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人の通りもまばらになり、店から漏れる光が通りを照らす。
閉店の時間も過ぎ、店じまいをしようと外に出していた花たちを店内へと尚樹が運ぶ。
店の奥、家のほうからは夕飯のにおいがし始めていた。
ちりん、と音を立てて夜一がカウンターの上から飛び降りる。
首元に映える赤い首輪には金色の鈴。
それがちりちりと動くたびに音を立てた。
同じ鈴が尚樹の右耳にもひとつ、ときおり小さく音を立てる。
指先でそれに触れて、尚樹はひとり顔を緩めた。


「こんにちわー」
店先から顔をのぞかせたのは、鮮やかな金髪の持ち主。
尚樹にとってのポジションは知り合いと言ったところだろうか。
「こんにちは、シャルさん」
外はよく晴れていて、対照的に店内には影が色濃く落ちている。
まだ肌寒さを感じる空気に、シャルナークの笑顔はどこかアンバランスだった。
「今日はお1人ですか?」
「うん。ちょっといい物を持ってきたんだよ」
ニコニコとしてカウンターの前に立つシャルナークに、尚樹は首をかしげた。
「いいもの、ですか」
「うん、いいもの」
とりあえずどうぞ、とカウンター前の席を勧めてお茶を入れる。
以前はカウンター前に椅子など置いていなかったのだが、どこかの団長が来るたびにうるさいので常設されたのだ。
お茶菓子を何にしようかなーと棚の中を眺める。
「お煎餅でいいですか?」
「うん、お茶は緑茶がいいな~」
「了解です」
リクエストどおり緑茶を2人分入れて、飼い猫のために皿にミルクを注ぐ。
カウンターの隅で丸くなっていた夜一の前に冷たいままのそれをそっと差し出した。
「それでシャルさん、良いものってなんですか?」
「その前に…今日は何の日か分かる?」
「…今日ですか?」
別に、祝日、というわけではない、普通の平日。
ニコニコと楽しそうなシャルナークに尚樹は頭をひねった。
壁にかけてあるカレンダーを眺めても、特に何も書かれていない。
なにか、自分の知らない習慣でもあるのだろうか。ハロウィーン的な。
熱いお茶を冷ましながら、半ば無意識に煎餅に手を伸ばす。
かり、と端に歯をたてて乏しい知識をかき集めてみたが、特にこれといって思い当たることもない。
醤油の味を楽しむように口に含んだ欠片をころころと転がした
「………金曜日?」
尚樹の答えにシャルナークががっくりと肩を落とす。
それだけで、尚樹の答えが彼の求めているものではないことが知れた。
「ヒントください」
「……ヒント無しでも分かろうよ。はい、これ。誕生日プレゼントだよ」
差し出された包みに、尚樹はようやく今日が何の日か思い出したのだった。


いつもどおり夕食を終えた尚樹は、居間のソファに腰掛けて、イルミからもらった包みを眺めた。
まさかイルミから誕生日プレゼントをもらえるとは思っていなかったので、閉店間際に訪れた彼がこれを差し出してきたときは驚いたのなんの。
あのゾルディックに誕生日プレゼントをもらうなんて、この世界に尚樹くらいかもしれない。
包みはシャルナークにもらったものより大きく、なんだかやわらかそうだ。
はやる気持ちを抑えながら、丁寧に包みを開いていく。
ふわふわとした毛並みが、包装紙の隙間からのぞいた。
中身を取り出すと、猫の足。
「……もふもふスリッパ」
猫の足を模したものらしく、裏を返すと肉球の形にピンク色の布が縫い付けてある。
さっそく履いてみるとやわらかな綿の感触が足の裏に伝わり、ぷにゅっと音を立てた。
控えめにその場で足踏みをしてみる。
ぷにゅ、ぷにゅと再びかわいらしい音が鳴った。気のせいではないらしい。
「……イルミさん…」
どこで買ってきたんだこんなの…。というか、これを購入しているイルミを想像すると、すごくときめく。
一人想像でノックアウトされそうになっている飼い主に夜一は冷たい視線を送った。
「可愛すぎる…」
ぷにゅぷにゅと音を立てて楽しんでいると、それに気付いたらしい保護者が顔を出した。
「……なんだ、それは」
「あ、すみません。うるさかったですか?」
「いや……」
むしろかわいい、という言葉を飲み込んでゼタは尚樹の履いているスリッパに視線を注ぐ。
見慣れないそれに首をかしげた。
尚樹が嬉しそうにイルミからのプレゼントだと手にとって肉球を強調する。
わずかに緩んだ頬と、パッチリと開かれた瞳から彼がいつになく喜んでいることに、付き合いの一番長いゼタが気付かないはずもない。
しかしそれ以上に、引っかかる言葉がひとつ。
「……プレゼント…?」
「あ、はい。今日俺の誕生日なんですよ」
そういうことはもっと早く言え!と反射的に声を荒げてしまいそうになり、すんでのところで口を押さえる。
そういえば、いままで誕生日を祝ったことはない。
ゼタ自身誕生日を祝うという習慣がなかったせいで、完全に失念していたし、尚樹もそのことについて一言も触れなかった。
普通尚樹くらいの年齢なら、自分から誕生日を主張するだろうに。
「……ゼタさん?」
悶々とするゼタを不審に思ったのか、尚樹が小さく首をかしげ見上げてくる。
その頭を少し乱暴に撫でて、少しだけ不機嫌そうに言ってやった。
「明日、ケーキを買って来てやる」


おめでとう、と他の誰にも聞こえぬほど小さな声で、そっけなく告げた飼い猫に、刹那はこっそりと微笑んでその小さな体を抱き寄せた。
「おやすみ、夜一さん」