相性占い
目を見開いてゆっくりと仰向けに倒れる女の顔を、見間違うはずも無かった。
まるでスローモーションのように再生される映像は音も無く温度も無い。
白黒の映像は、夢によく似ていた。
パクノダは息をのんだ。
子供の肩に置いていた手をきわめて不自然な形で離す。
僅かに顎をあげて振り返った子供は、口の端を僅かにあげて冷えた目でパクノダを一瞥した。
その仕草にパクノダは確信する。この子供は自分の念能力を知っていると。
そして、それを知った上でわざとあの映像をパクノダに見せたのだと。
「いらっしゃいませ、何かご注文でも?」
「……花束を」
パクノダの言葉に、子供が抱えていたバケツを床に下ろした。
むせるような花の匂いに、めまいがしそうだと思った。
どうぞ、と促されるままにイスに腰を下ろす。どんな花束を? と問われて少し戸惑った。
本当は、花束を買いにきたわけではない。
先ほどの光景が脳裏に焼きついて、正常な思考を奪っていった。
「……別に、花屋だからって花を買う必要はないですよ?」
花を買いにきたわけではないんでしょう、と少年が小さな手の中で花束を作りながら口元に小さな笑みを浮かべる。
その言葉と態度に、パクノダはらしくもなく動揺した。
「ここへ来たのは、あなたの意思ですか、それとも団長さんの?」
「……私の独断よ」
「へぇ」
自分から聞いたくせに、気の無い返事だ。答えなんてはじめから分かっていたのだろう。
小さな掌の中で花が揺れる。
はいどうぞ、と上品な花束が差し出されて、パクノダは反射的にそれを受け取った。
彩度を押さえた、暗色の花束は自分によく似合いだと思う。
これは、まぎれも無くパクノダのために作られた花束だった。
「男の人から花束をもらうのははじめてね」
「あれ、意外ですね。モテそうなのに」
「意外と、花束を贈る気の効いた男なんて現実にはいないものよ」
パクノダの言葉にくすくすと笑って子供がカウンターに肘をつく。
年に似合わぬ大人びた仕草だった。
「それは差し上げます。それで、用件の方は?」
「それはもう良いわ」
「そうですか」
彼を見に来ただけだった。団長とシャルナークが興味を示す人間。場合によっては始末しようと思っていたが、なんだかどうでも良くなってしまった。
そして、深く関わりたくないとも思った。
「……あなたは、私たちに害をなすものかしら」
自分を殺すのは、この幼い少年だろうか、とクロロによく似た融けるような黒い瞳を見つめた。
僅かな沈黙の後に、まだ低くなりきっていない子供の声が空気を揺るがす。
それは、目に見えるような鮮明さをもっていた。
「俺から、あなた達に関わることはありませんよ」
「……そう、ならいいの」
花束、ありがとう、ともう一度少年に触れた。
今度は、何も流れては来なかった。
配達から帰ってきた養い子は、珍しくその顔ににこにこと笑みを浮かべてゼタの前に立った。
配達先で何か良いことでもあったのかと思ったが、今日の配達先はゾルディックだ。
良いことがあったとは到底思えない。
「どうした、尚樹」
「実は、ゾルディック秘伝の、心臓を抜き取るやり方をゼノさんに習ったんです」
「……良かったな」
「はい!」
満足そうに微笑む尚樹に、突っ込みたいこともすべて思考の彼方にふっとんで、ゼタはその頭を撫でた。
いやいや、ほだされてる場合じゃない、とすぐ我にかえって尚樹の言葉を反芻する。
つまりあれか、暗殺術を習ってきたと。それのどこがそんなに嬉しいんだろう、と内心は疑問でいっぱいのゼタだ。
一緒にカウンターに並んで座りながら、尚樹の入れるお茶を受け取る。
9月に大きな仕事があるので、今月はもう仕事を入れていないため時間には余裕がある。
普通に生活する分にはそんなに金が必要なわけではないし、尚樹は悲しいかな、あまり手も金もかからない。
親としては少しくらい金と手をかけたい所だが、もっぱら金をかける所は服くらいしかなく、手をかける所は食事しかない。
以前は赤字経営だったこの店も今はプラマイゼロくらいで、ゼタの稼ぎを当てにしなくても良くなった。貯金は増えるばかりだ。
カウンターの上に並べられたリボンを無意識に手に取って引くと、するすると伸びる。
適当な所で切り取ってくるくるとループを作り、もっとボリュームが欲しいな、と他の色のリボンにてをのばす。
ああ、いけない現実逃避をしていた、と我にかえってお茶を手に取った。
「……心臓を抜き取るっていうのはあれか、あの爪が伸びて手の形が変わる……」
「あ、それです。すごいですよね」
「そうだな。あれもまあ、特技といえば特技か」
でも真似しなくていい、とゼタは二本めのリボンを切り取った。
「ああ、そういえば昨日ゼタさんにお客さんが来てましたよ」
用件は言わずに帰っちゃったんですけど、と尚樹がカウンターの上のメモ帳を指差す。
だいたいそれは伝言帳になっていて、特定の客への伝言と、ゼタへの伝言が書かれている。
そこにある名前に、ゼタは首を傾げた。
「パクノダ? 誰だ?」
「幻影旅団の人ですよ」
「知らんな。どんな様子だった?」
「えーと、用件はもういいっていってすぐ帰っちゃったんですけど……あ、あと団長さんの指示で来たわけじゃないって言ってました」
団長さん、というのは時々店に顔を出すうさんくさい青年のことだ。
わざとか偶然か、必ずゼタのいないときにやってきては尚樹にちょっかいを出していく。
顔を合わせた暁には、二度と店の敷居をまたぐなと言ってやりたい、というよりまたげないようにしてやる所存だ。
「……尚樹、もしかしてそれはお前に用だったんじゃないのか」
「俺ですか?」
きょとん、と目を大きくして尚樹が首を傾げる。その顔は本当に心当たりがないようだ。
ゼタの予想ではおそらく、彼女は尚樹の様子を見に来たのではないか。不運にも、尚樹には旅団の知り合いが数人いる。
一体どういう内容が彼女の耳に届いたのかは知らないが、興味や、あるいは警戒を抱くことも珍しいことではない。
すぐに帰ったのも、おそらく尚樹に害がないと判断したせいだろう。
尚樹自体はとくに争いごととは無縁なので、そういったことには気づかなかったのかもしれない。
3本めのリボンをとって形をまとめる。花のように見えるその出来に満足して、ゼタはそれを箱にしまった。
箱の中には尚樹が作ったらしいリボンがいくつも入っている。相変わらずマメだな、とそのリボンを手に取った。
視線を感じて尚樹を振り返ると、その視線はじっとゼタの指先にそそがれている。
なんだ? と思わずゼタも自分の指先を見つめた。
「……どうした?」
「さっきのリボンの作り方、教えて欲しいです」
「ああ……」
あれか、と先ほど作ったばかりのリボンを拾い上げる。
「……適当だぞ?」
別に、決まった作り方があるわけではない。すでにリボンを手にスタンバイしている尚樹に苦笑を漏らしてゼタもリボンを手に取った。
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いくつかリボンを作り終わった所で、思い出したようにゼタは口を開いた。
ゼタをあおいだ尚樹の顔はいつもの無表情で感情の揺らぎは無い。
右手をかざして1秒、2秒、3秒、と時間が過ぎる。
かなりの量のオーラが指先に集まっているのが見て取れたが、指自体に変化は見られない。
「め……めきめき」
口で効果音をつけるも、変化の無い尚樹の指に思わず吹き出しそうになる。
とても真剣な顔をしているのがまたたまらなく可愛い、と打ち振るえた。
「うー、やっぱり一朝一夕ではできないですね……さすがゾルティック」
そこは感心する所ではないと思うのだが、真剣な顔がなかなか可愛かったので良しとする。
「出来るようになるまで、特訓してもらえることになったので、毎週火曜と木曜はゾルティックに行ってきますね」
「……そんな習い事みたいに……」
そんな物騒な技は覚えなくていい、と言いたいところだが目をきらきらさせている尚樹にそんなことを言えるはずもなく、そうか、と力なく口にする甲斐性の無いゼタだった。