裏の裏の裏の裏

この番号を鳴らすのは、もしかしたら初めてかもしれない。
クロロは晴天の空の下、雲の影を追いながら携帯を耳に当てた。
「やあ、めずらしいね。そっちから掛けてくるなんて」
めずらしい、と言いながらまるでこちらから掛けてくるのが分かっていたかのように、その声に揺らぎはない。白々しいことだ。
「仕事を頼みたい。なんなら取引でもいいが」
「ふぅん? 内容は何かな」
「徐念師を探してきて欲しい。大体の位置はわかってるんだが、今の俺じゃそこまで行けない」
「報酬は?」
「俺との試合、では不足か?」
クロロの返答に、わずかな沈黙の後空気が揺れる音がした。
「……ふふ、尚樹には感謝しないとね。まさかこんなに早く連絡が来るとは思わなかったよ」
電話の向こうで、いつものチェシャ猫のような笑みを浮かべているのが手にとるようにわかる。
ヒソカと尚樹の関係は、クロロにもつかみきれない。ときどき、この二人に仕組まれている気がすることもある。
いつもならゼタの仕事に同行することのない尚樹がヨークシンにいたこと。あのホテルに、あの日泊まっていたこと。あの時間にロビーに姿を見せたこと。
偶然か、意図的か。
これがヒソカであれば、クロロは意図的だと確信する。尚樹だと、偶然かと思う。
ただ今回のように、ことが終わってみれば意図的だとしか思えないこともあるのだ。
徐念師というのは、念能力者の中でも非常に少ない。たまたま、尚樹のように積極的にハンターとして動き回っているわけでもない人間が持っている情報では到底ないのだ。
グリードアイランドが現実に存在する場所、という情報も、ここで尚樹が出してくる情報としては出来すぎている。わざと明確な位置を言わずに「東」というキーワードを混ぜてくるところも。
そして、今現在念能力を使えないクロロに念能力者しかプレイ出来ないゲームを勧めたことも。
「ずいぶん気に入ってるんだな? お前が殺さないなんて」
それは純粋に不思議に思っていたことだ。クロロは尚樹を興味本位で生かしている。では、ヒソカは?
たとえ手を組んでいたとしても、継続的なものではないはず。ヒソカはそう言うタイプではない。
ならばなぜ生かしているのか。二人の付き合いはクロロよりも長い。
「別に、気に入ってるから生かしてるわけじゃないよ。むしろ、僕は気にいるとすぐ壊しちゃうから」
ヒソカの返事に、思わず息が漏れた。
「気づいてないのか? 尚樹はお前が壊したくならない、貴重な人間だって」
「あのねぇ、僕だって、だれかれ構わず殺してるわけじゃないよ?」
いささか嫌そうに答えたヒソカの声に、嘘をついている様子はない。
聡いやつだと思っていたんだが、意外と自分の事には疎いのか?
クロロは些か困惑して足を止めた。
からかいたい、が。
あまりつつくとヒソカが尚樹を壊してしまうだろうか。
僅かばかりの懸念。そしてそれを上回る好奇心。
「ある意味では、あれはお前にとって特別なんだろう」
「よしてよ。僕にそういうのは必要ない。だから、壊したくならないってことは、その程度ってこと」
一見軽薄にも聞こえるその声が、どこか子供じみた物言いをする。
ああ、マチに聞かせてやりたい、このセリフ、この声色。
「あと、一応言っておくけど、尚樹にはグリードアイランドで遊ぼうって言っただけで、クロロのことは一言も言ってないよ」
「へぇ? まさかそれを俺が信じるとでも? そんな一言で、尚樹が俺を誘導できると?  言っておくがあいつは基本的にバカだぞ」
言葉の裏を読むことができない。その一言に尽きる。高度な読み合いや駆け引きなどとは無縁、それが水沢尚樹という人間だ。さりげなく相手を誘導したり、ましてや少ないやりとりで相手の意図を汲んで動く、などどいう高等なことが出来ようはずもない。
「彼がバカなのはまったく同意だし異論はないけどね。信じる信じないは君の自由だけど、僕は君より尚樹との付き合いが少しだけ長いからね。これでも、扱いは心得てるつもり」
裏の裏の裏の裏。
尚樹の行動を端的にあらわすなら、ヒソカはそう答える。誰にも、言ったことはないが。
思考が宇宙なのだ、あれは。
「それに、彼一緒にいると萎えるんだよね……全然勃たない」
「お前のその判断基準はいい加減どうにかしろ」
思わず秒で突っ込んだクロロである。
なお、本人の預かり知らぬところで好き勝手に貶されているわけだが、もちろん突っ込む人間は誰もいなかった。

通話を切ったヒソカはにんまりと口の端をあげた。尚樹をグリードアイランドに誘ったのはほんの数日前の出来事だ。
もとから、彼には断られるだろうと予想していた。なにより、彼の保護者が許可しないだろう。
ただ、クロロが一番最初にコンタクトを取るのは尚樹が一番確率が高いと思っていた。あの場に居合わせたことはもちろん、尚樹のもつ情報網が馬鹿にできないからだ。
昔から、尚樹は妙に細かい割に、雑な情報をもっている。矛盾しているが、本当にそうとしか言いようがない。
クロロもその辺は把握しているらしく、店主の目を盗んでは尚樹に会いに行っていた。
ただ、尚樹はクロロの扱いが悪い。警戒しているのか、ただ単純に面倒なのか、隙あらば他の人間に丸投げする。
例えば、今回のように。
その時に誰に押し付けるかは尚樹の気まぐれだが、今回は意図的に尚樹の意識にヒソカが入り込んだ。ああして誘っておけば、十中八九尚樹はヒソカの名前を出す。
だから、そのうちクロロから連絡が来るだろうとは思っていたがまさかここまで早いとは。相変わらず、予想の斜め上をいく。
「ふふ……どうやって壊そうかな」
他人の能力をコレクションするクロロの盗賊の極意。一体どんな能力を出してくるのか楽しみでならない。純粋な力比べではなく、思考の読み合い。神経が焼き切れるようなやりとりはヒソカにとって最高の快楽だ。
まあ、そのためには何はともあれ徐念師。
クロロが尚樹から得た情報では、徐念師はどうもグリードアイランドをプレイ中らしいが、なにせ間にクロロを経由している情報なので真偽の程は定かではない。
尚樹は基本的に嘘をつかないが、クロロ相手に適当な受け答えをすることはたまによくある。間違ってない、たまによくある。
もし情報が間違っていなかったとしても。問題は誰が徐念師か、すぐには分からないということだろう。
グリードアイランド自体の入手は容易い。穏便に済ますならバッテラの募集に乗っかればいいだけの話だ。しかし相当な数のプレイヤーがいるはずだ。向こうも自ら自分の能力をバラしてくるようなこともないだろう。
「……まあ、とっかかりくらいにはなるか」
メールを打ってもいいが、尚樹は打つのが遅い。さらにいうなら面倒がって言葉を省略するので、メールは軽く解読作業が必要になる。ヒソカは大人しく電話をかけることにした。出てくれるといいのだが。
コールが10を超えたところでようやく尚樹が電話に出た。
「はいはい、なにヒソカ」
「やぁ、この間ぶり」
「グリードアイランドなら行かないよ?」
「残念ながら、今回はそっちのお誘いじゃないよ。お仕事の話」
「お仕事? お花でもいる? あ、もしかして暗殺の方? めずらしいね、ヒソカが依頼するの」
「残念、どっちでもないよ。ちょっと情報を売ってくれないかと思って」
「ええ……俺情報屋じゃないんだけど?」
「まあそうなんだけどさ。知ってたら教えて欲しいって程度。いい情報だったら報酬も払うよ」
「いい情報ねぇ……あんまり期待に答えられるとは思わないけど。何が知りたいわけ?」
尚樹の返答に、少し考える。普通の聞き方をしても尚樹から有益な情報は出てこない。別に隠しているとか、騙しているわけではなく、純粋に尚樹の意識に登っていないのだ。そのへんが、尚樹が情報屋としてやっていけないところなのだろう。
「グリードアイランドって、誰か強そうな人参加してる?」
「出たよ戦闘狂……」
呆れた声を上げつつも、教えてくれる気があるのかしばらくの沈黙。すぐに知らない、と言わないところを見るとどういうルートかは知らないが、参加しているメンツをある程度おさえているのだろう。
ヒソカの読み通りだ。
「ヒソカの気に入りそうな人でしょ? あんまり思いつかないなあ……まあゴンとキルアと蜘蛛のメンバーはいるけど」
「ああ、やっぱりそこは参加してるんだ」
「まあね。そのためにオークション参加してたわけだし……あとは、ビスケさんと、気にいるかどうかはわかんないけど、ボマーっていう3人組。名前は忘れちゃったや」
「ボマー?」
ビスケ、というのはおそらくビスケット=クルーガーのことだろう。なかなか興味深い人物ではあるがヒソカの好みからは少し外れている。
ボマーというのは初耳だが、爆弾魔、というのは穏やかではない。それに3人組というのもいささか気になるところだ。
「うん。まあ、テロリストみたいなもん。まあヒソカなら大丈夫だと思うけど、能力を仕掛けられると解除が面倒だから関わらないほうがいいと思うよ」
解除。
指先で唇をなぞった。おそらくここが糸口だ。
「解除の仕方ってわかるかい?」
「ん? んー……だるまさんが転んだ的なやつだった気がする。ボマーの体に触れながら”捕まえた”とかなんとか言うだけ。心配しなくても、その辺は確か本人が懇切丁寧に教えてくれたはず」
懇切丁寧に。
「……なるほど、それが発動条件かい?」
「そう。ま、ヒソカならそれ自体は楽勝だと思うけど、一斉爆破できちゃうからタイミング悪いと死んじゃうよね」
「なるほどね……解除前に向こうが強制的に爆破できるわけだ」
「うん。それがなかったらたしか心拍数でカウントダウンだったよ」
随分細かい情報だが、ボマーという名前に思い当たるものがない。たいして有名な人物ではないと思うのだが。
「んで、その爆弾付けられた人の中に徐念師がいるから。まあ気が向いたら助けてあげてよ」
飲み物を口に含んでいなくて良かった。唐突にピンポイントの情報が出てきて笑いも出ない。いきなりぶっ込んでくるのは本当にやめて欲しい。
「……ちなみに名前とか顔はわかるのかな?」
「それなんだよねー……だめだ、名前が難しすぎて思い出せない。男の人だよ、肌の黒い短髪の」
「ふうん、分かった、ありがとう。報酬はいつもの口座に振り込んでおくよ」
「どうも。あんま大した情報じゃないけどね」
「いや、なかなか参考になった」
黒い肌に短髪、覚えにくい名前。まずまずだ。ほんと、ピンポイントで情報を押さえている。相変わらず謎の情報網だ。そういう念能力なのかもしれない。
「聞いたら教えてくれるかなぁ……」
通話の切れた携帯を眺める。直球で聞いても教えてはくれないだろう。たぶん、そのうち思っても見ない会話から真相を知れるかもしれないが、今はまだいい切り口が思いつかない。
とりあえず徐念師が優先だ。そこを解決すれば楽しい決闘の時間が待っている。