裏の裏の裏の裏

ヨークシンではいろいろ、本当に色々あったが、ゼタさんの仕事はまさにこれから。オークションが終わってからが本番だ。
さすがにそこはいても邪魔になるだけなので、尚樹は一足先にパドキアに帰ることにした。
来るときはのんびり飛行船できたわけだが、あれもなかなか楽しい旅なので、帰りものんびり飛行船に乗ることにして荷物を縮小する。
ホテルから出たところでまともな格好のヒソカに会ったので、お茶していくことにした。相変わらずの眼福である。
「へぇ、それで、オークションには参加せずに帰っちゃうのかい?」
「うん、今日の夜から、ゼタさんはお仕事らしいから。俺は特に欲しいものないし。競売市も楽しんだし。ヒソカは? その格好っていうことは、参加するの?」
「いいや? ボクも特に欲しいものはないからね」
「欲しいものは盗るの間違いじゃないの?」
「よしてよ、蜘蛛じゃないんだからさ」
「ああ、そういえばそうだっけ」
もとから、ヒソカは蜘蛛ではない。蜘蛛のふりをしていただけ。それならヒソカの言い分も納得できる。もともと、物欲が強そうなタイプには見えない。執念深くはあるだろうが。程度の問題はあれ、ヒソカはただの戦闘狂だ。少なくとも尚樹はそう思っている。
「そうだ、時間があるなら尚樹も一緒にゲームしないかい?」
「なにそれ、不吉過ぎる誘いなんだけど。バトルロワイヤル的なのはお断りです」
「バトルロワイヤルがなんなのかはよく知らないけど、別に殺し合いのゲームじゃないよ。恋愛含めたRPG系」
「うえ……なにその超絶似合わないゲーム……てかヒソカ恋愛ゲームとかするの」
「相変わらず失礼だね。いいじゃないか、恋愛ゲーム」
「意外すぎる……」
というか、ゲームなんてしなくても普通にしていれば選り取り見取りだろうに。性格はあれだが、見た目はただの美形だ。先ほどからチラチラ感じる視線はおそらく気のせいではない。
「まあ、恋愛ゲームは置いておくとしてさ、俺あんまりRPG得意じゃないんだよね……」
なにせ、尚樹は言葉の裏を読めない。昔妹にやらされたRPGで、仲間に裏切られて荷物を奪われた際、まあ別に困らないしいいか、と先に進もうとしたところ、大変怒られた。なんでもあれは、行き先が分かっているのだから彼女を追いかけて再び仲間にしなければいけないイベントだったらしい。分かるか。
何故追いかけないの、と言われたとき、尚樹としてはむしろなぜ追いかけるのかと。荷物奪って逃げる裏切り者をパーティーに入れる神経の方がわからない。あと、尚樹はアイテムを使わずに余らせてしまうタイプなので、手持ちを奪われてもそれほど困らない。ああいうゲームは気がつけば金もアイテムも最終的には余るものなのだ。
尚樹は大変素直なので、やるなと言われればやらないし、やれと言われればやる。追いかけてくるなと言われれば追いかけない。果てしなくゲームに向いていないのである。
「まあまあ、そういわずに。グリードアイランドっていうゲームなんだけどね」
「全力でお断り。何が楽しくてあんなデスゲームに……」
「あれ、知ってるのかい?」
「やったことはないけどね。内容はなんとなく」
もうたいして内容を覚えているわけではないが、ボマーのことは流石に覚えている。あと、たしか不用意にプレイすると戻りたくても戻れない仕様だったはずだ。もしかしたらどこでもドアで戻れるのかもしれないが、その辺の対策をしていないとも思えない。
もしそれがまかり通るなら、ゲームとしては問題ありだ。
「そう、残念だなぁ」
たいして残念でもなさそうに、いつものチェシャ猫のような笑みをヒソカは浮かべていたのだった。

ヒソカの物騒なお誘いは丁重にお断りし、あっちへふらふらこっちへふらふらしながらも、尚樹は無事飛行船に乗ることができた。全ては夜一のおかげである。
帰りついた尚樹は、とりあえず家中の窓を開けて換気をし、店のシャッターをあけた。久しぶりの店番になんとなくテンションが上がって盛りの過ぎた花をリースに仕上げ、店先を飾る。コーヒーメーカーのスイッチを入れれば、コーヒーの香りが店にただよう。カフェっぽくなるので最近のお気に入りだ。
ヨークシンでいろいろお菓子を買ってきたので、おやつ入れに使っている煎餅の空き缶に詰め替えて、カウンターに置いておく。準備万端だ。
まったりとテレビの画面を時折眺めなから、パソコンの方に届いている注文をさばいていく。しばらく店を空けていたから、少し多めに花を注文していた方がいいかもしれない。
注文表を手に、数字を書き込んでいく。ついでに、季節の花があれば適当に持ってきてもらうよう書き添えておけばいい感じに持ってきてくれるだろうと丸投げ。
さくさくとした焼き菓子は、元の世界と遜色ない。コーヒーに牛乳を入れようと台所にひっこんで、戻ってきたところで店に人影があった。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
「えぇ……」
「そんなに嫌そうな声出さなくても」
「いや、うん、まあ。こんなところで油売ってていいんですか?」
爽やか青年バージョンのクロロの姿に、尚樹はいつも通りの表情で声だけ嫌そう、というなんとも器用なことをしてのけた。もちろん、表情筋が死んでいるだけであって、声の方が正しい心境だ。
「焦っても仕方ないさ。当てがないわけでもないしね」
「徐念師ですか?」
「そう。さすがに知ってたか」
「まあ、話だけは。会ったことはないですけどね」
ポットからコーヒーを注いでクロロの方に押しやる。何か言う前に、彼は椅子に腰を下ろしてカウンターの上のお菓子に手をつけていた。大変図々しい。
「それにしても、尚樹はあのクルタ族の男と知り合いなんだな」
「クラピカですか? 古い知り合いってわけではないですよ。前回のハンター試験でたまたま」
意外と短い付き合いだ。濃いか浅いかで言えば絶対的に濃い付き合いだが。
「ああ、そういえば念に関してはまだまだひよっこという感じだったな」
「そのひよっこに念応力封じられちゃた人はどこの誰ですかねぇ」
「あまりいじめないでくれ。彼が甘ちゃんなのは事実だろう?」
「さあ……そのへんはなんとも。ノーコメントで」
さっくり殺っちゃえばいいのに、とは思ったが、そこは個人の好みだ。尚樹の口を出すことではない。それに殺さずじわじわいたぶるのもそれはそれで残酷な行いだ。
「まあそれは置いといてだ。徐念師に心当たりはないか?」
「逆に聞きますけど、どうして俺に心当たりがあると思ったんですか……」
ただの花屋の店番に、そんな人脈はない。殺し屋と知り合いなのはあくまで立地上の問題だ。
「いやいや、何か噂でもいい。ほら、情報料にこれを買ってあげるから」
いつのまにとってきたのか、カウンターの上にハンドクリームを2つ置くクロロにジト目になる。情報料として安過ぎだと突っ込むべきなのだろうが、それよりも気になるのは、
「お金払って物を買うことあるんですね……」
「今言うべきことはそこか? 俺だって普通に買い物くらいする」
「そういうの、東の言葉で臍で茶を沸かすっていうんですよ……」
「意味は分からないが、その生ぬるい視線で分かるぞ。馬鹿にしているだろう」
「まあまあ。そういえば、ヒソカがグリードアイランド持ってるって言ってましたよ。帰りに誘われたんで、誰か一緒に遊んでくれる人を探してるんじゃないですか?」
「おまえ、俺とヒソカが一緒に楽しく遊ぶ仲だと思うか?」
「やめてくださいよ、気持ち悪い。いいじゃないですか、どうせ念能力使えないんでしょ? 今のクロロさんは一般人よりは強いけど念能力者からしたら雑魚なんだから、ヒソカと一緒に遊んでた方が安全ですよ」
「雑魚ってお前な……」
尚樹のあまりの言い様に、クロロは嫌そうに顔を歪めた。一応これでも幻影旅団の団長なのだ。多少分は悪くてもその辺のハンターに負けるつもりはない。それに、ヒソカの隣にいる方が身の危険を感じるわけだが。
そんなクロロに構わず、尚樹は煎餅をかじりながらコーヒー牛乳を飲んでいる。なんとも嫌な組み合わせだ。
「聞いた話ではグリードアイランドって、実在する島らしいですよ。なんでも東の方にあるとか。さすが、ハンター限定ゲームだけあって規模の大きいことですね」
尚樹の言葉に、クロロの目つきが変わった。
「……東、ね。さっきの、臍で茶を沸かすってどういう意味?」
「チャンチャラおかしいって意味です」
「へえ。東の方の文化って、独特で面白いよね。昔、いくつか本を読んだことがあるよ。言い回しが独特で良く分からなかったけど」
「あー、まあそうかもしれませんね。でもどこの国でも同じじゃないですか? その土地の諺というか、慣用句というか、そういうものでしょう」
「そうだね。実に興味深いよ」
ポケットから出したお金を無造作にカウンターに置いて、クロロが立ち上がる。もらっていくよ、と手にしたハンドクリーム代にしてはずいぶん高いが、尚樹は何も言わずにそれを受け取った。
「それは、渡しておいてよ」
二つのうち一つ、カウンターに残されたハンドクリームに、クロロはそれだけ言い置いて出て行く。彼にも、今回のことは色々予想外だったのだろう。なにがって、意外にも団員たちがクロロに執着したことが。冷静な判断をするなら、彼らはクラピカの取引に応じる必要などなかったし、クロロを助けにいく必要もなかった。それが蜘蛛だから。
クロロには、まだそう言う人間の機微を感じ取るのは難しいのかもしれない。もちろん、尚樹とてその辺は大差ないが。
カウンターの上の食器を片付けに台所に引っ込んで、冷蔵庫からゆず茶を引っ張り出す。お湯に溶かすだけの簡単仕様だ。そのままジャムとしても使える優れもの。これもゼノが通販で取り寄せてくれたものだ。
少し濃いめに2つ作ってお盆にのせ、カウンターに戻ってできるだけ女性が好みそうなお菓子を選別した。一押しはマドレーヌだ。
椅子にクッションがないのに気づいてもう一度奥に引っ込む。
戻ってきたところで、ちょうど店先に人影が見えた。
「いらっしゃい、パクノダさん」
声をかけると、しばらくの逡巡のあと奥まで入ってきた。
椅子に持っていたクッションをおいて勧める。ついでに準備しておいたお茶を勧めると、困ったようにひとつ笑ってパクノダは椅子に座った。
「私が来るって分かってたの?」
「いいえ。ただ、先触れがあったので」
「……ああ、そういうこと」
差し出されたハンドクリームにパクノダは一瞬目を瞠った。一瞬溢れた笑みはどこか慈愛を含んでいた。
パクノダがカップを口に近づける。しばらく香りを楽しんだあと、ゆっくりと口をつけた。
「これ、ハンドクリームと同じ?」
「はい、ゆず茶ですよ。いい香りでしょう」
「ええ、落ち着くわ」
「せっかくなので、お菓子もどうぞ」
和洋とりそろえてみたのだが、パクノダは意外にも和菓子を選んだ。以前ヒソカに食べさせたことのある最中だ。餡子はハードルが高いかと思ったのだが、果たしてどうだろうか。
「この前はありがとう。助かったわ」
「いえ、俺は特に、何も。ヒソカはちゃんと送ってくれました?」
尚樹の言葉にパクノダは少し笑ったようだった。
「意外にもね。あなたの言葉じゃなかったら聞かなかったんじゃないかしら」
「いやいや、そんなまさか。ただの気まぐれでしょう。ヒソカは自分の利にならないことはやりませんよ」
「そうかしら? 意外にも紳士的で驚いたわ」
「変態の間違いではなく?」
パクノダは笑ったが、尚樹的には結構真面目だ。変態と書いて紳士と読むこともままある。
「私一人で戻ってたら、どうなってたか分からないから、本当に助かったわ」
そういえば、パクノダはあそこで死ぬんだったか。
別に尚樹はそこまで深く考えていたわけではない。ただ、あそこにヒソカがいたことで変わったこともあるようだ。
まあどうせ、ヒソカはクロロと本気でやりあいたいだけだ。その為の協力は惜しまないだろう。
「お役に立てたようでなによりです、って俺が言うのも変な話ですが」
「ふふ、いいのよ。私がお礼を言いたかっただけだから」
朗らかに笑うパクノダは、以前ここで会った時とはまた違う印象を受けた。何か心境の変化でもあったのかもしれない。
「そうだ、今日はハンドクリームを買いに来たのよ。マチにもあげようと思って。アロマみたいで落ち着くのよね、あの香り」
「あー、なるほど、アロマかあ」
盲点だったなぁ、と呟く尚樹にパクノダは首をかしげた。別に感心されるようなことを言ったつもりはないのだが。
「今度はアロマでも作ってみようかなぁ」
「色々作るのね……」
「あ、薔薇ジャムとか、ロウソクも作ってるんですよ。花屋なので、クリスマス時期とかはリースとかも。まぁリースとか花束は店長のほうがすごいんですけど」
「本当に色々作るのね……」
「まあ、暇にまかせてって感じですね」
「ロウソクを作ってるなら、アロマキャンドルとか? 」
「なるほど、女性の意見は参考になります」
何故今までそれを思いつかなかったのか、不覚である。
思いついたことをメモに残しつつ、パクノダを見やる。纏う空気はおだやかで、先日あったことが夢のようですらあった。
ここから先のことは、尚樹には分からない。パクノダが生きている、というイレギュラー以前の問題で。尚樹がここへ来る前、もうずいぶん遠いあの日、尚樹が元の世界で読んでいた話はキメラアント編の途中まで。幻影旅団は確か関わってこなかった。
クロロはあの様子なら、放っておいても大丈夫だろう。自分よりよっぽど頭のいい彼のことだ、うまくやるだろう。
湯気とともに立ち上る柚子の香りが、かすかに残っていたコーヒーの名残を押し流してゆく。その静けさが、どこか嵐を予感させた。