相性占い

ぷちりと花弁を一つ。
机に落ちたそれは、もう命をなくした物だった。

「パク、どうしたのさ」
「マチ」
花瓶に生けた小さな花を見つめて物思いに耽っていたパクノダに、マチは声をかけた。
数日前にそれを持って帰ってきたパクノダは、いつもと少し様子が違った。
パクノダによく似合うその花束は、もう元気を失い残っているのは白い花1輪だけ。その花びらもすでに残り少ない。
おそらく男性に貰った物だろうが、なかなか趣味が良いと思った記憶はある。
もしかして本命からの贈り物だったのか、とそれを眺めるパクノダにちょっと本気で思ってしまった。
「別に何でもないのよ」
「なんでもないって顔じゃないけどねぇ」
ぷちっとパクノダがまた1枚花びらをちぎる。
少ししおれてしまった花びらのしわを伸ばすように、パクノダの指先が動く。そんなことをしても、花は元には戻らない。
ため息をついてマチはパクノダの向かいに腰を下ろした。
つられてパクノダが顔を上げる。
「何かあった?」
「あったというか……どちらかというとこれからあるというか……」
歯切れの悪いパクノダにマチはじっと耳を傾ける。そんなマチにパクノダは苦笑を浮かべるだけ。
一枚、二枚とちぎられた花弁が机の上に並んでいる。
しばらくじっとそれを見つめていたパクノダが、何かを決した様に立ち上がった。
「パク?」
「……ちょっと、人に会いに行ってくるわ」
花束の送り主に会いに行くのだろうと、考えずとも分かった。

人の記憶に色がないのは、それが夢で見たものだからという説がある。通常の記憶とは別に、夢で見た記憶。
普段パクノダが読み取る記憶には色がある。音ももちろんある。
でも、あの少年の記憶は白黒だった。音も無く、まるで写真の様に鮮明な部分もあれば、途切れて見えない所もある。
あれはもしかして、念の応力の一種だろうかとパクノダは考えた。
未来の事を予言したり、占ったりする念能力は実際に存在している。念によるそれは、普通の人間が行うものよりも精度が高い。

遠目に見ても目的の花屋は色鮮やかで、子供が打ち水をしているのが見て取れる。しばらく眺めていたが、少年はパクノダに気づくことなく店に下がってしまった。少しだけ躊躇したものの、足を進めて店に向かう。むせかえるような花の香り。店内を覗くと、柑橘系の香りが漂っていた。パクノダの知らない香りだ。
奥の自宅に下がってしまったのか、カウンターの中に少年の姿はない。
カウンターの上には、王冠をかぶったカエルが呼び鈴にへばりついていた。押すとちん、と思いの外大きな音がなって、幾ばくもしないうちにひょっこりと子供が奥から顔をのぞかせる。
「こんにちは」
「こんにちは」
「店長に用事ですか?」
「……いえ、今日はあなたに」
パクノダの言葉に、きょとんとして首を傾げる姿は年相応でいたいけだ。ちょっと待ってくださいね、と一度引っ込んだ少年は、今度はなにやら抱えて出てきた。店に漂っていた香りが一層強くなる。
「すいません、今作業中で。やりながらでも?」
「構わないわ。これは?」
湯煎でもしているのか、お湯の入ったボウルに片手鍋。その中には白い半透明のクリーム状のもの。香りの原因はそれのようだった。柑橘系の爽やかな、それでいてどこか苦味を感じさせるような香り。
「ハンドクリーム作ってるんです。この前試しにお客さんに配ってみたら好評だったので、売り物にしようかと」
「ハンドクリーム……」
そもそもどうやって作るのだろう、とか、ここは花屋ではなかったかとか、どうでもいいことが一瞬のうちに脳内を駆け抜ける。
「あ、立ち話もなんなんで、そこの椅子、どうぞ」
特に飾り気のない丸椅子を示されて、パクノダはためらいつつもそこに腰を下ろした。すでに向こうのペースにのせられている気がしないでもない。
そうこうしている間に、カウンターの上にはお茶とお菓子が用意されており、だんだんお茶会の様相を呈してきた。
温かいお茶にすこし肩の力が抜ける。
小さなまるい缶の容器に詰められていくハンドクリームを眺めがなら、お茶菓子にと出されたクッキーを手に取った。
「……私の念能力って、知ってるかしら」
「あー……なんか記憶を読み取る系でしたっけ?」
あ、もしかして前回来た時、何か見えました? とまるで天気の話でもするかのように返された言葉に、一瞬息が止まった。もしかしたら、とは思っていたが。
冷える指先を、暑い湯のみがじんわりと温める。意識して静かに、ゆっくりと息を吸う。鼻腔を満たすのは柑橘系の、どこか落ち着く香り。
もしかしたらとは思っていたが、やはり自分の念能力は知られているらしい。それでも完全には把握されていないようだが。思い出されるのは白黒の、生気のない自分の顔。
「……私が、死ぬところが」
「……それはまた、すごいところを」
顔を歪めて苦笑する姿は、どこか達観していて、それがまるで大したことではないとでも言うかのような印象を受けた。
ちょっとお片づけして来ます、とボウルを抱えて母屋に引っ込んでいった彼は、パクノダの動揺などまるで気にかけていないようだった。実際そうなのだろう。
カウンターの上には銀色のそっけない容器がいくつも並んでいる。
呼び鈴にへばりついてこちらを見上げるカエルの表情の方が幾分同情的だ。
ほどなくして戻って来た少年は、それで、と作業を再開しながら口を開いた。
「パクノダさんはどうしたいですか?」
どうしたいのか。それに対する明確な答えを、まだ出していない。あれは何だったのか、これから本当に起こることなのか、起こるのなら回避できるのか、自分はあれを回避したいのか。
「……私、死ぬのかしら」
「……このままいけば、そうですね」
「私に、何かできることがある?」
缶の蓋にシールを張っていた少年が、初めて作業を中断してパクノダをみた。黒い瞳がぱちぱちと瞬く。
「特に、何も」
わざと言葉を切ったように感じた。何もしなくていい、というのは、ただその時を待てばいいと言うことなのか。死を回避する方法はない、という意味にも取れる。手の中のお茶は少し温くなってきた。
缶に貼られたシールには白い素朴な花の絵柄。ゆず、と書かれたそれが花の名前なのだろう。
「はい、1個あげます。いい香りでしょう?」
押し付けられるままにそれを受けとって、気がつけばアジトまで戻って来ていた。机の上の花びらはすでに水気を失い、小さく丸まっている。最後に一枚残った花びらを引っ張ると、あっけなく掌に収まった。わずかに甘い香り。
「パク?」
「マチ」
「会って来たんでしょ? それ、くれた人に」
その割には浮かない顔してる、と猫のように笑うマチに、そんなんじゃないのよ、とパクノダは否定した。
さすがに勘のいい彼女らしく、花の送り主に会いに行ったことは合っているが。だが別に色っぽい話では全然ないのだ。
「花占いしてたくせに」
「……花占い?」
掌に残る一枚の花弁に思わず視線を落とす。そういえば、らしくもなく花弁を一枚ずつちぎっていたか。完全に無意識だったそれに苦笑が漏れた。当たらずとも遠からず、会いに行くか否か悩んでいる時の決定権は、確かにこの花にあったような気がする。
もらったハンドクリームを指先ですくって、手の甲を擦り合わせるとあの香りが立ち上る。思ったよりもしっとりした心地よい感覚と落ち着く香りに、日に3度は使うようになってしまうのはすぐのこと。
夏の終わりの時期だった。