危機的日常
いつもどおりまだ暗い時間に目が覚めて、ゼタは時計に目を走らせた。
5時半。
なかば無意識のうちに布団から這い出て台所へ向かう。
パンを2枚切ってフライパンへ。
冷蔵庫の中をのぞいて適当に野菜を引っ張り出す。フライパンの中のパンをくるりと反転。
レタスを洗って手でちぎり器へ盛り盛り。軽く焦げ目のついたパンを皿へ移動。
フライパンに油を引いてベーコンと卵を投入。ふたを閉めて放置。
トマトときゅうりを適当に切ってレタスと一緒の器へ。
ミキサーに配合変化も気にせず手当たり次第に野菜を入れてポチっとな。混ざり合ったそれは言葉で表現できない素敵な色合い。
フライパンの目玉焼きも皿に移して完了。
出来上がった朝食を食卓の上に並べたところで、はた、と覚醒。
「1人分で良かったんだった…」
ついでにこんな早朝に起きる必要もない。この3ヶ月ですっかりよくなってしまった手際に、ぐぅの音もでない。
ほこほこと湯気の立っている朝食に凹みつつも、ゼタは久方ぶりに1人の食卓について手を合わせた。
「いただきます」
話は昨日にさかのぼる。
「やぁ」
と胡散臭いほどさわやかに微笑んで店の敷居をまたいだのは、ゼタの幼馴染。名称ケイ。
それは年も終わりの12月下旬。
仕事の帰り道に幼い子供を拾ったのは夏の隣。
約束の3ヶ月を超えたことなど忘れてしまったころのことだ。
超絶笑顔の幼馴染にわずかに後ずさりながらもゼタは「何だ」とそっけなく返す。
そんなゼタの態度など気にも留めず幼馴染のケイは世間話でもするかのように軽やかに口を開いた。
「いやぁ、どうしてるかなと思ってさ。どう? 尚樹君は」
「別に…普通だ」
「ふ~ん。そんなこと言ってー、実はかわいくて仕方ないんじゃないの?」
からかうようにニヤリと口の端を上げた幼馴染に、ゼタは憮然とした表情でそんなわけあるか、と反駁した。
一見冷たそうに見えるこの態度が、実は動揺しているときのものだと長い付き合いのケイにはお見通しだ。
いい年こいて実はかわいい物好きなゼタのことをケイは正しく理解していた。
「へ~ぇ。そうなんだ? それは残念だなー。尚樹君も懐いてるみたいだし、ゼタに引き取ってもらいたかったんだけど…」
「…寝言は寝て言え」
「はいはい。ま、いい加減本題に入ろうか」
ゼタの素直ではない態度にひょいっと芝居がかった仕草で肩をすくめたケイは、つまらなそうにそう切り出した。
最初っからそうしろといわんばかりに視線で先を促すゼタに、ケイは意味ありげに口の端を上げる。
「施設の方に空きができたんだよ。だから尚樹君を引き取りに来たわけ」
「………」
お分かり? と顔を覗き込んでくるケイに、ゼタは固まった。ケイの言葉を頭の中で反芻して絶句。
そういえばそういう約束だったと思い出し、すっかり忘れて子供の世話に励んでいた自分に赤面。
ついでに先ほどの幼馴染との会話を思いだしてもうあとに引けない状態。
「………奥にいる。さっさと連れて行け」
店の奥、自宅の方を示してゼタはいつものようにぶっきらぼうに言い捨てた。
相変わらず、素直じゃないなぁとケイは深い溜息をつき勝手知ったるなんとやらで遠慮もせずに奥に消えた。
結構じゃないか。これでようやっと子供の世話から解放される、とゼタは胸中で自分に言い聞かせる。うっかり3ヶ月の約束なんて忘れ去ってかわいがってしまったのは、なんというかまぁ…気まぐれだ。
それにもっと普通の家庭に引き取られた方が子供にとっても良いだろう、と溜息をついた。
最近は子供のために仕事を控えて家にいたが、もともとゼタは不在のことが多い。妻もない。
お世辞にもいい環境とは言いがたいだろう。
ひとりでそう納得してあいづちを打つゼタは、実は結構動揺していたり…。
ゼタが1人で百面相している間に、わずかに2人の話し声が聞こえ、数分としないうちに幼馴染に手を引かれて子供が姿を現した。
その表情はいつもと変わりなく、フラットなものだ。
幼馴染は子供がゼタに懐いているといったが、実際のところはどうだか、とゼタはその変化に乏しい顔を見遣った。
控えめで大人びた子供は、懐く、という言葉とはどこか縁遠い気がする。
予想と違いなく礼儀正しく頭を下げて謝礼を述べた子供に、ゼタは何を期待しているのかとらしくない自分に苦笑した。
「…まぁお前ならすぐに引き取り手がつくさ。
荷物をまとめてやるから待ってなさい」
おとなしく世話のかからない、身奇麗な子供ならそう引き取り手にも困らないだろう。幸い尚樹はまだ小さい。
孤児院では基本的に幼い子供からもらわれてゆく。大きくなればなるほど引き取り手がつかず、そのまま自立して孤児院を出て行くものも少なくない。自身がそのいい例であるゼタはそういって子供の頭をなでてやった。
「…自分で出来ますよ? 大丈夫です」
「いいから」
適当に荷物を詰めようと移動するゼタに、やはりというかなんというか子供は後についてきて、手伝う気満々だ。
最後まで甘えることのなかった子供に、可愛げのないやつだ、とゼタは苦笑を漏らした。
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