞を放ってくれちゃう尚樹に、シカマルは途方に暮れた。
本人に悪気がないだけにたちが悪い。
もちろん、そんな尚樹にサスケが怒らないはずもなく、イルカが止めに入るまで一方的に攻撃を繰り出したのだった。


昼間の授業で乱闘騒ぎになってしまい、イルカにこってりしぼられた尚樹はしょぼんと校庭に座り込んで草むしりをしていた。
ちなみに、サスケは教室の掃除だ。
なぜサスケが怒ったのかは一応理解したのだが、理由が理由なだけに困ってしまう。
尚樹自身は、相手が手加減してくれるというならありがたく手加減してもらう方なので、まさかそれが相手の逆鱗に触れるなど考えたこともなかったのだ。
「……今度手加減するときはもっとさりげなくやれってこと?」
答えを返してくれる相手がいないことは承知で、ぽつりとつぶやいた。
時折吹く風が砂を巻き上げて、尚樹に襲いかかる。
「うう……俺も教室が良かった……」
油断すれば砂が目に入ってしまいそうで憂鬱だ。固く瞳を閉じて草抜きを再開する。
空間把握は得意な方だ。人の気配に比べて植物や無機物の把握は難易度が上がるが、不可能なわけではない。あまり広い範囲は無理だが。
ちいさく地面にそわせるように円を広げてぶちぶちと草を抜く。
……だんだん楽しくなって来た。
「かーごめかごめ、かごのなかのとーりは、いついつ出会うー、夜明けの晩につーると亀が……」
出会った? 滑った? 
別に意味もなく口をついて出た童謡だが、意外と歌詞を覚えていないものだ。
小さいころの歌は、意外と覚えていないものだなといつも思う。
そして思い出す歌はどれも怖いものばかりだ。
幼心に怖いと思っていたのは子守唄だったが、思い返せば通りゃんせも花いちもんめも怖いかもしれない。
そんなくだらないことを考えていたら、背後で円を踏む気配。足音はしないが、1人。

「……うしろの正面だーあれ」