お魚日和

「教えてもいいですけど…聞いたところで盗めるような類のものではないですよ?」
「…前々から思っていたんだが…お前のその情報はどこからくるんだ…」
「はぁ…まあ、それも含めて話しますよ」

天気雨、というのだろうか。
空は晴れていたが、ザァザァと雨が降っていた。
「ジャポンでは狐の嫁入りと言うんですよ」
クロロのカップに紅茶を注ぎながら、尚樹がどこか懐かしそうにそう言った。
紅茶だというのに口をつけると、熱湯かというくらい熱い。
あまりの熱さに、クロロはそっとカップをソーサーに戻した。
「………尚樹はジャポン出身なのか?」
「…いえ、正確には違いますね」
尚樹の言葉に首をかしげていると、それも話しますから、となぜか鯛焼きを渡された。
「えーと…どこから話しましょうか…そうだな、やっぱり最初からが分かりやすいかな」
そういって、尚樹が静かに語りだした。
響く雨音が、尚樹の声をより淡々としたものにする。
「店長と初めて会ったのは、森の中でした。どうしてそこにいたのか、今でも分かりません。
ただ、そこが俺の住んでいた世界と違うことはなんとなく分かりました」
「…違う世界?」
「ええ………異世界…いわゆるパラレルワールドですね。
俺にとってこの世界は、本の中の世界だったんです」
あ、その顔は信じてませんね? とどうでもいいように尚樹が無表情のまま首をかしげる。
そして再び淡々と語りだした。
「ハンターハンターっていう本で…男の子が父親を探して旅にでるっていう話なんですけど。
そこにクロロさん達も出てくるんですよ。だから、クロロさんの念がどういうものか知っている。
…まぁ、脇役も脇役ですけどね」
「脇役は余計だ…まぁ、主役ってキャラじゃないがな」
何だ、自覚があったんですか? とつぶやく尚樹に、「悪役が主役の本なんてそうそうないだろ…」と返した。
その言葉に考えるように視線を漂わせ、「それもそうか…」とどこか残念そうにため息をつく。
ちょっぴり米神をぴくぴくさせつつクロロは話の先を促した。
「えーっと…まあここまでで重要なのは、俺が異世界出身ってことですね」
かなり簡単にまとめようとする尚樹に、本云々はいいのかと突っ込みたかったが、話がいっこうに先に進まないので我慢した。
というか、その異世界云々という話が一番胡散臭いわけだが。
「で、本題は念でしたっけ?」
「ああ。ずいぶんいろいろ具現化できるようだから、気になってな」
「わりとそれで近いと思いますよ」
おそらく中身が白餡と思われる鯛焼きを選びながら尚樹が発した言葉に、クロロは訝しげに眉を寄せた。
「何でも具現化できる」というのは不可能だ。
そんなことが可能ならば、ある種具現化系が最強といえるだろう。
クロロの知っている具現化系は大抵のものが1つ、多くて3つくらいのものしか具現化できない。
物を具現化する、というのは想像以上に難しいのだ。
そんなクロロの心中など気にもかけず、尚樹はまだ温かい鯛焼きを頬張っていた。
つられてクロロもパクリと一口。
黒餡の控えめな甘さが口の中に広がる。
おいしいが、紅茶とは激しくあわない。
「あんぱんと牛乳は合うらしいんですけど、鯛焼きと牛乳は合うと思います?」
「………やめておけ」
心を読んだのではないかというくらい絶妙のタイミングで放たれる言葉に、驚くよりも苦悩が勝る。
あんぱんと牛乳が合うことすらクロロは知らない。というか、そんな組み合わせは激しく遠慮したい。
「…念の話に戻るが、なんでも具現化できるというのはおかしいんじゃないか」
クロロの問いに、尚樹が当たり前だとばかりにうなずいた。
「もちろん、何でもじゃないですよ。ただ、俺はいろいろ具現化できる、と言ったんです」
なるほど、制限付きか、と尚樹の言葉にクロロは目を細める。
ここからが重要だ。
クロロが知りたかったのはまさにこの先。
尚樹は会う度に違うものを具現化するので、具現化できるものの基準が分からないのだ。
そこが分からなければ盗めるものも盗めない。
「ひとつは、もちろん道具であること。俺が生物であると認識しているものは具現化できませんし、たとえば道具を介さない魔法の類は使えません。
ふたつめ、具現化するものは、何かしらの媒体に記されている道具であること。
本でも映像でもゲームでも、記録されていることが条件です。
みっつめ、一日に具現化できる道具の範囲は2ジャンルまでです。
個数に制限はありませんが…たとえば、A、B、Cと言う作品があって、今日AとBの作中の道具を具現化したとします。
そうするとCの作中の道具は今日はもう具現化することは出来ません。分かります?」
「ああ…確かにそれならいくつも具現化できることに説明がつくな。だが、それが異世界とどう関係があるんだ?」
「とても重要ですよ。
俺の念では今の3つの条件ではまだ弱い。
だから、もうひとつ条件がついています。

………その道具、及び記されている媒体が存在しない状況下であること」

例えば、どこにでもあるようなありきたりな道具は、何らかの媒体に記されているものだとしても、具現化できない。
また、現実に存在しないものでも、それを記した媒体が世界のどこかに存在すれば具現化することはできない。
というわけで、俺が元の世界に戻ったらこの念は使えないということです、と付け加えぱくりと鯛焼きを一口。
その表情はいつもと変わらず、少年の内心をうかがい知ることはできなかった。
盗んだところで使えないというのは、つまりクロロがこの世界の人間だからだ。
それは、尚樹がこの世界の人間ではないということを認めているようで、なんだか胸の奥に違和感を覚えた。
雨はすでにやみ、先ほどまでは雨音にさえぎられていた外の喧騒が店の中まで届く。
流れ込んでくる日常は、尚樹の存在をより遠くへ感じさせた。

尚樹とクロロの間に横たわるカウンターが、境界線のように二人を隔てていた。

「狐の嫁入りというのは、本来、雨夜に狐火が連なって嫁入り行列に見えることを指すんです」
いきなり関係のない話をしだした尚樹にクロロは視線を上げる。
「天気雨のことを狐の嫁入りと言うのは諸説ありますが、日中の嫁入り行列を人間に見られないように雨を降らしているとか。
まあ、天気雨のような普通ではない状況を狐に化かされているとして、総じて狐の嫁入りと言うこともあるようです…詳しくは分かりませんけど」
一通り話し終えて一息とばかりに鯛焼きを食べる尚樹に、クロロは訝しげな視線を向けた。
そんなクロロにかかわらず、尚樹は淡々とした様子で再び話し出す。
「日本語で四月一日はわたぬき、とも言います。
これは冬の間に防寒として着物に詰めた綿を4月1日に抜いていたことに由来します」
「………尚樹?」
「ご存知ですか? 今日は日本語では四月馬鹿、フランス語ではポワソン・ダヴリル」
あ、ポワソン・ダヴリルは四月の魚と言う意味です、とようやく鯛焼きを食べ終えたクロロに、また鯛焼きを差し出してきた。
「4月の魚?」
形だけならば魚の形をしたそれを、じっと見つめ、ぱくりと一口。
頭の中で尚樹の言葉を反芻するも、何を言いたいのか分からない。
「そう、4月の魚です。最もメジャーな言葉では、エイプリルフールと言うんですよ」
ここで今日はじめて、少年はにっこりと人工的な笑みを浮かべ、クロロはがっくりと肩を落とした。

「………どこからが嘘だ」
「さあ、なんのことやら?」

小悪魔っぽく微笑んだ少年に、クロロはまた一口鯛焼きを口に含んだ。


「そういえば、黒餡には一個だけわさび入れたんで、気をつけてくださいね?」
「!!」