逃げ水-2-

どん、と目の前に置かれた鍋に、カカシは眉をひそめた。
中には、なにやら色々と混在した物体が入っており、暖かな湯気を漂わせる。
見慣れない物体に、思わず中身を確認。
油揚げ、銀杏切りにされた大根、細かく刻まれたねぎ、焼き魚、くずれた玉子焼き、レタス、トマト、きゅうり、そして米。
色とにおいから、味付けは味噌と思われる。
がんばれば雑炊に見えないこともない。
「………なに、これ」
間の抜けたカカシの問いに、子供はそれを目の前でよそいながら、さも当たり前のように「夕飯です」と答えた。
二人分をよそい、その片方をカカシの前に、残りを自分の前におく。
困惑するカカシの言などお構いなしに、子供はマイペースに両手を合わせ、いただきますとその物体に箸をつけた。
それを見て、カカシは自分の前へとおかれた皿に目を落とす。
お世辞にもおいしそうとは言えない。
しかし、皿の中央、米や他の具に混ざって鎮座する焼き魚には、見覚えがあった。
ちょうど良いくらいに焼き目のついたそれは、今朝方食卓に並んだものだ。
よくよく考えれば、玉子焼きや、サラダに使われていたと思われるトマトも、ちらりと目を向けた記憶はある。
そして、もちろん、大根の味噌汁が添えられていたことも。
つまり、今朝の食事が、この鍋の中に、何の考慮もなく突っ込まれているのだ。
もくもくと食事を続ける子供を前にそのことに気づいたカカシは、その決しておいしいとは言えない夕食にようやく箸をつけた。


火影の決定は、カカシにとって不服だった。
水沢尚樹と名乗った子供は、なぜか皆にあまり危険視されていないようだった。
カカシだけが、彼に対して異常なまでの警戒心を示し、むしろそれが周りの人間に妙な反発感を与えてしまったようだ。
そんなに怪しむことはないんじゃないか、と。
持ち物も武器らしい武器といえば、あの妙なナイフだけで、他は変なものではない。
カカシだって、それだけならばそこまで警戒しなかったさ、と内心で舌打ちした。
目覚めたときの子供の行動。あれは、確かに何か確信あっての行動だった。
自分の左目が、写輪眼だと、知っている、いや、確認するための行動だったと思わずにはいられない。
子供の好奇心とか、そういう類のものではなかった。
そう主張したカカシに、火影は森乃イビキと尚樹をつれてくるよう指示を出した。
その一言で、これからなにが行われるのかを皆が理解する。
集まっていた上忍たちがわずかに顔をしかめていた。
しばらくもせぬうちに、二人が部屋へと入ってくる。
体の大きなイビキと、まだ幼い子供が並んで入ってくる様は、アンバランスだった。
子供の腕に抱かれた猫が、鳴き声もあげずにじっと火影を見据える。
「尚樹と言ったか…おぬしに聞きたいことがあるんじゃが、いいかのう」
いささか厳しい表情で子供と対峙した火影が口を開く。
それに臆した様子もなく、子供は小さくうなずいた。
「まず…どこから来たか教えてくれんか」
火影の言葉に、考えるように子供が首をかしげる。
そして、その視線をカカシへと向けた。
「…分かりません…気がついたらベッドの上でした」
「その前のことを聞いている」
カカシの厳しい追及に、子供はゆったりと逆側に首を傾けた。
「覚えていません」
子供は思ったよりもはっきりとした口調で答える。
それは逆に、何かを隠しているように見えた。
イビキと火影が視線を交わす。
それに気づいたのか気づいていないのか、子供はイビキを振り返り、「水沢尚樹です。よろしくお願いします」と頭を下げた。
その行動にイビキがわずかに困惑の色を見せる。
子供は、その腕に抱いていた猫をそっと床に下ろした。
その視線を再びイビキに向ける。子供らしい真っ直ぐな視線。
少し困ったようにイビキが火影とカカシに視線をよこした。
「…これからなにをされるか、分かるか?」
床にひざを着いて子供と目線を合わせたイビキが静かに言った。
「俺に選択権はありますか」
ひどく平坦な声で、答えとも質問とも取れる言葉を子供は口にした。
それは、幼い子供にひどい仕打ちをする大人たちを、責めているような響きを帯びていた。
いや、本人にそんなつもりはないのかもしれない。
これからなにをされるか子供が理解しているかも定かではない。
ただ、自分たちのほんの少しの良心が、勝手にフィルターをかけているのだ。
「もし、俺に選択権があるなら」
わずかな沈黙を破ったのは子ども自身だった。
続く言葉に皆が息を潜める。
「痛いのは嫌いなので、里の外に捨てるとか、そういう平和的な解決を望みます」
皆に動揺が走ったのを、カカシは肌で感じた。
そしてひどく舌打ちしたい気分になったのだった。



結局監視つきで、子供は里への残留を許可された。
身寄りがない、と本人は言っていたけれども果たしてどこまで本当のことだか。
監視役は、必然的にカカシに回ってきた。
監視役とは名ばかりで、これではただの子供のお守りだとカカシは言いたかったが、決定は決定だ。
自分の家の中に他人の気配があることは、カカシには耐え難いことだった。
ずっと放っておかれて暇だったのか、はたまた気を使っているのか、子供が食事を作りはじめたのが一緒に住み始めて1週間後。
そして、他人の出したものを口に出来るかと、冒頭に至るまでカカシは3度ほど子供の作った食事をボイコットしていたのだった。