逃げ水-4-
黄昏時、と言うのだろう。
先ほどまで明るかった空は、茜色へと染まっている。
それはつまり、子供はもう帰りましょう、ということだ。
ああ、まずいなぁ…と尚樹はその茜色の空を見上げた。
細い路地だからかもしれないけれど、余計に暗く感じる。
そこがどこなのか、尚樹はまったく分からなかった。
周りには人影もない。
どうも、繁華街だったようでぽつりぽつりと店に明かりが灯り始めている。
きっとこれからの時間賑やかになってくるのだろう。
ひどく場違いだった。
円を広げて人の気配を探る。
そろそろ限界かというところで、知った気配を見つけた。
うまく接触できるかは分からないけれど、その気配の方向へと尚樹は駆け出した。
確かに名前を呼ばれたような気がして今来た道を振りむいた。
人影はない。
周りを見渡して探っていると、近くの路地から飛び出してきた影がドン、と勢いよく腰の辺りに飛びついた。
見下ろすと黒い髪が腰の辺りに見えた。
見知った少年のそれに手を伸ばして触れると、さらさらと指の間を過ぎてゆく。
「こんなところでどうした」
少年の名は水沢尚樹。数ヶ月前にカカシが拾ってきた子供だ。
今までどういう生活をしてきたのかは分からないが、年の割りに落ち着いた、おとなしい子だ。
今はカカシが面倒を見ていて、たしか今日も彼が少年を迎えに行っているはず。
しかし、カカシの姿はどこにも見えなかった。
「イビキさん…どうしましょう…お家に帰れません」
見上げてくる瞳が、助けてくれ、と言わんばかりにイビキに突き刺さる。
心なしか、わずかに潤んでいるような気がして、おもわず脳裏に「どうする〜ア●フル〜」という曲が流れた。
事の詳細を聞くべく、尚樹を抱き上げて視線を合わせる。
「どうして帰れないんだ? カカシと喧嘩でもしたか?」
「いえ………その…」
いいづらそうに口ごもる尚樹を、辛抱強く待つ。
いくばくかの逡巡の後、ようやく尚樹は口を開いた。
「………道に迷いました」
「………………迷子?」
「どうしましょう…あああ…もとはといえばいつも迎えにきてもらうのも悪いからたまには自分で帰ろうと思った俺が悪かったんです。
毎日行き来してるから大丈夫だろうと高をくくってたんです…うわーん。
きっともうカカシ先生お迎えに来ちゃってますよね?
烈火のごとく怒ってますよね?
もうお家に帰れないー…」
まさか迷子だとは思っていなかったイビキは、思わず思考停止してしまった。
その間にも尚樹はひとり頭を抱えてぶつぶつとつぶやきだす。
表情こそいつもと大差ないが、実は結構動揺しているらしい。
迷子一つでここまで悩まなくてもいいだろうに、と慰めるように頭をなでてやった。
「まあそう落ち込むな。とりあえず…カカシの家に行くか?
下手に動くとすれ違いそうだからな」
「うう…イビキさん、カカシ先生が帰ってくるまで一緒にいてくださいね?」
「分かったからそう落ち込むな。カカシもこれくらいでそんなに怒らないだろう…多分」
「………多分…」
しょんぼりと落ち込む尚樹を抱きかかえたまま、イビキはカカシの家へと足を向けた。
大人びて見えてもやはり子供は子供らしい。
イビキからの連絡を受けて部屋へと舞い戻ったカカシは、イビキの後ろで小さくなっている尚樹に目を向けた。
「…カカシ、とりあえず鍵をあけてやれ」
尚樹を見つめるカカシと、その視線から逃れようとする尚樹の無言のやり取りを、イビキがさえぎった。
無言で怒りつつ部屋の鍵を開けて中へとあがる。
一緒についてきたイビキに胡乱な視線を向けた。
「………なんでイビキまでついてくるの」
「カカシ、とりあえず尚樹の言い分も聞いてやれ」
またそうやって甘やかす…。
イビキの後ろからひょこっと顔だけをのぞかせている尚樹は、ご主人様に怒られた子犬のようだ。
「…で、なんで勝手に帰ったの?」
静かに、いつもよりいくぶん低い声で問いかけるカカシに尚樹はイビキの後ろに隠れた格好のまま応えた。
「………カカシ先生忙しいのに毎日迎えに来てもらうのも悪いかな…って」
「…鍵、どうするつもりだったの」
「…………………あっ!」
どうやら全く考えていなかったらしい尚樹に、カカシとイビキの視線が集まる。
年のわりにおとなしく落ち着いていて、頭もまわる。
しかし、水沢尚樹という少年は意外なところで抜けているのだ。
イビキは知らないだろうが、生活をともにしているカカシはさすがにその辺を理解し始めていた。
3人の間に気まずい沈黙が落ちる中、家の中で一人留守番をしていた黒猫が、尚樹の足に擦り寄ってきた。
相変わらずカカシには懐いておらず、近寄ろうともしない。さりげなくイビキにも懐いていてちょっとむっとした。
「とにかく、怪しい行動は控えてよね。
俺が迎えに行くまで、おとなしく待ってなさい。
だいたい、道に迷ってたら仕方ないでしょ」
「…ごめんなさい」
しゅーんとこうべをたれる尚樹に、なんだか怒る気も失せてしまった。
「まったく…もういいよ。イビキも、見つけてくれてありがと」
「いや…」
「…あ、あの、カカシ先生」
学校の授業のように右手を上げた尚樹に、今度は何、とカカシは若干呆れた声を出した。
大体こういうときは、ろくなことがない。
「カカシ先生がお迎えに来るまで、アカデミーにいるのもなんというか…イルカ先生に悪いですし、暇ですし、バイトとか出来ませんか?」
「………暇っていうのが本音でしょ。
まったく…大体、アルバイトって何する気なの。年を考えなさいね」
「お手伝い程度でもいいんですけど…花屋とか」
花屋、という尚樹の言葉にカカシは尚樹を見つけたときのことを思い出していた。
花切りバサミの入ったシザーバック。
「………まぁ、考えておくよ」
ほとんど表情は変わらなかったが、尚樹が嬉しそうに顔をほころばせた様な気がした。
だんだん、尚樹の感情が読めるようになってきた今日この頃に、カカシはため息をついた。
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