溺れるくらいなら壊すよ

長い金髪に、記憶が呼び起こされた。
「いらっしゃいませ」
声をかけた自分にカイトがいささか戸惑ったように視線を泳がす。
躊躇いがちに店長は? と聞かれて納得した。どうやら仕事の依頼らしい。
「少々お待ちください」
膝の上にまるまっていた夜一をカウンターの上に置いて店番を頼む。
奥に引っ込んで書斎を覗くと、目的の姿があった。
「ゼタさん、お客様ですよ」
「ああ、カイトだろ。待たせとけ」
なんとなくゼタさんの方が立場が上そうだぞ、と感じ取り店先に戻る。撫でようと手を伸ばすカイトとシャーッと毛を逆だてる夜一の攻防に胸がときめいた。
「ええと……もうしばらくお待ちくださいね。お茶でもどうぞ」
立たせておくのもなんなので、とりあえず椅子をすすめてお茶の準備に取り掛かる。
おしゃれとは程遠いがせんべいも並べておいた。
「……失礼だが、君は? 店長の子供……ではないよな?」
カイトの言葉で先程からの彼の戸惑った様子に納得する。確かに知り合いに急に大きな子供が出来たらびっくりするだろう。
「ああ、すみません。紹介が遅れました。尚樹=水沢と申します。店長の子供ではないです。孤児院から引き取ってもらいました。養子みたいなものです?」
特に養子縁組などをした記憶がないので、あいまいに返しておく。孤児院を出るときに何かにサインしたような気もするが、あの頃はまだハンター文字が読めなかったのだ。
「ああ、そうなのか。悪かったな」
「いえ、気にしないでください」
別に、これといって暗い過去があるわけでもないので聞いてくれて構わない。孤児院、という単語で過酷な幼少期を想像されてしまうのだが、そういうのとは一切無縁の日本人だ。
「カイト」
自宅の方から顔を出したゼタにカイトが頭をさげる。どうやら話は自宅の方でするらしい。
「お茶持っていきましょうか」
「いや、構わなくていい」
「まあそういわず」
すでに準備していたぶんを湯呑みにそそいで、二人分をお盆にのせた。お茶菓子もついでにそえてお盆ごとゼタに手渡す。
「ありがとう。カイト、こっちだ」
「はい、おじゃまします」
じゃあな、と手を振ってくれたカイトに尚樹も手を振り返す。
自分の分も入れて一息つく。温かいお茶が食道から胃のあたりを流れていくのがありありと分かった。
遠くなった記憶をかき集める。細かいことは変わったりするが、やはり大まかには変わっていないようですこし安心した。
先日、NGLの話をしたばかりだ。おそらく今日のカイトの話もそれ関係だろう。まさかここで出会うとは思わなかったが。尚樹の記憶も終わりが近い。
「もうすぐ」
あの人は死ぬのだろう。

さほど時間もかからずに戻ってきたふたりを振り返る。
「例のNGLの件ですか?」
尚樹の問いにカイトは少し驚いたようだった。見た目に幼いので、そういう内容にはタッチしていないと思われたのかもしれない。こう見えてもハンターですよ、と心の中で唱えておいた。
「ああ、もしかして会長から先に依頼が?」
「ああ。まあ、断ったんだがな。調査は専門じゃない。なにやらキナ臭いしな」
「キナ臭いですか……」
尚樹がめいいっぱい反対した結果、どうやらキメラアント編は回避できそうである。強い人たちにはこちらに被害がないようにぜひ頑張ってほしい。
「その様子だと、カイトさんは調査チームに入ってるんですか?」
尚樹の問いに、カイトは一応専門だから、とうなずいて見せた。
「やっぱり神経毒かな……」
「なんだ唐突に……」
いつのまにかカウンターに並べられていたのは、ゾルティック産の毒薬だ。頼むからうちの子に変なものを与えないでほしい、とゼタは苦い顔をした。
「ゴキブリならやっぱり神経毒が一番かなって……洗剤とかでも効きそうですけど」
なぜ急にゴキブリ、と考えてつい先日のやりとりを思い出す。
いったい、彼とゴキブリの間に何があったのか。そもそも、相手はゴキブリではない。
「……アリじゃないか?」
「大差ないですよ、でっかくなれば」
尚樹から見ればどちらも大差ない。大きくなってしまえばどちらも黒い虫だ。
そういえは蚊っぽいのもいたから、蚊取り線香も使えるかもしれないとふと思い至った。
というか、カイトの首を刈ったあれは、なんの虫だろう。猫のように見えたのだが、他のキャラクターから考えるに虫の類いと考えるのが妥当だろう。キメラアントというくらいだし。
でも耳が猫なんだよな……。
「まあとりあえず……カイトさんはまたたびでも要ります? 夜一さん用のまたたび分けてあげますね」
カウンターの上で置物になっていた夜一が激しく抗議の声を上げたが、尚樹は気にせず奥に引っ込んでしまった。なぜか猫の恨みがましい視線がカイトに向けられる。どちらかと言えば動物に好かれるカイトは少なからずショックを受けた。
「またたびって何の話ですかね……」
「まあ、あると便利なんじゃないか?」
「えっ……なにに……?」
まさかの返事に動揺を隠せない。神経毒までは百歩譲って理解できるが、またたびは理解できない。便利ってなんだ、便利って。
師であるジン=フリークスと同期であるらしいゼタとは、それなりの付き合いである。しかし未だかつてこれほどまでに意味不明な会話があっただろうか。
宣言通りまたたびを持ってきた少年に疑問しかない。危なくなったら使って下さいね、などと言われても、全く使い所が分からない。
またたびには自分の知らない使い方があるのだろうかと血迷った思考でそれを受け取ったが、もちろんそんなものはない。
ついでに蚊取り線香まで渡されてもますます困惑するだけだ。とても役に立つとは思えない。
ちなみに一通り使用することになるのだが、その意味を理解するのはもう少し先の話だ。
先輩の言うことは聞いておくものだな、と真面目なカイトは思ったが、ゼタとしてはたぶん尚樹がなにか知っているのだろうと言う経験則にもとづいた雑なアドバイスだった。


店先に立った人影に尚樹は首をかしげた。
「あれ、お久しぶりですね、クロロさん」
珍しく、額を隠してもいなければ、前髪を上げてもいない。この人、夏でもコート着てるんだな、と尚樹はどうでもいいことを考えた。
「今日はお前にこれをやろうと思ってな」
さしだされたのは何かのチケットのようだった。受け取って軽く目を通す。
「えぇ……まだヒソカとの試合終わってなかったんですか? さすがに引き延ばしすぎじゃないですかね……」
チケットは、天空闘技場でのヒソカとクロロの試合のものだった。適当に二人で試合すると思っていたので、まさかこんなにちゃんとしたものだとは思わなかった。
そういえば、ヒソカはフロアマスターだったか。クロロまでフロアマスターだったのは知らなかったが。
それにしても、念の貸し借りについて一悶着あったのは半年以上前の話だ。さすがにもう終わっていると思うのが普通だろう。
「自分からハードル上げてくスタイルですか?」
「なんでだよ。こちらにもいろいろ都合ってものがある。というか、お前の念が借りられれば話は早かったんだが?」
「とんだ濡れ衣では? そもそも他人の能力をあてにするほうが間違いですよ。ていうか今日は何の用です? 念ならかしませんよ?」
「どうせお前、知らせるだけじゃ観戦に来ないだろう? だから、ヒソカとの試合の日程が決まったし、お前に観戦チケットでもやろうと思ってな」
クロロのセリフに尚樹は表情筋を総動員して嫌そうな顔をした。いつもさぼっている表情筋だけにあまり動いてはくれなかったが。
「何を企んでるんですか? そんなチケットいらないんですけど」
「まあそう言うな、後学のために観戦に来るといい」
「……自分からハードル上げてくスタイル?」
「だからなんでだよ」
「いやだって、負けた時めちゃくちゃ恥ずかしくないですか?」
「お前、俺が負けると思ってるな?」
「いやそんなまさか、そんなことほんのちょびっとしか思ってないですよ」
「思ってるんじゃないか」
「いやー……ていうかヒソカの負けるところが想像出来ない」
「それは俺が負けるところは想像出来ると言ってるように聞こえるんだが?」
「そこは割と簡単に……」
何せ念を覚えてまだそれほど経っていないクラピカに負けたくらいだ。殴られた顔はバッチリ見ている。ヒソカの場合は殴られたところで喜んでいそうなので、やはりヒソカのほうが打たれ強そうに思える。
「尚樹、一度俺とよーくお話しようか」
「あ、物理の絡むお話はノーセンキューです」
正直なところ、尚樹としてはこの試合でヒソカがクロロを始末してくれないかと期待していた。
絡まれて面倒なのは圧倒的にクロロの方なのだ。この先の身の安全のために、尚樹としては不安の種は摘んでおきたい。出来れば他力で。
押しつけられたチケットをカウンターの隅に追いやって、カエルの文鎮を上に乗せておく。
「お前、それ高いんだからちゃんと来いよ」
「はいはい……ていうか、高いならホント、用意してくれなくて良かったんですけどね?」
これはとりあえずでも行く姿勢を見せないとうるさそうだ。カレンダーをめくって形ばかりの印をつけておく。もちろん単なるデモンストレーションで行く気もなければ、日付もすぐに忘れると言う興味のなさだ。
「プレミアのついた入手困難なチケットだぞ? もっとありがたがれ」
「自分で言いますかね、それ。これだから自意識過剰は……」
「オイ、聞こえてるぞ」
「聞こえるように言ってるんですよ」
なんだかんだ文句をいいつつも、お茶を用意した尚樹におかしくなりながら腰を下ろす。
「今日のお茶菓子はゼタさん特製のドーナッツです」
尚樹の言葉に、すこし嫌そうにしながらも手を伸ばすクロロ。べつに律儀に食べなくてもいいのだが。
日に日に料理スキルが上がっていく養い親は、オヤツのレベルも上がっている。
ちなみに、尚樹の好みは少し硬めのオールドファッションだ。ふむ、安定の美味しさ、とドーナッツを噛み締めて、チケットの事は記憶の彼方に追いやった。

そんなやりとりをした数日後、尚樹はカウンターの上に置かれた見覚えのあるチケットにゲンナリした。
「久しぶり、ヒソカ」
「久しぶり。ようやくクロロとの試合が決まったから、チケット持ってきたよ」
「それはどうも……」
つい先日、そのクロロも全く同じものを持ってきたわけだが、やはり変態同士思考回路が似ているのだろうか? その見られて喜ぶ性癖は理解に苦しむ。口にするのも面倒なので、尚樹はそれをおとなしく受け取った。もちろん、見に行く気などさらさらない。クロロはともかく、ヒソカはその辺分かっていそうなものだが。
まあお茶でも、とクロロの時と同じくお茶を入れる。ちょうどゼノからもらったかりんとうがあったので、試しに出してみた。知らない人間からみたら見た目でちょっと躊躇うやつなので、ヒソカの反応が気になるところだ。
「これ、食べ物かい?」
「正真正銘食べ物です。ちょっと硬いから気をつけてね」
言いながら尚樹が先に手をつける。大変懐かしい味だ。子供のころはよく食べたが大きくなるとあまり出されることはなくなった。
「……これ、中身何?」
「……さぁ?」
改めて聞かれると分からない。子供の頃に食べていたお菓子なので、深く考えたことがないのだ。
大人しくカリカリと音を立ててかりんとうを咀嚼しているヒソカを尻目にお茶を飲む。
「…….何味?」
「黒糖じゃない?」
「黒糖……」
ああ、黒糖知らないのか。ゼノがよこすお菓子は基本的にジャポンのものなので、説明がしづらい。
ふたつめに手を伸ばしたヒソカに、気に入ったのかな? と推測する。基本笑っているのでその辺は分かりづらい。
「ああ……それにしてもようやくだよ」
かりんとう片手に悦に入らないでほしい。ようやく、という気持ちは尚樹にも良くわかるが。
「本当ヒソカってクロロのこと大好きだよね」
尚樹なら1年近くも引き延ばされたら、やる気がうせる。
「ん? 間違いではないけど語弊があるような?」
好き、といえば否定はできないがそれは彼の能力のことであって、その人となりではない。なので全面的に肯定はできないわけだが、そこのところは情緒のうすい尚樹には理解できないのか、首を傾げている。とても純粋な瞳がそこにはあるだけだ。
「え? でもクロロさんに一番手間隙かけてるよね?」
「まあそうだけど……語弊があるような……むしろ語弊しかないような」
無意識なんだろうな、この意味深なものいい。知ってる。べつにそういう趣味趣向の人間に対して思うところは欠片もないが、ヒソカ自体に男色の気はない。
詳しく説明したところで分からないんだろうなぁ。
ただ自分が疲労する未来だけが見えたので、クロロだったらムキになって否定するところだが、賢いヒソカはこの件について忘れることにした。
「ああ〜……はやく壊したい……」
「変態じゃん……知ってた」
平日の午後、お茶の時間特有のゆったりとした空気にふたりの呟きはとけて、誰にも届かなかった。