思考に仕掛けられた罠

天気予報を見ながら、明日は布団を干そう、と尚樹はえびせんに歯を立てた。
ぱき、と縦に割れたそれを改めて口に含む。
「なつかしい」
「なんじゃ、食べたことがあったか」
「だいぶ昔ですけど」
同じようにえびせんを砕いたゼノが少し残念そうに眉尻を下げる。よく分からないが、どうも尚樹に食べたことの無い物を食べさせようと躍起になっているらしい。
しかも、ジャポンの物で。
日本人の尚樹としては、どれも懐かしい物ばかりでゼノの差し入れは嬉しいのだが、少し心苦しくもある。
「おいしいですよ」
「気に入ったなら良いわい。次は何にしようかのう」
「そうですねえ」
「尚樹は考えんで良い。食べたことが無いもの、言うんじゃないぞ」
「……意地になってませんか」
「なっておらん」
分厚いカタログをめくりながら素っ気なく言うゼノは、あきらかに意地になっている。
ゼノの手にしているカタログにはジャポンの食べ物が色々載っており、どうも通販カタログらしい。
あとで自分も見せてもらおう、と上からそれを盗み見た。あ、わさび。
「そういえばのう、知っておるか?」
「何をですか?」
何か面白い番組は無いかとチャンネルをまわしていた尚樹は、ゼノの言葉に首を傾げた。
テレビではここ最近見飽きて来たオークションの話題になっている。そろそろ耳にタコだ。
そういえば、グリードアイランドが出品されることも話題になっていたか。
あんな危険極まりないゲームは尚樹的に遠慮したい。
「ここ最近出て来た殺し屋のことじゃ」
「殺し屋ですか」
生返事をしながら、ぱさぱさになった口を潤すためにお茶に手を伸ばす。
お茶を飲み干して新しく入れ直しながら、ようやく尚樹はゼノの言葉に意識を向けた。
「まだ名前は分からないんじゃがな、なかなかの腕じゃ」
「へえ、ゼノさんがそう言うってことは本当に腕が立つんですね」
なんせ、天下のゾルディック。暗殺の総本山と言っても過言ではないと尚樹は思っている。
そのゼノ・ゾルディックが注目しているだけでもすごいと言うのに、なかなかの腕、とまで評されているのだ。
しかし前々から思っていたが、殺し屋が有名なんて妙な世界だ。もう少し皆隠れてみてはどうだろう、なんて少し思考をそらした。
「調べてみたら、これが意外と用心深い奴でな。数えるほどしか依頼を受けておらん」
「へぇ」
「しかも、どうやら今年に入ってから依頼を受けだしたようじゃ」
「ずいぶん短期間で有名になったんですね、その人」
「ああ、あれだけ派手にやればの」
えびせんをばりばりと噛み砕いて飲み込み、見事に持っていかれた水分を補給すべくまだ熱いお茶に手を伸ばす。
「……派手?」
「何じゃ、ニュースを見ておらんのか」
「見てますよ?」
「何日か前に、生放送中に十老頭の一人が殺されたろう」
「そうなんですか? それは見てないです」
それにしても、大胆な殺し屋ですね、と尚樹は正直な感想を述べた。
そもそも十老頭ってなんだろう、という疑問はそっと胸の内にしまっておく。
この世界の常識に疎いのはどうか許して欲しい、と異世界人としては言いたいところだが、もうその言い訳が通用する時期はとうの昔にすぎてしまった。
「姿も見せずにあそこまで見事にやるとは、相当な念能力者じゃろうて」
「そんなに見事だったんですか?」
「ああ、痕跡も一切無い。暗殺を依頼した人間が表に出なければ殺されたことすら気づかんかっただろうな」
「暗殺を依頼した人間?」
尚樹は首を傾げた。暗殺と言うのは、あくまでこっそりやる物であって表立ってやる物ではない。
というか、秘密裏に人を殺したいから依頼するのでは? とゼノの言葉を反芻した。
そんな尚樹の疑問を汲み取ったのか、ゼノがお茶をすすって口を開く。
「またバカなことにのう、仕事を依頼した人間が成功して舞い上がったのか、名乗り出たんじゃよ」
「それはまた……」
そうとう嬉しかったんですね。
「まあ、あれだけ公衆の面前で成功すればの」
「犬猿の仲だったんですね、その死んだ人と依頼人」
人間、嬉しいことがあると黙っておいた方が良いと思っていても我慢しきれず、つい口にしてしまう物だ。
それは分かるが、あまり頭のいい行動とは言えないだろう。特に暗殺などと言う物騒なことに関しては。
「よっぽどその人が死んで嬉しかったんですね」
「そうじゃのう」
ゼノの湯のみにお茶を注ぎ足して、懲りずに尚樹はえびせんに手を伸ばした。

「そうだ、9月に店長とヨークシンに行くとこになったんですけど、どこのホテルが良いと思います?」
スイートに泊まりたいんですけど、といきなり話題を変えた尚樹に、ゼノもえびせんに手をのばしながら思考を巡らせた。
「スイートに泊まるのか」
男二人で、と言う言葉は途中で引っ込めた。めずらしくにこにことしている尚樹の顔を見れば、嫌でも楽しみにしていることが分かる。
そこに水を差すほど、ゼノも無神経ではなかった。
「ベーチタクルホテルなんかはどうじゃ。飯もうまいぞ」
「ベーチタクルホテルですね。調べておきます」
カウンターの上のメモ帳にボールペンで書き込みながら、先に書かれていたクッキーの文字に大切な用事を思い出す。
棚の上の手の届かないクッキー缶を念で取り寄せてゼノに差し出した。
「……ゼノさん、ゴトーさんのクッキーがなくなっちゃったんです」
「……」
どこから突っ込むべきか。
手が届かないからと言ってわざわざ念を使ったことに突っ込むべきなのか、毒入りクッキーをねだることに突っ込むべきか、予定よりもクッキーの消費が速いことを注意すべきなのか。
「……次は何が良いかの」
「マシュマロがいいです」
「……伝えておこう」
結局、すべて飲み込んで缶だけを受け取ったのだった。


「一つ言っておくが、ハンター証じゃスイートルームには泊まれんぞ?」
「……ええ!?」
「やっぱり勘違いしておったな。泊まれるわけが無いだろう、ただで泊めてもらえるのは普通の部屋だ」
「騙された……!」
「泊まれると思う方がおかしいだろう」