第二種の過誤

「尚樹はまだ軽いからな。このくらいの重しがあったほうがいいだろう。うまくやれば1回で相手をしとめられる」
よく言えば安定感のある、悪く言えば歩きづらいブーツを尚樹はじっと見下ろした。
先日、(ゼタさん曰く)変態ピエロが店に顔を出し、尚樹を気に入ってしまったことがそもそもの事の起こりだ。
本人に自覚はないが、うっかりしたら人攫いにあってしまうのではないかというくらい、尚樹は警戒心が薄い。
ゼタが家にいるときはいいが、いつまでも仕事をしないわけにもいかない。
そこで、一通り護身術を教えることにしたのだ。
尚樹自身は、たいしてその必要性を感じてはいなかったが、それでゼタが安心するなら、とそれを了承した。
しかし。
「こぶしを使うと指を痛めるから、基本的には蹴りだな。ただ身長が足りないから、まず相手の体勢を崩してとどめをさしたほうがいい。
一番いいのは首だな。細いし、うまく体重を乗せれば折れる。
頭でもいいが、軽く脳震盪を起こすくらいだろうからとどめを刺すのを忘れないように。
で、あとはナイフだが…」
「あの、ゼタさん」
分かりやすいように蹴りを入れるポイントをさしながら、よどみなく説明を続けるゼタの声を、尚樹は思わずさえぎった。
ナイフの説明にうつろうとしていた保護者の右手に、ベンズナイフが握られているのはきっと気のせいだろう。
「どうした? 何か分からないことがあるか?」
「いえ…………あの、護身術、ですよね…?」
もちろんだ、と至極当然のようにうなずいた保護者に、尚樹はもしかして自分がおかしいのか? と首を傾げそうになった。
相手が自信満々だと、自分が間違っているのでは? と思い始める初歩的な罠に早くも尚樹は落ち始めていたが、もちろん尚樹はそんなことには気づいていない。

護身術、身を守るすべ、別名変態撃退術。

とりあえず、護身術にしては不穏な言葉がところどころに飛び交っている気はするが、ゼタさんが言うのだから間違っていないのだろう、と尚樹は自己完結した。

「素手でかなわないときはナイフを使いなさい。ただし、怪我をしないように気をつけること」
こくこくとゼタの言葉に尚樹はうなずく。
ナイフは使ったことがないから、よく聞いておかなくてはと、真剣にゼタの手元を見つめた。
「よく心臓を狙うやつがいるが、それはやめたほうがいい。
成功率が低いからな。力の強いやつならともかく子供や力の弱い女性はわき腹を狙ったほうが確実だ。
ナイフが安定するし、体重ものる。
ただ、相手が複数のときはやめたほうがいい。深く刺さったナイフは意外と抜けにくいし、ベンズナイフはそういう造りのものが多い。
それに、毒を塗っておけばそう深く刺さずとも致命傷になる。
やはり素手のときと同じで首が狙い目だろう。」
ふむふむ、と頭の中で保護者の言葉を反芻して体の動きをイメージする。
一通りイメージした後、尚樹はゼタをじっと見上げた。
「あの………護身術、ですよね?」
「もちろんだ」
きっぱりと答えたゼタに、尚樹は「ああ、護身術ってこういうものだったんだ。俺ずっと勘違いしてたかも」と間違った結論にたどり着き、恥をかく前に気づいてよかったと安堵の息をついたのだった。