溺れるくらいなら壊すよ
クロロはヒソカとの戦闘を先延ばしにしていた。あれは非常に難しい相手だ。クロロですら、なんの準備も無しに勝てる相手ではない。
すでにシャルナークとコルトピから念を借りる算段はつけている。盗賊の極意をめくって、使えそうな念能力をチェックする。
ヒソカのバンジーガムはシンプル故に予測が出来ない。
尚樹の念は全貌は分からないが、なかなか便利そうだ。まず、移動用の念があることは間違いない。それと、ずいぶん前に見た棒切れ。あれは店内では時々見かける。主にものを取り寄せる時に使っているようだが、クロロは以前あれに指輪を破壊された。攻撃にも使えるのだろう。具現化系と言っていたから、おそらく他にもあるはずだ。
尚樹の念を借りれないか交渉に行くと、雑巾を片手に持った尚樹が振り返った。どうやら掃除中だったらしい。
「あれ、こんにちは」
「こんにちは」
「ちょうど良かった、クロロさん、そこのバケツ持ってきて下さい」
「会ってしょっぱなからそれか……もっと他に言うことがあるだろう」
「え? なんだろう……あ、ゴキブリホイホイ回収してくれるんですか? 助かります、あれ設置するのはいいんだけど回収が億劫で……生きてたらヤダし、なんもかかってないのも腹立たしいしで」
「いや、なんでだよ」
「え、半年前にクロロさんのゴキブリセンサーでここぞというところに設置してもらったやつのその後が気になるんですよね?」
「お前……半年も放置したのか」
さっ、と尚樹が視線をそらす。
「見るのが怖い」
「自業自得だ」
「わさっとしてたらイヤでしょ……半年かけて収穫ゼロだったら恥ずかしいから回収しぶってるんですか?」
「だからなんでだよ」
ぶつぶつと文句を言いながらもこのままでは話が進まないので、クロロは回収作業にとりかかった。
ちなみに、成果は可もなく不可もなくと言ったところで、大変微妙な顔をされた。
ゴキブリホイホイを捨てた袋の口を厳重に締める尚樹に、嫌がりすぎだろうと苦笑がもれる。
「この鉢、そっちに移動してください。あと、棚の上にある鉢とってもらえますか」
素直に手伝ってからはっと我に返ってクロロは椅子に腰を下ろした。手のひらでカウンターをパタパタとたたいて、尚樹に座るように促す。
なんとも嫌そうな顔をしたあと、ちょこまかと掃除をして、尚樹はようやくカウンターの中に戻った。
ポットから急須にお湯をそそぐ。急須の蓋に猫の耳がついていて、思わず買ってしまった一品だ。あざとい。
湯のみになみなみとついで、クロロの方に押しやる。
「それで、今日はなんの用件です? 花を買いに来た訳じゃないですよね?」
「ああ……見ての通り念能力が戻ったんだが」
「ああ、そういえば……使えなかったんですっけ。おめでとうございます?」
「……お前忘れてただろう」
「すみません、そこまでクロロさんに興味なくて……」
「無意識に抉ってくるのやめなさい」
心底どうでも良かったのだろう。そう前の出来事ではないのに、尚樹は本当に今思い出したといわんばかりだ。結構な大ごとだったし、なんなら現場にいたはずなのに忘れるとはどういうことかと問い詰めたい。もちろん、自分がさらに傷つきそうなので賢明なクロロは深く追求しなかった。
「まあそれで、誠に不本意ながら、除念にはヒソカの手を借りた」
「はぁ」
気の抜けた返事は、本当にこちらの話をきいているのか怪しいものだ。
「その流れでヒソカと試合をする事になった」
「なんの流れですかねそれ……」
「取り引きというやつだ」
「さようですか……」
妙に生温い視線をよこしながらたいして減ってもない湯呑みにお茶がたされる。ここに来ると高確率で緑茶だ。
「それでだ、本題はここからなんだが」
「はぁ」
「尚樹の念能力を貸してくれないか?」
「はぁ」
気のない返事にクロロは眉を潜めた。イエスともノーとも取れる返答だ。
「それは了承か?」
「いや、うーん……そもそもですね?」
ふぅふぅとゆげを立てるお茶をさましながら、尚樹が首を傾げる。
「貸して返ってくるんですか? 言っちゃなんですけど、その辺の信用はゼロどころかマイナスですよ? 盗賊さん」
「さて、そこは信用して欲しいところだけど? ちゃんと返すさ」
君が死んだ時はね。
にっこりと笑って見せると、半眼で冷たい視線を返された。ふう、と尚樹がため息を一つ。
「えーと、盗みの極意でしたっけ?」
「……なんで知ってるかは聞かないが、正確には盗賊の極意、だ。なんだそのふんわりした情報……」
「すいません、そこまで団長さんに興味なくて……」
「だから悪気なく抉ってくるのやめなさいって」
相変わらずこいつの情報網はどうなってるんだ、と内心で頭を抱える。
除念師のことといい、妙なことを知っているものだ。
「んー、やっぱり却下で。貸してる間俺が使えないじゃないですか……」
「お前のその情報網は……いや、今はそれはいい」
今度はさすがに突っ込みそうになってグッとこらえる。
「手荒な真似はしたくない。大人しく貸してくれないか?」
声に力をのせて脅しをかける。意図せずして口の端がゆるりと笑んだ。
「手荒な真似て……、あなた俺の念能力の詳細知らないでしょ……」
あきらかにこちらの発動条件を抑えている発言だ。完全に知られていると思っていいだろう。やりづらいことこの上ない。
「吐かせる方法なんていくらでもあるからな」
「あんまりオススメしません。確か念能力を実際に見ないといけないんですよね? もし全部見ないと条件を満たせないなら相当時間かかりますし、労力の割に役に立たないと思います。それに」
一度言葉を切って、今度は尚樹がゆるりと笑って見せた。その瞳には揶揄うような色。
「クロロさんではそもそも発動も出来ません。雑に使ってるように見えるかもしれませんけど、これで結構条件の厳しい能力なんですよ」
俺以外にはね。
「あ、そういえばクロロさん、占い用の念を持ってますよね?」
ぐ、と口に含んだお茶が喉に詰まった。
「俺も占ってもらっていいですか?」
「あー、いや、あれはもう使えないんだ」
「え、あの人死んじゃったんですか?」
さすがに噎せた。自分の念能力が筒抜けすぎる。どこまで把握しているのかいっそ聞いてしまった方が安心かもしれない。
意識の端で、知った気配が近づいてくるのを感知した。店先を振り返ると、花屋には到底似合わない男の姿。この店の店主だ。
その手には随分と大きな熊のぬいぐるみが抱えられている。表情が死んでいるのだが、そういうキャラなのだろうか。
「おかえりなさん、ゼタさん。どうしたんですか? それ」
「ん? そこのゲーセンで取ってきた」
「あれ? もしかしてUFOキャッチャーですか?」
「ああ」
ひょい、とカウンターの上をとおって尚樹に渡されたそれは、子供の彼が抱えると床についてしまいそうだ。
「ふぉ……もちもち」
隣に座らせながら尚樹が感触を確かめるようにぬいぐるみを抱きしめる。気に入ったらしい。
クロロの背後でシャッター音が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
「すごい、良くこんな大きいの取れましたね? あそこアーム弱くないですか?」
件のゲームセンターならクロロも知っている。もちろん、欲しいものはとるタチのクロロは挑んだことはないが。とりあえず、側から見ていて取れそうもないUFOキャッチャーだと思った記憶はある。
「アームを強化した」
ぐ、とむせそうになるのを我慢する。そこまでして取りたいか? この微妙に可愛くないぬいぐるみ、とクロロは視線の定まらない熊の顔を眺めた。
「さすが強化系……てかそれ大丈夫なんですか……?」
「いいんじゃないか? 別に」
自力で取ってるんだからイカサマでもないだろう、というゼタの言葉に、それもそうかと尚樹は頷いた。
いや、あきらかにズルだろうとクロロは思ったが、ここで口をだすと盛大なブーメランなので口を噤む。
「くまさんは中村さんていうんですね」
「なんだ中村さんて……」
「タグに名前が」
そんなバカな、と覗き込むと確かに中村と書いてある。どういうキャラ設定だ。
というか、なぜこんなものを取ってきたのかとゼタを仰ぎ見る。
こちらを見下ろすゼタと目があった。
「ところで、お前は何か用か」
「……いや、用があるのはこっちだが」
尚樹を指差すと同時くらいにゼタから圧力がかかる。過保護め、と内心で悪態をついた。
そんな大人たちのやりとりなど気づいてもないのか、尚樹は呑気に発注書を書いている。
「尚樹、中村さんは階段の下に置いてきなさい」
「階段の下ですか?」
首をかしげた動きに合わせて黒髪が揺れる。だいぶ伸びたな、とその動きをなんとはなしに眺めた。
「階段から落ちた時の緩衝剤だ」
「あ、それで取ってきたんですね」
店主の謎の行動に尚樹は納得したらしいが、クロロは1人置いてけぼりだ。
というか、わざわざ緩衝剤を調達するほど階段から落ちるのか。誰が? 一人しかいない。
「……鈍臭すぎる」
「何か言ったか?」
「いや、何も」
パキパキと指の関節をならす姿に、モンペか、と口には出さず突っ込む。
「そういえば、NGLの件はハンター協会から聞いているか?」
「いや……特に聞いてないが……。NGLはたしかバルサ諸島にある自治国だったな」
「ああ。そこに巨大キメラアントが漂着した可能性が高いらしい」
「へぇ……キメラアントか。厄介なのか?」
「さあな……今調査員が派遣されているところだが、こちらに協力要請が来てるところをみるに、厄介なんだろうな」
「へぇ……気になるところだが」
ヒソカとの試合をすでに引き延ばしているクロロとしては、さすがにそちらまで構っていられない。少し気になるところではあるが。
「何が気になるんですか?」
ぬいぐるみの設置が終わったのか、戻ってきた尚樹がクロロの言葉を繰り返す。
「ああ、尚樹にも話しておかないとな。ハンター協会から要請がかかって、しばらく留守にする事になりそうだ」
「あれ、そうなんですか? なんのお仕事です?」
「NGLという自治国があるんだが……そこでの調査依頼だ」
「ん? ……NGLって自然保護地区的なところですっけ?」
「ああ、まあそうだな。入国は厳しく管理されている」
「うぇ……それって合成麻薬の件ですか? それともキメラアント?」
声だけはなんとも嫌そうに尚樹が衝撃の内容を口にした。思わずクロロとゼタは顔を見合わせる。
「……キメラアントの方だが、なんだ知ってたのか、ネテロか?」
「いえ、そのルートじゃないんですけど……それ、断れないんですか?」
珍しく眉間にシワを寄せて、尚樹が難しい表情をつくる。基本的に無表情の尚樹には珍しいことだ。
ゼタの方もクロロと同じように感じたのか、僅かに目を見開いている。
「断れなくもないが……どうした?」
「いえ……出来ればあんまり関わり合いになりたくない案件なんですよね。
虫なんで」
「虫……」
「虫なんで」
「なんで2回言った」
「大事なことなので」
詳しい話の流れは忘れたが、カイトが首だけになったシーンは尚樹も鮮明に覚えている。危険過ぎる。
放っておいてもゴンたちが多分解決してくれるはず。
「ゴキブリは嫌だ!」
急に叫んで両手で顔を覆った尚樹に、ゼタが目に見えてオロオロしだす。
「アリじゃないか、たぶん……」
「でっかくなったら大差ないですよ、多分! 黒い足の生えたやつです! 絶対触りたくない!」
いったい何がスイッチだったのか、ここまでの見事な拒絶は珍しい。このタイミングでゴキブリホイホイを回収したのは不味かったか、とひとり置いてけぼりのクロロは2人に挟まれた位置からそのやりとりをながめた。クロロとしては突っ込めるなら、その別のルートについて問いたい。あと、合成麻薬ってなんだ。
「汁とかついたらばっちぃでしょ!?」
「ばっちぃ……」
随分程度のひどい拒絶である。まだ命の危険が、とか言ってくれた方が良かった。
「……というか、合成麻薬ってなんだ?」
しょうもない二人のやりとりを見かねて、クロロは我慢できずに突っ込んだ。ゼタがその辺追求してくれるかと思ったのだが、尚樹の勢いにオロオロするばかりで話が進まない。
「合成麻薬っていうのは……なんか合成される麻薬ですよ、多分……」
「そういうことを聞いてるんじゃない」
わざとか? わざとなのか? 思わず眉を潜めるが、尚樹は至極真面目に答えている。会話のデッドボール……天然め、とクロロは口には出さずに罵った。
「尚樹、NGLが合成麻薬となにか関係があるのか?」
差し出されたお茶を手に取りながら、今度はゼタが同じ質問を繰り返す。さすがに保護者なだけあって、質問の仕方は分かっているらしい。
「俺もあんまり詳しくないですけど……そもそもNGLって麻薬の製造と流通を担うための団体ですよね? それが結果的に国になっただけで。俺もうろ覚えなんでその辺ちょっと自信ないですけど」
「……NGLが機械文明の一切を排して自然の中で生活することを目的として建国したというのは表向きということか?」
「表向きというか……そういうことにして検問を厳しくしてよそ者を入れたくないんじゃないですかね?」
「ああ……なるほどな。そうすれば見つかりにくい、か。尚樹、合成麻薬の名前はわかるか?」
流石にそこまで知っていたら、下手すれば国家を凌ぐ情報網だが。ゼタの質問にクロロは口を挟まず尚樹の返答を待った。
尚樹が顎に手を当てて視線を左上に向ける。過去は左上想像は右上。視覚による記憶は意図的でなければ視線がそこに動く。つまり、人から聞いた話ではないわけだ、とクロロは尚樹の仕草をつぶさに観察した。紙面か、映像か。はたまた現実に見たか。
「ちょっと自信ないですけど、たしか……でぃーにって書いてありました」
紙面か。書いてあった、という尚樹の言葉からおそらくそれが一番可能性は高い。尚樹の性格から考えて、自分で危険な地域に乗り込んではいかないだろう。
「でぃーに……聞いたことがないな。クロロは?」
「……俺もないな」
「あ、もしかしてでぃーつーかな? アルファベットのDに数字の2です」
思わずまたゼタと顔を見合わせる。D2、飲む麻薬。正確な読みはディーディー。これが本当ならとんでもない情報だ。
それにしても、こいつはなんでこんなニッチな情報を集めてるんだ。あいかわらず花屋の店番にはかけらも必要ない情報な訳だが。
「興味が湧いたな。俺も一緒にいくか」
「クロロさんはどうぞ行ってください。たまには社会貢献してくださいね。ゼタさん、クロロさんが代わりに行ってくれるそうなので、お留守番しましょう」
あと、虫に触った人は出禁です。
そう言い切った尚樹の目は真顔も相まって大変怖い。
出禁、の言葉に二人ともこの件については丁重にお断りした。
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