危機的日常

空は抜けるような快晴。
窓から差し込む日差しにまどろんでしまいそうな午後。孤児院の某院長は頬杖えをついてわざとらしくため息をついた。
「…で、結局引き取りにくるわけだ」
「…うるさいぞ、ケイ」
七面倒くさい書類に目を通しながらゼタはぎろりとケイをにらんだ。ケイの方はなれたもので、そんな視線にひるむこともなく、むしろからかうように意地の悪い笑みを浮かべた。
「馬鹿だねぇ…おとなしく頷いとけば面倒な書類なんて書かなくても良かったのに」
「…お前仮にも責任者だろう。いいのかそれで」
「他の人間だったら良くないけどね、ゼタだし。その辺は信用してるよ。これでも人を見る目はあるつもりなんだ」
さりげなく「信用してる」などと言われても反応に困る、とゼタは記入漏れがないかと再び書類に目を落とした。


結局尚樹が孤児院に引き取られてから3日後、2人分の朝食を3度作ったところでゼタはしぶしぶと腰を上げた。
脳裏にそらみたことか、と笑う幼馴染の顔が浮かんで仕方がなかったが、これ以上余分な朝食を作っても仕方がない。習慣とは恐ろしいものだ。
まぁ、もともと手のかかる子どもじゃないし、と自分に言い訳をして家を出たのがお昼前。
予想とたがわずそらみたことか、と幼馴染が笑ったのは言うまでもない。
「さて、書類は全部そろったね。2、3説明をするからちゃんと聞いてね」
「まだあるのか…」
「文句言わない!元はといえば君が素直じゃないのがいけないんだから。
えーとまず…これはうちの決まりなんだけど、成人するまでは最低でも2ヶ月に1度は写真を添えて現状報告をすること。まあ、手紙みたいな感じで」
「な…聞いてないぞそんなこと」
「今言った。ゼタは大丈夫だと思うけど、決まりだからね。
虐待されたり、子どもの売買目的で引き取っていく人が居ないようにっていう一応の処置。
怪しいと思ったら調べるから」
「……いちいちそんなことしてるのか」
「まあね。君は知らないだろうけど、僕らが居た頃もこの決まりはあったんだよ?」
こういうときの幼馴染の目は苦手だ、とゼタは目をそらした。
まるで聞き分けの悪い弟を見るような、そんな目。ゼタが孤児院に居た頃はケイが最年長だった。だから全員の兄的存在だったといっても過言ではない。
それとは反対に、ケイにとっては全員が弟のようなものだったのだろう。悲しいかな、その範疇にゼタもばっちりと含まれているわけだが。
「そういうわけだから、ちゃんと手紙を書くように。
後は予防接種ね。受けてない子が大半だから、ちゃんと各種受けさせること。
何か質問は?」
「………今のところはない」
「あそ。じゃあ尚樹君を連れてきて。彼のサインも必要だから」
そういって中庭のほうを指したケイにおとなしくゼタは腰を上げた。

小さな孤児院だから、子供の数もそう多いというわけではない。
中庭に出るとちらほらと子供の姿がうかがえた。
何人かがちらちらとゼタのほうを盗み見る。孤児院へ見知らぬ大人がやってくるのは、大半の場合引き取る子供を選びにくるときだ。悪く言えば、品定め。
大人たちは見目の良い子供を、子供たちは裕福な大人を互いに判断している。
孤児院の子供たちは、外見とは裏腹にしたたかなものが多く、いたいけな様はいわば服のようなもので、自らを装っているのだ。
ぐるりと見回すと、そんな中でひとり木陰に座ってうつらうつらとしている少年が目に入った。
思わず苦笑をもらす。
ゼタにとって計算高い子供たちは、けして嫌悪の対象ではなかった。むしろ、好ましいとすら感じる。
それくらいないと生きていけないし、チャンスをつかめないことを彼らは正しく理解している。それは必要なことだし、かつては自分もそうだった。
ただ少し、時期が早かっただけのこと。

すたすたと少年に近づき、声もかけずに抱えあげた。
半分夢の世界にいた少年はいきなりのことに目をしばたかせる。ぱちぱちと、瞬きの音が聞こえてきそうなしぐさだった。
「え!? え? …ゼタさん?」
そのまま何も言わず歩き出してしまったゼタにめずらしく尚樹が困惑したような声を上げた。
すたすたと建物の中に入っていくゼタに尚樹が物言いた気な視線を向ける。
わざわざ引き取りに来たことを言いたくないゼタは、その視線を意図的に無視した。
室内に戻ると、にこにこと笑みを貼り付けたケイが先ほどと同じ場所に座っている。あとでいろいろからかわれるんだろうな、と個人的には嫌いなその笑みを見やった。
「やぁ、尚樹君。君の引き取り手が決まったよ」
「…はぁ…早いですね」
なんとも気の抜けた返事を返す尚樹は、明らかに状況が飲み込めていないようだった。
それに気づきつつも、ゼタは尚樹を椅子に下ろしてやる。
自分の前におかれた書類を尚樹はきょとんとした顔で眺めた。
「じゃあ尚樹君、書類に目を通してサインをくれるかな?」
ケイの言葉に顔を上げた尚樹はわずかに眉をひそめて再び書類に目を落とした。
その予想外の反応にゼタとケイは顔を見合わせる。
しばらくして顔を上げた尚樹はどこか困惑顔で、書類にサインをしようとしない。
「尚樹君?」
首をかしげたケイに、ようやく尚樹が口を開いた。


「すみません…これ、なんて書いてあるんですか?」